こんばんは。今日は気持ちのいい秋晴れでした。
みなさま、どう過ごされましたか?
私のほうは手術した足と、なぜだか耳が痛くて昼食後は、ずっと横になっていました。
携帯でおととしの今頃は何をやっていたかなとFBを開いたら
少し複雑な気持ちになりました。
父と主人。仲良しでした。
去年亡くなった実の父は死後、色々と気苦労があった、それを子供に見せたくなかった
という事が色々わかり、私も娘として何でもっと気づいてあげなかったのかと
後悔することもしきり。
FB記事の内容もやはり、考えさせられるものでした。
以下がその内容です。
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さっき、うちの親父(実父)からいきなり電話がかかってきた。私のことを心配しているようだが、
元気な声を聞いて「大丈夫だね!」とかなり楽観的。
親父は今日は休日返上で朝の4時から仕事をしたらしい。
仕事で気になることがあったとのこと。
親父は若い時の結婚とはいえ70歳を過ぎているのに仕事現役&車もかっとばしで元気そのものである。
高速道路で追い越されようものなら、抜き返すのが楽しいらしい(それ、暴走老人じゃん)。
私の楽観性と芯の強さは親父に似たものだと確信した☆彡親父は80歳まで仕事を続けるつもりらしい
(自分が経営しているのでどうとでもなるけど、社員や跡継ぎはやりづらいだろうなあw)。
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あらためて読むと、このころ既に肩と鼠径部、腹部等に悪性リンパ腫の塊があったはず。
父も「最近さすがにトシかなあ~。だるさがとれないんだよね」
と明るく言ってはいたものの、実際は言うよりもっとだるかったと思う。
なのに文章中にあるように朝の4時から仕事。
しかも休日返上・・・。
かなり体に負担がかかっていたはず。
父が最後入院をしたとき、輸血が必要なぐらい重めの貧血であることもわかった。
めまいとか、気持ち悪さもあっただろうに、そんなことは口にしなかった。
車の運転も、私と一緒の時は恰好をつけて飛ばしたり
抜かれたら抜き返していたけど
実際調子が悪い時は弟に運転してもらったこともあったらしい。
かなり、我慢していたんだなあ・・・。
子供に弱いところを見せたがらなかった父。
自分で自分を常に励ましていたんだと思う。
結局、このあと父の悪性リンパ腫は手で触れてもはっきりわかるほど大きくなった。
私と同じ病院での抗がん剤治療はうまくいき、腫瘍もかなり縮小。
血液内科の先生方、看護師さんも「薬、効いてきましたねえ~」
と笑顔を見せてくれた。本当に嬉しかった。
このまま寛解までいけると私は密かに思っていたのに。。
父は退院後もすぐに仕事場に行き、遅くまで働いて・・
去年の残暑の厳しい時に膀胱炎になり、悪化し緊急入院。
お父さん、頑張りすぎだよー
血液内科病棟での治療は適切で、容態は一度は良くなった。
ただ、父には心臓の持病があったせいか、膀胱炎悪化が腎臓に影響して負担だったのだろう・・
ある日、ふと、心臓が止まってしまい、帰らぬ人となった。
父らしく生きた、といえばそうなのだが、
子供からすると「そんなに我慢しなくて良かったのに」
「子供に弱いところも見せてほしかった」
「そのぶん、もっと長生きしてほしかった」
という思いが募る。
でも、子供にも省りみる点があったのではないか?
父が弱音を吐けるような会話のやりとり。
子供にも安心して甘える状態。
仕事を子供に思い切って全て任せられるような環境。
挙げればいくつもあるけど、父が躊躇した子供たちの「部分」「側面」
もあったに違いない。
人間はその人の寿命があるというが
父にはもっとゆったりしてほしかったと我儘な思いを抱いてしまう。
私がかなり高齢になって(その時まで生きているつもり)病気で微妙な立場になったとき
どういう老人になっているんだろう。
父が何を教えてくれたのか、今一度振り返ってみようと思う。
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