こんばんは。Aokiです。
人間は「社会的な動物」と位置づけられています。
単独で、人類が作り出した一切の道具を使わずに
生きることは、とても困難なことでしょう。
また、たとえそうしたいと考えましても、
よほど未開の地で生まれない限り、
多くの支配と監視、制約の中におります。
もはや、この星の隅々までが多くの監視下にあることを考えますと、未開の地も時間の問題かもしれません。
人類は、【現在】の「地上」から「海洋」、「上空」、「その向こう」に至り、一方で「ミクロ」の世界にまで進出してきました。
そして、いよいよ、不完全ながらも、【近未来】を取り込むところに来ました。
これまでは、ある種の人間による「抑圧」、「生殺与奪」という名の人為的「近未来」はあったものの、それはタイマーのレベルでした。
しかし、これから起こることは、まさに「次元」が異なることかもしれません。
人間の価値観は千差万別とはいっても、そこには何らかの「価値観」は存在していました。
そこに、欲望・欲求という、生物として制御しきれない要素も関与することで、不合理・不条理な結果が錯綜しているのが、社会の構造と言ってもよいかと思います。
なお、「価値観」と呼べるのは、自分自身を例外にしない考えだけです。
「自分は他人の家から勝手に金銭を持っていくが、他人が自分の家に対して同様なことをするのは許せない。」
これは、「価値観」ではありませんね。
「何の価値も産み出していないのに親の財産を相続した者は、その半分を社会福祉のために寄付すべきだ。だから、自分はそうした。」
これは、「価値観」です。
ただ、「価値観」で自分を律することは自由ですが、他人に押しつけてはいけませんね。
さて、やや脱線しながらも「価値観」についてふれましたが、テクノロジーには、こうした「価値観」そのものが存在しません。
「テクノロジーを創り出すのは、人類だろう。それならば、人類がモラルかルールで制御できるのでは?」
プディングの童話を思い出します。
美味しいプディングをつくるご婦人には、3人の娘がいました。
「甘くて美味しいプディングをつくるには、少量の塩を入れるのがコツなのよ。」
ご婦人の口ぐせです。
ある日、ご婦人は、手が離せなかったので、長女に塩を入れるように頼みました。
「いやよ、面倒くさい。」
そこで、次女に頼みましたが、次女にも断られました。
最後に末娘に頼んだのですが、この娘にも無下に断られました。
仕方なく、仕掛の仕事の手をとめ、プディングに塩を入れにいきました。
ご婦人が再び仕事場に戻ってからのことです。
長女「さっきは断ったけど、美味しいプディングを食べたいから塩を入れてくるか。」
長女が塩を入れました。
次女「ちょっと邪険にし過ぎたかな。塩を入れて機嫌をとろうっと。」
次女も塩を入れました。
末娘は、台所を通ったときに、塩を入れてほしいという母親の言葉を思い出しました。
この星には、いったい何人の娘とオトメンがいるでしょうか?
どれほどAIが進化しようとも、全ての情報を持ったひとつの頭脳で制御しない限り、未来を制御することはできません。
「全ての情報を持ったひとつの頭脳」・・・
「究極の民主主義は、独裁政治である。」という政治学のひとつの結論を思い出します。
最も合理的ですが、致命的な欠陥があります。
さて、『止められない未来』に、あなたはどのように向き合いますか?
