それでも雨が降るときは

ホリスティックに発達障害とつきあう

大縄跳びはできなくて当たり前

f:id:Manakawase:20190911174944j:plain

 

偶然目にした次の記事。私のツボにはまったのは、表題の部分ではなく、

次の記述でした。

 

「以前にインドの小学校で、日本式の運動会がおこなわれたことがある。

その際、皆が一斉にジャンプする“大縄跳び”が、どのクラスも一回も跳べなかったのだ。」

 


思わず、ぷはははは。

インドで過ごした時間がずいぶん長かった私にとっては、

跳べなさそうというのがありありと想像できるのでした。

たぶん、世界で最も大縄跳びが苦手そうな民族のひとつではないかと。

 

もちろん多民族・多宗教ということもあるけれど、

インド人のバラバラっぷりといったら、日本とは正反対。

今でもモダンな人たちを除いては同カースト内での結婚が多いだろうから

発達障害があれば強く受け継がれていくでしょうし、

それっぽい人はそこら中にいます。

というか、インドにいると、空気を読むってなんなんだとさえ思ってしまう。

 

30代半ばで診断されるまで発達障害だということを知らずに育った私が

日本の社会でつぶれたり精神を病んだりしなかったのは、

ある意味では価値観が正反対の国に定期的に逃げて

精神的なバランスを保っていたことも大きかったと思います。

 

私が子どもの頃、生まれ育った某県は、愛知県とならんで

管理教育が行き過ぎていると言われていました。

 

姉たちが通っていた小学校では、ジャージにゼッケンをつけさせて

番号管理していたし、分校になった私の学校でも規則は厳しかった。

毎週月曜の朝に朝礼があって、今週の目標(「廊下を歩くときに私語をしない」とか)

が発表されるのですが、それを教室に帰って訊かれ、

覚えていなかった生徒は後ろに並ばされて「ビンタ」。

もちろん、上の空で朝礼を聞いていられず、

誰かに後からこっそり訊くこともできなかった私は毎週ビンタを食らってました。

 

この頃当たり前だったビンタは、そういえば、

中学で担任が剣道部の顧問だったときには「竹刀で頭を上から軽く叩かれる」

という、今では絶対にありえないようなことになってましたっけ。

 

大縄跳びで思い出すのは小学校の業間体育。

「業間体育」は全国津々浦々に存在するものと当時は思っていましたが、

そんなものがあるのはごくごく一部だったと知ったのは大人になってからです。

 

何かというと、2時間目と3時間目のあいだにある体育の時間のこと。

全校生徒がグラウンドに出て、その週の目標に合わせて運動しなければなりません。

大縄跳びだとか、集団走だとか。

もちろん、どこのクラスがいちばんできるか競争なので必死です。

集団走ってのは、4列に並んで、どれだけきれいに足を揃えて走れるか競うもの。

体育がずっと「2」だった私は当然、足を引っ張っていたわけです。

 

そういえば、学校ではやたらと集団で何かをすることに力を入れていました。

給食も全員が食べ終わった班から片づけていいとか。

食べるのが遅い私は当然、「早く食えよ」とか「お前のせいだ」とか

男子に言われるわけです。

 

そういうルールがないときでも、なぜか給食の後は掃除の時間だったので、

みんなが机を運び始めている中で、泣きながら食べていましたっけ。

なぜか、全部食べ終わらなくては片づけてはいけないという

これまた謎のルールがあったので。

本当に、今考えれば謎のルールが多すぎる。

(まー、アスペである私自身にも、

傍から見ると謎のマイルールがあるんでしょうけど。)

 

そんなわけで、子どものころは地獄でした。

1億円もらえると言われても当時には戻りたくありません。

 

典型的なアスペルガーらしく、教科はオール5で成績はよかったのですが、

かえって、60点を取っても、怠けていると怒られたし、

「女は頭が良くてもしょうがない」という価値観の、

戦前生まれの両親に育てられたので、大して褒められるわけでもなく、

劣等感ばかりつのらせていました。

 

それが私の世界のすべてだったんですが、外国へ出てみて初めて、

当たり前のルールが実は当たり前ではないことに気づいたんですね。

 

そして、外国に行って異文化に馴染むように、

日本の文化も異文化として見ればいいのだとも。

はみ出すのを嫌う日本の文化は当たり前ではなく、

みんなはみ出しっぱなしのインドのような国もあるのです。

 

大縄跳びはできなくて当たり前。

女性が愛想よくなければいけないというのも、

女性がやたらと愛想がいいのはごく一部の国だけじゃないかと思います。

日本だと、毎日の献立はバラエティに富んでいないといけないけど、

インドでは毎日カレーです(笑)。具が違うだけ。それくらいシンプル。

だから、手の込んだ料理を毎日作れなくたってかまわない。

 

ところで、件の記事のギフテッドのための特別支援教育が必要という話、

確かにそうだけれど、行政に期待するよりは、今はネットという

便利なツールがあるのだから、できる子は学校なんか当てにしないで

どんどん勝手に勉強しちゃった方が早いんじゃないかって気もします。

無料で高度な知識が学べるサイトも今ではたくさんありますよね。

 

これは、子どもに限らず、大人にも言えること。

かつてはいろんな理由で勉強が苦手だった人も、

今はさまざまなツールを使って工夫すれば、自分のペースで勉強できます。

 

私は話を聞きながら書くのが苦手で、

今ではテキストにメモするくらいならできますが、

口頭で言われたことをノートに書くのはちょっと無理なので

結局聞いているだけになります。

そんな理由で、大学受験のときも、周りがみんな予備校に通う中、

一人だけ通信添削でもない「マイコーチ」というマイナーな

ドリル式(添削なし)の教材をひたすら繰り返しやっていました。

 

現在は、オンラインの講座が増えてきているので助かっています。

聞き逃しても何度も繰り返し聞けるし、途中で動画を止めてメモもできます。

何といっても、自分の集中力がもつ分だけ勉強して、

続きはまた明日、とできるのも助かるのです。

 

とはいえ、こんなことができるようになったのも、

栄養状態が良くなって頭が働くようになり、

稼ぎがよくなって、勉強するためのお金が得られるようになったからですけど。

まずは、栄養不良を解消して「生きているだけで精一杯」状態から抜け出さないと

頭を使って勉強しようなんて気は起こりません。

 

ITツールは、自分を人と比べて劣等感を覚えたり、

空気を読むために必死に情報を得ようとしたりするためではなく、

もっと有用な使い方をすれば人生を豊かにしてくれますよ。

ネットを通して、自分がいる世界の「当たり前」が

別の世界では当たり前じゃないことを知ることもできる。

 

::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

翻訳書出してます。

ガイド 壮年期のアスペルガー症候群:大人になってからの診断は人生をどう変えるか

ガイド 壮年期のアスペルガー症候群:大人になってからの診断は人生をどう変えるか

 

こちらもよろしく。

発達障害に関してのみ、無料でメールでのご相談もお受けしています。

この場合は返信に時間がかかることがありますので、あらかじめご了承ください。

お問い合わせはこちらら。