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駆逐艦「蕨」「葦」海中調査記 ~経過報告~

海中調査の様子。

akiyuki2119067018.hatenablog.com

akiyuki2119067018.hatenablog.com

 

 

 5月末に実施した本調査から数か月、調査で得られたデータを受け取り、あれから色々と考察などしている。

今回は、この沈没船に関してこれまで分かっていること、そしてこれからの調査予定などを書いていこうと思う。

 

 

まずは、海中調査で得られたデータの紹介をする。

 

動画版


駆逐艦「蕨」「葦」海中調査データ 魚礁「軍艦」

 

 

上から見た様子。現段階の推察ではこの船体は2つに折れて沈没した駆逐艦「蕨(わらび)」であり、左側が艦尾、右側は艦橋の後ろ辺りから折れているのではないかと思われる。

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なお、全長は約50m、全幅は約8mで幅は「蕨」とほぼ同じ、船体が折れているので全長はやや短いが艦尾から50mというのは「蕨」でいうところのちょうど艦橋の真後ろの第二砲塔付近に該当する。

 

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参考までに蕨と同型の駆逐艦「樅(もみ)」のプラモデルの設計図と重ね合わせた画像。

本当は設計図でもあればいいのだが、探せど一向に見つからないのでプラモデルの裏表紙で失礼する。

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幅や艦尾までの船体の形状が非常に似ていることがわかるだろう。データは高さで色分けがしてあり、赤に近いほど高くなっているのだがちょうど艦尾と切断面付近が赤くなっている。おそらくだが、艦尾が鉄甲板であるのと切断面付近にはボイラーやタービンなどが配置されていることに関係しているのではないだろうか。

 

 

左舷後方より。

甲板上の構造物などは確認できず、かといって綺麗な平面とも言い難い。

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ビームが当たらなかったところは透明になっているのでどのような形状をしているのかは不明。

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側面に砂が堆積しているのか、沈没船周辺もやや盛り上がっている。

 

 

右舷前方より。

切断面と思われる部分は通常の船では考えられない歪な形状をしていることがわかる。

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スパっと切断されているというよりはすり潰されたような、強い力がかかって折れたような印象を受けるが、これが「蕨」であれば沈没後90年以上は経過しているのでその間の経年劣化を考えると折れているには違いないが何とも言えないところである。

 

やや引いて見た図。

沈没船の周囲は起伏のない砂地の地形で、他の海底障害物などは何もない。

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 以上が今年5月に行った海中調査で得られた結果である。この調査では地元で「軍艦」と呼ばれてきた魚礁が駆逐艦「蕨」に形状が非常に似た沈没船であることが分かった。

また、この沈没船は船体が途中で切断されており、その他の部位も破損が激しく甲板上の構造物などもなぎ倒れているのではないかと考えられる。調査を実施した「アサヒコンサルタント株式会社」様の調査報告書によると、今回使用したマルチビームソナーは浅海用のものであったため水深96mの深海は機材の性能限界に近く、そのため従来よりデータが粗いとのことであった。船体の形状はかなり正確に測定できているが甲板上の微細な構造物まではさすがに把握できなかった。

 

 次に、このデータをどう見るかということについて。事故当時、掃海作業に従事し、慰霊祭を続けてきた地域で長年「軍艦」と呼ばれていた魚礁が本当に沈没船だった。それも「蕨」に形状が近く、船体が折れている。と、ここまでの情報でこれが「蕨」であると断言したいところであるのだが、それがなかなか難しい。

戦後に海難事故で沈んだ貨物船等かもしれない、人工魚礁として沈めた漁船かもしれないなどと考えるとこのマルチビームのデータだけではそれらの可能性が否定できないのである。

実際マルチビームのデータを資料として戦艦大和等の沈没軍艦の調査経験のある呉市の海事歴史科学館「大和ミュージアム」に相談をしたところ、「そのデータだけでは何とも言えない」と、データを見てもらうことさえ叶わなかった。

 

やはりこれが「蕨」だと結論付けるためには最終的に水中ドローン等を用いて船体を直接撮影しなければならないようだ。

しかし、そう簡単に追加調査など出来ない...

