ある多言語学習者の断想

ohne Fleiß kein Preis.

今日のドイツ語学習 17.8.2018

『まいにちドイツ語』を聴く

金曜日は雑誌記事の体裁。平泉を紹介している文章。日本的な用語、日本然とした言い回しをドイツ語ではどのように表しているか、というのも一つの注目ポイント。

例えば

  • das Schogunat 将軍の職、幕府

という単語もある。そのままを受け入れようとしている感じが面白い。

 

DW の langsam gesprochene Nachrichten を聴く

ニュースにはニュースならではの表現があるということは何度も書いている。準1級対策として、それの攻略が一つの鍵であろう、と。

最近はこのアプリを使っている。

  • 上級独単語 C1-C2 *1

これに取り組みつつ、生のドイツ語を聴いて読む。これが効果を発揮していると感じられる。

この両方向から学べている感覚。

 

試験と日々の課題の相違点

改めて思うこと。

試験もゲームもスポーツも同軸で述べるが、どれも答えが定められていたり、勝敗や決着がつくようになっている。ある特定の範囲が決められており、その中で最適な解を繰り出せばよい、というシステムになっている。

テストなら予め定められている問いについての正答を導けばよい*2し、ゲームならプログラムされた閉鎖世界の中で、いかに上手に立ち回れるかが問われる。スポーツなら他者よりも優れた数値や点数を出すべくパフォーマンスすれば良い。何らかのルールがあって、それに基づいた行動をとればゴールに辿り着ける。良しとされる。

さあ現実世界はどうだろう? もちろん法律や道徳はあるにせよ、自由が大きすぎるのである。サッカーではないから手を使ってもいいし、土俵の外に出てもいい。与えられた選択肢以外の別の選択肢を自分で作ったっていい。問いに答えるだけでなくて、問いを作ったっていい。

難しいけれど自由な、そして自由であるがゆえに難しいのが現実世界なんだろうな、と思ったりしている。難しさが楽しみや喜びを運んできて、それが繰り返されていく。

ドイツ語を学ぶことも、私にとっての現実世界に内包されてはいるのだが、それと同時に、この2者は対置されていて、双方が双方を褒め称えている。そんなことを抱いたりもしている。

*1:本当はリンクを貼りたかったのですが、なぜか見つからない?

*2:まあそれがすんなり出来ればいいのだけれど