誰にとっても新しいことを決断するのは難しい

 

前回の記事は愛する娘を教えに導くに相応しい十全たる父となる~遠坂時臣の決意でした。

今回も小説『Fate/Zero』からの引用でスタートします。今回は悩める神父、言峰綺礼です。

その生涯において、幾千度、幾万度重ねてきたかもしれぬ問い(Fate/Zero)

一通り各スタッフへの電話連絡を終えてひと段落した綺礼は、独り自室に戻ると、寝台の縁に腰を下ろして、無人の教会の静謐に耳を澄ました。

その生涯において、幾千度、幾万度重ねてきたかもしれぬ問い。

今夜のそれは、ひときわ切実で逼迫していた。今夜ばかりは夜が明けるまでに、答えに至らなければならないのだから。

——我は、何を望むのか?

虚淵玄『Fate/Zero 5 闇の胎動』

 

悩める神父、言峰綺礼がまたも自分に問いかけます。

『我は、何を望むのか?』と。

 

『我は、何を望むのか?』と自分に問いかけてはいますが、実は綺礼の中では自分進みたい方向性は決まっています。もうすでに望みは見えているのです。さらに言えば、その望みに沿った行動もしています。

 

例えるとすれば、今の会社を辞めて他のことがしたいと思っているサラリーマンが、勤務時間外やたまに勤務時間中にもこそこそと自分のしたいことをやり始めて、そして明らかに会社に居続けるよりも自分のしたいことをしていきたいと思っていたとします。しかしながら、自分の本心では「会社を辞めたい」と明快に答えが出ていることは百も承知にもかかわらず、将来に対する不安や新しい人生を歩むことへの恐怖からなかなか最後の一線を越えられず「自分は何をしたいんだろう」と悩んでいるような状態です。

 

自分の人生を変えるような大きな決断から、些細なことのように見える小さな決断まで、今までにしたことがないことを自分で決断するにはかなりのエネルギーを消費します。

 

逆に、定期的に購入していることや習慣にしていること、またみんなで同じことをするような時はは、何も意識せず出来る無意識状態であったり流れに任せるだけの思考停止状態にあるので、その決断に対しエネルギーはほとんど消費しません。

 

さらに、私たちには心にも身体にもホメオスタシスという自動現状維持装置が設置されているので、新しい行動に対してはそのホメオスタシスを突破するエネルギーも必要となります。

 

だから人は基本的には保守的となります。リスクを冒してさらにエネルギーまで余分に使うのであれば、リスクを負わずにエネルギーを使わずに済む方が楽だからです。

 

その生涯において、幾千度、幾万度重ねてきたかもしれぬ問い。

 

人並外れて何でもできる能力がある言峰綺礼ですらそうなのです。人は自分の望みがわかっているにもかかわらず、その決断が自分にとって大きければ大きいほど、いつまでも先延ばしにしています。

 

そして先ほどのサラリーマンの例えであえば、勤務時間中にこそこそと好きなことをしていたことが上司にばれて、そのため明日までに自分の進退を決めなくてはいけないような状況に追い込まれたのが今の綺礼です。(まぁ本当は少し違いますが)

 

今までしたことのないことへの決断、それも大きな決断であれば、それほどまでに追い込まれないと答えが出せないのが普通の人間です。逆に言えば、追い込まれるようなことが何もなければ、決断もどんどん先延ばしにされ、そのうちその決断もなかったことにしてしまうことが多いのです。

 

要は私たちはもともと意思が弱いのです。決断が出来ないのです。筋力のように目に見えるものであればどのくらいの力があるかイメージはつきますが、意思力は見えないだけにみんなその力を過大評価をしています。やる気があれば決断できるはずだと。

 

しかし筋肉が使われなければ衰えて力が失われていくように、普段世間の常識や周りの人の意見に従って自分で決めることをせずに生きている人に、いきなり大事なことを決めろと言っても、そのもそも決断力が備わっていないから決められないのです。自分で決めるという意思を使う機会がないから弱いのです。全く鍛えられてないのです。

 

だから、いざという時に自分で決めて行動しようとする決断力をつけるために、普段から『自分で決めて自分でやる』ことを習慣として癖づけることをこのブログではいつもすすめているのです。それもなるべく今までにしたことがない新しいことに対してです。

 

とまあここまではいつも通りな感じの記事ですが、今回は特別に、決断力がない人でも強制的に決断させてしまうとっておきの方法を紹介しましょう。

決断力がない人のための決断する方法

あなたが何かの決断でどちらにしようか迷った時に、あなたの意思を全く使わない方法になります。

 

その方法とは、その決断をサイコロに決定させる方法です。

例えば奇数が出たらやる、偶数が出たらやらない、と決めてサイコロを振るのです。そしてその出た数字に従って後は余計なことは考えずにその通りにするのです。どうせ考えたらやらない方向にいってしまうので、自分で考えずにサイコロにどうするかの指示をしてもらうのです。

 

まぁいい悪いは別にして、私たちは指示されてそれに従うのは慣れています。たとえそれが嫌なことでも、それが仕事であれば多くの人が従います。その指示をサイコロがしていると考えます。

 

決断力がない人が悩んでも、新しい方向に進んでいくことを決断することはほとんどありません。であれば決断しないで、サイコロに2分のⅠの確率で決めてもらった方が自分の成長や世界を広げていくことににプラスになります。また、ちょっと気が引けてしまうようなチャレンジであれば6が出た時だけやると決めてサイコロを振ってもいいでしょう。

 

いずれにしても、やりたいことや新しい挑戦に対する後押しをサイコロに託すというのは、とても有効な方法です。新しいチャレンジに対する決断力がなければ、その決断を他に任せてしまえばいいのです。

 

誰にでも得意不得意はあるのです。自分の不得意な部分を克服することも大事かもしれませんが、そうこうしている間にチャンスの神様はどんどん目の前を通過してしまうのです。何でも自分でやろうとせず自分の苦手なとこは、サイコロを振るように機械的にしてしまうのもひとつの方法なのです。

Fate/Zero(5)闇の胎動 (星海社文庫)

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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