こんばんは。Aokiです。
“靴が揃えば心がそろう 心がそろえば靴が揃う”
とても大切にしている言葉です。
一般的には、「靴を揃えると~」が主流かもしれませんが、
微妙なニュアンスの違いがあります。
☆☆☆
忙ぐと、なかなか出来ないこと・・・
ボタンをする
鍵をかける
靴を履く
靴を脱いで揃える
落ち着いて丁寧にした方が、結果的に早く済むのに、
急げば急ぐほど、うまく出来ないことがあります。
「では、落ち着けばいいのだろう?」
それはそうなのですが、そうもいかないほど、
切迫したときもあるのだと思います。
いつも慌てふためいている人は、それが個性ですから、
どうということもないと思います。
「靴を揃えると~」で、よいかと思います。
一方、どのような困難に直面しても、常に冷静な方が慌てるとき、
それは一大事です。
その方の「一大事」は、他の方の「一大事」とは意味が違います。
「一大事」が起きている処が異なるのです。
もしも、運よく「一大事」が過ぎれば、自然と靴が揃うでしょう。
靴が揃う様は、安らぎの象徴です。
「お洒落は足元から」といいます。
靴にお金をかけることも、
いつも靴を手入れして大切に扱うことも、
そこには、“意識”があります。
お金をかけるのは、優先順位。
大切に扱うことは、心がけ。
では、靴が揃うことは?
それは、“無意識”の想いであり、
ささやかな人生の、ほんの小さな安らぎ。
”刻”は、時間の密度が高い方ほど、深まるようです。
石炭がダイヤモンドに昇華するようなものかもしれません。
もはや、気体ですらないほどに。
時間は長短で測れますが、”刻”を測る術はありません。
測る必要がないからです。
唯一であり、他と比べる必要もなく、
他に与える必要もない・・・
そこに満ちているのは、安らぎ。
時間の密度が低ければ、
刻は浅すぎて入れないでしょう。
時間の密度が高ければ、
多くのものを失う代わりに深まるのが“刻”。
お年寄りに“刻”を知る方が多くなる傾向は、
時間の密度が低くても、長い時間が少しずつ
“刻”を掘り下げていくからなのかもしれません。
十代の方でも、高密度な時間を費やしている方は、
“刻”を知ることでしょう。
極めて稀なケースだとは思いますが。
そうした方にお逢いするのは切ないですね。
できれば、お若い方々には、そんなことを知らずに、
伸び伸びと生きていただきたいと思います。
“ウイスキーの刻”には、階層や段階なるものはございませんが、
「愉しみの間」と「哀しみの間」があるようです。
前者でお寛ぎいただくのが良き人生かな・・・と、思います。
そこへは、陸をてくてく歩いていきますと、
やがて辿り着くことも出来ます。
後者の間ですと、陸からは行けませんので、
自ら行くようなことは、避けた方がよいかと思います。
ご縁があり、“ウイスキーの刻”に、ウイスキーを運ぶお仕事を
させていただいております。
ブログ『ウイスキーの刻』が、その渡り廊下のようなものですが、
運ぶウイスキーが異なります。
「愉しみの間」と「哀しみの間」・・・
興味本位で後者に行きたいと思う方もいらっしゃるかもしれません。
お勧めをいたしません。
なぜなら、そこには、ウイスキーが1本しかないのです。
流れるメロディも1曲だけです。
Z.Aoki
“靴が揃えば心がそろう 心がそろえば靴が揃う”
とても大切にしている言葉です。
一般的には、「靴を揃えると~」が主流かもしれませんが、
微妙なニュアンスの違いがあります。
☆☆☆
忙ぐと、なかなか出来ないこと・・・
ボタンをする
鍵をかける
靴を履く
靴を脱いで揃える
落ち着いて丁寧にした方が、結果的に早く済むのに、
急げば急ぐほど、うまく出来ないことがあります。
「では、落ち着けばいいのだろう?」
それはそうなのですが、そうもいかないほど、
切迫したときもあるのだと思います。
いつも慌てふためいている人は、それが個性ですから、
どうということもないと思います。
「靴を揃えると~」で、よいかと思います。
一方、どのような困難に直面しても、常に冷静な方が慌てるとき、
それは一大事です。
その方の「一大事」は、他の方の「一大事」とは意味が違います。
「一大事」が起きている処が異なるのです。
もしも、運よく「一大事」が過ぎれば、自然と靴が揃うでしょう。
靴が揃う様は、安らぎの象徴です。
「お洒落は足元から」といいます。
靴にお金をかけることも、
いつも靴を手入れして大切に扱うことも、
そこには、“意識”があります。
お金をかけるのは、優先順位。
大切に扱うことは、心がけ。
では、靴が揃うことは?
それは、“無意識”の想いであり、
ささやかな人生の、ほんの小さな安らぎ。
”刻”は、時間の密度が高い方ほど、深まるようです。
石炭がダイヤモンドに昇華するようなものかもしれません。
もはや、気体ですらないほどに。
時間は長短で測れますが、”刻”を測る術はありません。
測る必要がないからです。
唯一であり、他と比べる必要もなく、
他に与える必要もない・・・
そこに満ちているのは、安らぎ。
時間の密度が低ければ、
刻は浅すぎて入れないでしょう。
時間の密度が高ければ、
多くのものを失う代わりに深まるのが“刻”。
お年寄りに“刻”を知る方が多くなる傾向は、
時間の密度が低くても、長い時間が少しずつ
“刻”を掘り下げていくからなのかもしれません。
十代の方でも、高密度な時間を費やしている方は、
“刻”を知ることでしょう。
極めて稀なケースだとは思いますが。
そうした方にお逢いするのは切ないですね。
できれば、お若い方々には、そんなことを知らずに、
伸び伸びと生きていただきたいと思います。
“ウイスキーの刻”には、階層や段階なるものはございませんが、
「愉しみの間」と「哀しみの間」があるようです。
前者でお寛ぎいただくのが良き人生かな・・・と、思います。
そこへは、陸をてくてく歩いていきますと、
やがて辿り着くことも出来ます。
後者の間ですと、陸からは行けませんので、
自ら行くようなことは、避けた方がよいかと思います。
ご縁があり、“ウイスキーの刻”に、ウイスキーを運ぶお仕事を
させていただいております。
ブログ『ウイスキーの刻』が、その渡り廊下のようなものですが、
運ぶウイスキーが異なります。
「愉しみの間」と「哀しみの間」・・・
興味本位で後者に行きたいと思う方もいらっしゃるかもしれません。
お勧めをいたしません。
なぜなら、そこには、ウイスキーが1本しかないのです。
流れるメロディも1曲だけです。
Z.Aoki