そこでまずは少しでも「蕨ではない別の船」という可能性を潰そうと、データを元に海上保安庁と県の水産課に問い合わせを送ってみた。

 

まずは海上保安庁

鳥取県京都府舞鶴市の「第八管区海上保安本部」の管轄になっているので、第八管区海上保安本部の「海の相談室への問い合わせフォーム」から問い合わせを送った。内容は調査の概要と結果、そして今回見つかった沈没船について何か情報を持ち合わせていないかということ。この「軍艦」は沈船としても海底障害物や魚礁としても海上保安庁発行の海図には記載されていないが、何らかの記録は残っているかもしれない。

 

返ってきた回答を見て驚いた。この沈没船は海上保安庁の記録に残っていない未発見のものということであった。過去においては水深30mより深いところの沈没船は航海に支障ないものとして情報があっても海図に掲載しない扱いになっていたようだが、そもそもこの沈没船に関しては全く情報がなかったらしい。

 

海上保安庁の記録にない沈没船とはどのような船なのだろうか。他に似たような事例がないか調べたところ下記のような記事を見つけた。

「越前岬沖30キロに謎の沈没船 戦時中に沈められた可能性も」

福井県越前町の沖合約30キロ(水深約240メートル)の海底に、海上保安庁の記録にも残っていない謎の沈没船があることが、県水産試験場の超音波調査で分かった。沈没船は全長約70メートル、マスト高約16メートルに及び、形状などから近代以降のものとみられる。敦賀海上保安部は「この海域で近年、大きな船が沈んだという事故などの情報は把握していない」としている。

2016年3月29日 福井新聞ONLINE

https://sokuhou.fukuishimbun.co.jp/news/20160329p1.html?ref=tkol

 

 福井県越前岬沖30km、水深240mの海底で海保の記録にない沈没船が見つかったという事例である。この沈没船も美保関の「軍艦」と同様に地元で「シンヤマ」と呼ばれている魚礁であったようだ。

その後の調査でこの「シンヤマ」は戦時中に撃沈された貨物船であることが分かっている。

10mtv.jp

 海上保安庁設立以前の沈没船、それも戦争などやや特殊な事情で沈んだ船に関しては記録が残っていないことがあるようだ。水深が240mと深く、戦前の技術水準では捜索が困難であったという点も記録にない1つの要因だろう。

逆にいえば、戦後に海難事故で沈んだような沈没船についてはほぼ全て記録が残っているのではないだろうか。乗員の少ない小型漁船等が突然行方不明になったならともかく、50m以上にもなるような大型船が沈んで、海上保安庁が救助や捜索に行っていない筈がない。

このことから「軍艦」も海上保安庁設立以前、つまりは戦前に沈んだ船である可能性が高いと考えられる。戦前なら海軍の水路部という組織が海図制作などを担っていたが、この沈没船が記録に残らなかったのは水深が深いためか、それとも別の理由があったのかは定かでない。

また、過去に水深180mの海底で「蕨」を発見したという記録があることから「軍艦」の付近に他の沈没船がないか聞いてみたところ、水深180m付近であれば今回発見された地点から約30km北北西方向に唯一沈没船があるとのことであった。これは流石に違う船だろう。

 

以上のことから美保関沖の「軍艦」については

・沈没したのは海上保安庁設立(1947年)前である可能性が高い。

・付近にその他のそれらしい沈没船は無い。

・「しまね丸」や「NHK松江放送局」が過去に確認した水深180m地点の沈船も同様に記録にないものである。

 といえるだろう。ちなみに調査で得られた情報は全て海保に提供し、航海の更なる安全のため近々「軍艦」は沈没船として正式に海図に記載される見通し。

 

 

続いて鳥取県の水産課。

こちらに聞いたのは魚礁として漁船などを沈める際、それは記録に残るのか、そもそもどのくらいの大きさの船を人工漁礁とするのか、そして「軍艦」が人工魚礁である可能性はあるのか、ということをである。

頂いた回答は下の通り。

回答

県では、昭和29年以降に県が設置した人工魚礁(沈船魚礁を含む)を台帳管理して把握しております。今回の構造物は台帳に記載がないため、県が設置したものではありません。