「便利な世界の何が悪い!大歓迎だ。」
「自分の力で人類の未来を変える!」
「どうせ何をしたって無駄なんだから、好き勝手に生きるさ。」
「どうしようどうしよう・・・」
私の向き合い方は、「あるがままに」です。
冷静に考えますと、時代の移り変わりは凄まじいものがあります。
しかし、それだけのことです。
どれほど便利な乗り物があっても、ポカポカ陽気の日には自分の足で歩き、
どれほど手軽なスマホがあっても、街を歩いて見つけたお酒を愉しむ。
どれほどコインの表を装飾しようとも、ICチップを埋め込んだとしても、一杯のウイスキーを飲むには、飾らないコイン1枚で充分です。
“ウイスキーの刻”は、通信不能ですし、コンピュータ制御もできません。
「文明」が、海から上陸し、高い山を目指す方向性を持つのに対し、“ウイスキーの刻”は、生きものが、生まれた意味を静かに全うする道の途中にある茶屋のようなもの。
少し疲れたら、ひと休みしてください。
温かいお茶があります。
お団子もあります。
そして、一杯のウイスキーが、そこに在ります。
あなたが、そこに在るかぎり。
Z.Aoki
人間は「社会的な動物」と位置づけられています。
単独で、人類が作り出した一切の道具を使わずに
生きることは、とても困難なことでしょう。
また、たとえそうしたいと考えましても、
よほど未開の地で生まれない限り、
多くの支配と監視、制約の中におります。
もはや、この星の隅々までが多くの監視下にあることを考えますと、未開の地も時間の問題かもしれません。
人類は、【現在】の「地上」から「海洋」、「上空」、「その向こう」に至り、一方で「ミクロ」の世界にまで進出してきました。
そして、いよいよ、不完全ながらも、【近未来】を取り込むところに来ました。
これまでは、ある種の人間による「抑圧」、「生殺与奪」という名の人為的「近未来」はあったものの、それはタイマーのレベルでした。
しかし、これから起こることは、まさに「次元」が異なることかもしれません。
人間の価値観は千差万別とはいっても、そこには何らかの「価値観」は存在していました。
そこに、欲望・欲求という、生物として制御しきれない要素も関与することで、不合理・不条理な結果が錯綜しているのが、社会の構造と言ってもよいかと思います。
なお、「価値観」と呼べるのは、自分自身を例外にしない考えだけです。
「自分は他人の家から勝手に金銭を持っていくが、他人が自分の家に対して同様なことをするのは許せない。」
これは、「価値観」ではありませんね。
「何の価値も産み出していないのに親の財産を相続した者は、その半分を社会福祉のために寄付すべきだ。だから、自分はそうした。」
これは、「価値観」です。
ただ、「価値観」で自分を律することは自由ですが、他人に押しつけてはいけませんね。
さて、やや脱線しながらも「価値観」についてふれましたが、テクノロジーには、こうした「価値観」そのものが存在しません。
「テクノロジーを創り出すのは、人類だろう。それならば、人類がモラルかルールで制御できるのでは?」
プディングの童話を思い出します。
美味しいプディングをつくるご婦人には、3人の娘がいました。
「甘くて美味しいプディングをつくるには、少量の塩を入れるのがコツなのよ。」
ご婦人の口ぐせです。
ある日、ご婦人は、手が離せなかったので、長女に塩を入れるように頼みました。
「いやよ、面倒くさい。」
そこで、次女に頼みましたが、次女にも断られました。
最後に末娘に頼んだのですが、この娘にも無下に断られました。
仕方なく、仕掛の仕事の手をとめ、プディングに塩を入れにいきました。
ご婦人が再び仕事場に戻ってからのことです。
長女「さっきは断ったけど、美味しいプディングを食べたいから塩を入れてくるか。」
長女が塩を入れました。
次女「ちょっと邪険にし過ぎたかな。塩を入れて機嫌をとろうっと。」
次女も塩を入れました。
末娘は、台所を通ったときに、塩を入れてほしいという母親の言葉を思い出しました。
この星には、いったい何人の娘とオトメンがいるでしょうか?
どれほどAIが進化しようとも、全ての情報を持ったひとつの頭脳で制御しない限り、未来を制御することはできません。
「全ての情報を持ったひとつの頭脳」・・・
「究極の民主主義は、独裁政治である。」という政治学のひとつの結論を思い出します。
最も合理的ですが、致命的な欠陥があります。
さて、『止められない未来』に、あなたはどのように向き合いますか?
「便利な世界の何が悪い!大歓迎だ。」
「自分の力で人類の未来を変える!」
「どうせ何をしたって無駄なんだから、好き勝手に生きるさ。」
「どうしようどうしよう・・・」
私の向き合い方は、「あるがままに」です。
冷静に考えますと、時代の移り変わりは凄まじいものがあります。
しかし、それだけのことです。
どれほど便利な乗り物があっても、ポカポカ陽気の日には自分の足で歩き、
どれほど手軽なスマホがあっても、街を歩いて見つけたお酒を愉しむ。
どれほどコインの表を装飾しようとも、ICチップを埋め込んだとしても、一杯のウイスキーを飲むには、飾らないコイン1枚で充分です。
“ウイスキーの刻”は、通信不能ですし、コンピュータ制御もできません。
「文明」が、海から上陸し、高い山を目指す方向性を持つのに対し、“ウイスキーの刻”は、生きものが、生まれた意味を静かに全うする道の途中にある茶屋のようなもの。
少し疲れたら、ひと休みしてください。
温かいお茶があります。
お団子もあります。
そして、一杯のウイスキーが、そこに在ります。
あなたが、そこに在るかぎり。
Z.Aoki