私の器がたびたび壊れて氾濫し、

随分まわりの人には迷惑をかけてきました。

子供たちの従兄弟にあたるLちゃんも

若い(1男と同い年!)のに、こんな私を気にかけてくれる人の一人です。

そんなLちゃんが、先日の私の誕生日に届けてくれたプレゼントは、

ティク・ナット・ハン氏の『インナーチャイルドを癒す』でした。

読み物は 断然雷 日本語に限る自分なのですけど、

こんな貴重な贈り物なので

頑張って読んでみました。

 

こちらは日本語版です。

 

 

私は 機能不全の家庭で大きくなって、

心に『シコリ』を抱えて大きくなったAC(アダルトチルドレン)でアリます。(参照→「ウチの逆縁の菩薩様」)

自分なりには、もがいて その足をとられている沼から脱出しようと

試行錯誤しながら これまで生きてきました。

それでも、やっぱり失敗、失態することしばしばです。

ただ そんな「ほころび」が、自分のせいというよりも、

自分の中のインナーチャイルドが『暴れて』いるんだと思えた時には

どんなにか救われました。

 

 

 

できない時も多いんですけど、

できる時には、

その『苦しんでる女の子』をどうにか、

「いい子、いい子」してあげるようにはしています。

ハン氏の言うところの、

その子を『今に連れてくる』という作業なのかもしれません。

そして氏は、『私たちの体の中で細胞同士がお互いに助け合っている』ように、

社会的な繋がりや自分自身への思いやりをも そこに習って実践せよ、と諭しています。(と読めました…。)

それで私の中で芽生えたのは、勝手なイメージ。(ココからは私流展開デス)

それは、自分の体全体が、自身の過去も現在も含めた固体だという感覚。

私の人生すべてが『体』という形になってるという感じです。

その体の一部で、(たとえば肩の部分に)

過去の悲しんでいたり苦しんでいたりした自分がいた時に、

(あるいは現在の自分でも)

自然に自分の手をその痛みに当てて、

日常我々が自然にそうしているように、

その傷を癒すということができれば、

それが 苦しみや悲しみと対峙しているという状態なのかな、と。

それが、過去も今も受け入れていくという生き方なのかな、と。

そのためには、自分の体には その苦しむ娘(こ)を

いつも受け入れてあげていなくてはならない、

その子と向き合ってなきゃならないと思うところです。

 

 

 

 

 

 

ついにフランスは

2度目のロックダウンです。

母を連れて外出する時は、

ふたたび外出許可証をいつも携行しなきゃならなくなってマス。

 

 

 

 

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