なお、人工魚礁として沈められた可能性の判断はできませんが、県が設置した最大の沈船魚礁(885空㎡)と比べ、今回の構造物は2,558空㎡(全長54.4m×幅8.4m×高さ5.6m)と大きく、人工魚礁として沈めた可能性は低いと思われます。

 

 まとめると

・「軍艦」は県が設置した人工漁礁ではない。

・沈船魚礁としては明らかに大きすぎる。

ということであった。

 

また、漁業関係の資料として過去にこの「軍艦」「蕨」の記載のある会議議事録を教えて頂いた。

それがこちら、

日本海・九州西広漁業調整委員会 第 15 回 日本海西部会議事録

平成20年10月21日

http://www.jfa.maff.go.jp/j/suisin/s_kouiki/nihonkai/pdf/nn_15.pdf

 これは国が進めていた漁場整備事業、「フロンティア漁場整備事業」に関する会議で好漁場だが、やや問題のある魚礁「軍艦場」として蕨についての言及がある。

 ○事務局(上田) 軍艦場というのは、昔から「蕨」という戦艦が沈んだところで、それが崩れて大変いい漁場になっていると。今は全部崩れていますけども、いまだにいい漁場だと。アカガレイの大変いい漁場だったんですね。
このアカガレイを狙う形態の違う漁業が2種類あります。それは、沖合底びき網漁業ですね。所謂かけ回し。それからもう一つは、2そうびきですね。そこに魚礁を入れることについて、これら2つの漁業において調整が中々図れなかったということで保留にしてあった場所です。
今回のフロンティア事業で魚礁を入れる場所はそこの近くでありますけども、その場所は外してあるということです。
○志幸委員 何だか答えになっていないみたいですけれど、わかりました。その周りにフロンティア計画をしていくということですね。簡単に言えば、漁場が広がるわけですね。
○事務局(上田) そうですね。
○志幸委員 そういうことになるでしょう。好漁場も結局アカガレイを増殖させる。
○事務局(上田) 整備課の方から話をさせます。
○山本漁港漁場専門官 整備課の山本です。
少し補足させていただきますと、現在軍艦場には、過去の沈船がまだ残っているということで、魚礁の機能があります。ただ、その周辺も非常にいい漁場だと聞いておりますので、今、正確には数字を覚えておりませんが、そこからずらしたところへ魚礁を入れていきます。
皆さんのお手元にある資料4の中で、赤碕沖という漁場がちょうど鳥取県の沖合にありますが、第4というところに赤い点がありますけれども、ここに一つ漁場整備をさせていただいているということで、現在、既存の軍艦場の過去の魚礁と連携をさせていただいて、よりこの海域の漁場効果を高めていくという整備をしております。
○志幸委員 星印のところが軍艦場なんですね、赤碕沖漁場の。
○山本漁港漁場専門官 第4です。
○志幸委員 第1、第2、第3というようなフロンティア漁場を設けるということで、今、事業を進めるということなんですね。
○山本漁港漁場専門官 そうです。軍艦場の正確な位置は、ちょうど第4のところに緑の線で曲がっているところがあるんですけど、その近くが軍艦場と言われているところです。

日本海・九州西広漁業調整委員会 第 15 回 日本海西部会議事録

平成20年10月21日

 また、議事録中の「お手元にある参考資料4」というのがこちら。

国が行う漁場整備事業(フロンティア漁場整備事業)について(H19年度~)

http://www.jfa.maff.go.jp/j/suisin/s_kouiki/nihonkai/pdf/nn21-3.pdf

 

議事録中で言及されている「軍艦場」は今回調査した「軍艦」と同じ地点である。魚礁としての「軍艦」、「蕨」は鳥取県の漁業関係者の間では昔からかなりよく知られた存在であったことが分かる。

 

 

ここまでの結論として「軍艦」は

「戦前に沈没した沈船魚礁ではない沈没船で、船体形状や全幅が「蕨」に似ており、かつ船体が折れている。」

ということが言える。

個人的には「軍艦」は駆逐艦「蕨」で間違いないと確信している。ここまで条件がそろっていて別の船ということはかなり考えにくいと思う。

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今後の予定だが、今年9月中旬に水中ドローンを使った、追加調査を予定している。

(追記予定)

 

 

~つづく~