郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

ミステリーツアーで訪ねた九州 (4) 佐世保から平戸へ

2019年03月06日 | 日記
2日目はあいにくの雨模様、それでもミステリーツアーはとある所を目指して進みます。

ホテルを出てまもなく到着した所は「展海峰」という小高い展望所。
雨雲に覆われながらも、海に浮かぶ多くの島々が見えました。
これぞ、リアス式海岸に連なる「九十九島」です!
晴れた日とは違った美しい眺めでした。
因みに同時に訪れていた観光バスは、私たちのバスを除いてほぼ全てが中国からのツアー客を乗せていました。




バスは北上し、平戸市に入って行きました。
赤い橋が見えました。
予想通り平戸島へ渡るに違いありません。
が、ここで昼食タイムです。
新鮮な感じが漂う美味しい海鮮丼を食べることができました。



食後に少し時間があったので、隣の海鮮物店へ入ってみると、何とその安さに驚きました。
ヒラメがこんな値段で買えるなんて……。




食後には雨が一層強く降ってきましたが、平戸大橋を渡り平戸城が見えてくると心が高鳴りました。
私が前回ここを訪ねた時はまだ橋が架かっておらず、船で渡ったものです。




バスを降りると、雨の中を二つのグループに分かれて街巡りミニツアーの出発です。
湾の反対側に平戸城を、右手ずっと奥の方には島に入って来た際に左手に垣間見た石で出来た幸橋(別名オランダ橋)が見えます。

個人旅行ならこの橋を渡って平戸城も見学できるのですが、私たちは城とは反対側のオランダ商館跡の方向へ進みました。






歴史は江戸幕府創立の頃に遡り、1609年に幕府に許可を得て設立した東インド会社の東アジアにおける貿易拠点が、ここ平戸のオランダ商館です。
貿易は年を追うごとに盛んになり施設規模が拡大していきましたが、三代将軍家光の時、倉庫に西暦の年号が示されているとして全ての建物が破壊されてしまったということです。
それ以降は長崎の出島に移転することになりました。

このオランダ商館跡に復元されたオランダ商館が建っていました。
しかし、ここも後で付近を周る松浦史料博物館も入館することなく眺めて行きました。
それでも、当時を偲ばせる桟橋の石段やオランダ塀やオランダ井戸等々を見学しながら先へ歩きました。














そして、圧巻だったのは最後に眺めた「寺院と教会の見える風景」でした。
一番奥に聖フランシスコ・ザビエル記念教会を配置して、手前には日本の寺院が配置されている風景でした。






戦国時代の真っ只中の1550年、ポルトガル船が日本で初めて平戸にやって来ました。
それまでにも海外との交易が盛んに行われていた平戸は、まさに日本における国際交易都市の元祖とも言えます。

前年に鹿児島に上陸してキリスト教の布教活動を始めたフランシスコ・ザビエルは、ここ平戸にやって来ました。
これを契機にキリスト教は平戸の地に広く広がっていったということです。



-S.S-

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「太陽のない街」の夜学校 (... | トップ | 映画「雪道」(2017年制作 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記」カテゴリの最新記事