3男のかぐや太郎の日のために、

いろいろ考えて

音楽の夕べを開くことにしました。

週末ということで、それが明日。

プログラムもノルマもなし。

来場した人が、好きなように

心のむくままに

音楽を奏でるもよし

歌うも踊るもよし

話すもよし 

詩を読むもよし。

形式にとらわれない、

3男を愛す人だけで

ひとときを共有する夕べです。

とはいえ ある程度の用意もあり、

ここのところは そちらに時間を費やしていました。

ただ昨夜は いろんな事が頭を駆け巡り、

ほぼ眠れなくなってしまいました。

 

それとは別に、ホントのかぐや太郎の日は月曜日。

少し前から頭を悩ませていました。

その日 どんなふうに過ごしたらいいの・・・

何もしない、できないで

家に閉じこもっているのは 考えられないのです。

日本にいたらきっと、

神社を巡ったり祭事をしたりしていたのでしょう。

それは叶わないから、ではどうしたらいいの。

ほとんど パニックになっていました。

そんな時、ふとある考えが浮かんできました。

「こちらはキリスト教の教会がたくさんある。

宗教を通り越して その日に

3男のための祈りをお願いすることなんかできないだろうか・・・」

 

タイミングよく経験なカトリック信者の隣人が

彼女の属する団体の司祭に聞いてみてくれるという。

ところが、それから何日経っても、

「今 連絡を待っている」 というだけで

話がまるっきり進まない。

ダメなら 例えば他のルートをあたるとか

私もやりようがあるんだけれど、

これでは 当日も迫っているし、

お祈りもできなくなるかも。。。

 

正直 私のストレスのゲージは相当上がっていました。

 

 

   ダイヤオレンジ

 

 

で 昨日から今日にかけて、

私も考えたワケです。

「あっ コレって

全部 レールの上に完璧にのっけようとしてるんじゃないの?!」

かぐや太郎の日。

仮に何か特別な事ができなかったとしても、

それは仕方ないことと 考えた方がいいよね、って。

3男も怒らないよね、って。

彼を愛してることが変わることはないよね、って。

 

明日の夕べにしても、

穏やかな時間さえ流れれば

あとはお任せですから。

もっとまにまに いきたいです。

 

若いときよりは 格段にマシになったとはいえ、

やっぱり 完璧から逸脱できずにいるんですね。

3男に遺伝させてしまったこんな因子。

できるだけ切り離して、

自分を楽にしなきゃなりません。

と自省。