先日の通信障害によって、久しぶりに使われた方も多いのでは無いでしょうか。
平成に生まれた方だと、一度も公衆電話を使った事が無い方も多いかもしれません。
通信障害の影響では無かったのですが、公衆電話を使う機会が私も有りました。
小銭を入れてから受話器を取るのか、受話器を取ってから小銭を入れるのか。
やはり久しぶりだったので、少し戸惑いましたが触っている内に思い出してくるものです。
10円では通話時間が足りなかったので、100円でもう一度掛け直したりしていると、何か損した気分になりますね。

長年使わなかった、公衆電話の使用方法の記憶はどこか意識の奥に仕舞われていたのでしょう。使う機会や刺激があれば、ある程度取り出せました。
記憶は忘れているだけで、消えてしまっている訳では無いようです。
表面上の記憶と奥に仕舞われた記憶があると、肉体の昔の記憶でさえ、奥に仕舞われた記憶が沢山あるかもしれません。

肉体と重なる《幽体》にもそうした奥に仕舞われた記憶があるならば、人間の記憶はとても複雑なものになります。
《水波霊魂学》を学び、《幽体》を健全化する事は人間の複雑な記憶や正体に迫るものでもあります。
そうした事がキッカケに関心を持っていただいても、良いのかなと。

私が公衆電話を使ったのは、単にスマホを持っていくのを忘れただけなんです。
連絡手段が限られると一瞬、血の気が引きましたね。電話番号なんか、ほとんど覚えていませんし。


かしわで
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