吉田修一さんによるとインドは楽園ということになる。
少し前のことになるが、1月にANAに乗ったときのこと。
機内誌を読んでいて、作家の吉田修一さんが書かれている「空の冒険」の一説に妙に心が動かされてしまった。
大阪の「なんばグランド花月」についてのエッセイである。
一部抜粋すると、
『この自由で大らかな場所というのが、昨今のギスギスした世の中ではすっかり少なくなった。
そのギスギス感がないのが「なんばグランド花月」なのかもしれない。
赤ちゃんが自由に泣けて、くしゃみもし、トイレにも行け、自分の好きな笑い方や喜び方ができる場所。
なんだか、とても幸せな場所である。
ギスギスしていない。今の世の中、ただそれだけで、もう楽園である。』
これ、そのまんまインドに当てはまるではないか。
ここは全くギスギスしていない。
赤ちゃんだって大人だって自由に泣けて、くしゃみもし、トイレはその辺でしちゃうし、自分の好きなように笑い、喜んでいる。
本来なら当たり前の姿がここにあるのだ。
つまり、吉田氏のいう楽園がそういう世界ならば、間違いなくインドは楽園ということになる。
うーむ、目の前の光景を見てお世辞にも楽園とまでは言い難いが、でもそうか。
だから私は居心地がいいのかもしれない。
よくインドが好きだと言うと、なんで?と聞かれるのだが、一言で説明するのがなかなか難しい。
今度からはギスギスしていないからと言おう。
人の目を気にしすぎる必要がないのだと。
ちなみに同エッセイで、作家が多く集まる場というのはひどいものだというようなことも書かれていた。皆好き勝手に自分のことを話し、幼稚園児の集まりのようだと。
うーむ、楽園の住人であるインド人はこっちにもあてはまる…(笑)
ちなみに私がANAの機内誌で真っ先に開くのはこの「空の冒険」だ。
普通の人のおべんとうを覗く「おべんとうの時間」も好きだ。
でも本音を言うと、JALの機内誌で浅田次郎さんの「つばさよつばさ」が読みたいと思っている。