前にもイギリスダイジェスト編をやった気がするけど、そのドイツ版。
親戚が今度ドイツ行くらしくて、そーいえばドイツの写真どうしたっけなと思って探したらあったので。
当時ブログ書いてなかったし、一度容量オーバーになりかけた時に思いっきり整理してしまったので、一部しか残ってなかったけど、懐かしく思い出しました。
あれ?あの写真撮らなかったっけかな~、捨てちゃったのかな、ってのがある反面、こんなのとってあるんだ~なんてのもあって、自分の過去の行動なのに、よくわかんなくておもしろいよね。
行った時期はちょうど6年前です、6月の終わりだったので。
しかも、季節外れの大寒波が来ちゃって、寒いのなんのって、ホテルが臨時で暖房を入れたほど。
とりあえず、成田から、北の方の空港に行ったの、フランクフルト空港だっけな。
そこから最初にケルンの大聖堂の街に宿泊。
初日は確か着いたのが遅くて、大聖堂に上ったのは翌々日。
相方はしょっぱなから、ケルンの街の地ビールを堪能してました
日本の地酒のような感じで、地ビールがあるみたいね。
ザワークラウトっぽいスープ
迫力のソーセージ
ボクはビール飲まないのでよくわかりませんが、ソーセージはどこ行ってもおいしかったね。
それぞれに個性がありました。
翌日は、当時デュッセルドルフっていう、比較的日本人も多く住むと言われる町に住んでいた友人が来てくれて、車でボンと周辺を案内してくれました。
途中に寄ってくれたきれいな場所
森の小道を歩きました
恐らく観光雑誌に載っているようなところじゃないんだよね、それで人も少なくてすんごく気分がよかった。
ここで、おばあさんに話しかけられて。
ボクはパッと見た瞬間、何らかの精神障害がある方だなって気付いたのと、そもそもドイツ語は1ミリもわかんないのでぽかんとしてましたが、友人と相方はマジメに聞いてあげてて。
さすがに途中で、ん??ってなって、やんわりお別れしてました。
この時に、ソンディ・テストって使えるな、ってボクは心底思ったので、よく覚えてます。
※ソンディ・テスト
ハンガリーのソンディが、独自の運命心理学に基づいて作成した人格検査。
8枚1組の精神病者の顔写真6組を使い、好き嫌いを判断させ、種々の得点換算を行う。
理論がかなりかなり難しく、ボクはゼミ発表のため必死で勉強するも、なんとなくしかわからず。
外国人の顔写真であることから、日本人になじまないとする説もあるが、ボクはこの時、外国人の顔だろうと関係ないと確信した、というわけ。
多分心理屋さんが聞いてもマニアックな話です、失礼。
その後ボン市内に行って
ごはん食べた後に、ベートーベンの博物館に連れて行ってくれました
生家だったのかな、なんかゆかりの地のはず(笑)
中にはベートーベンの実際の顔から取った型で再現した胸像とか、直筆の楽譜とかがあったと思います。
写真が1枚もないので、撮影禁止だったのだろうと思います。
ボンはいわゆる、ヨーロッパの街並みだな~って思った記憶があります。
あと、レストランとかでトイレに行くと、トイレキーパーみたいな人がいて、その人にチップを払うってのが慣例みたいでした。
そのために小銭を用意しとかないといけないっていう。
そのイメージがあったので、アメリカはトイレフリーで楽だなって思った記憶がある。
あと、商店街とかもうろついたんだけど、日曜日だったので全部お休みだったんだよね。
今はどうか知りませんが、当時は法律で、日曜はレストランとか一部のお店以外の一般的なショッピングのお店って、全部休みって決まってたらしい。
なので、みんな買い物は土曜にするって話でした。
ボン市内を後にして、途中の景色のいい場所に寄ってくれました
車で坂を上った先で、すごく見晴らしがよかった
デュッセルドルフに戻って来て、友人一押しのレストランに行こうとしたら休みで、次点?のレストランに行ったんだっけ
このごっつい肉の塊に、どーんとナイフが刺さってるのが伝統料理らしくて、これを相方は食い切ってたからね(笑)、ま、今より若かったし。
夜の10時過ぎてもまだ明るくて、堪能したのを覚えてます。
翌日ケルンの大聖堂に上りました
中広いな~って思った
ステンドグラスがきれいだったな
階段で上に行くと、フェンスでガードされてて
意外と狭いんだよね
上からの眺めはきれいでした、開けたところには出ないんだけど
間近に見えるのはちょっと感動
わ、こんな凝った彫刻、下からは見えてないんだろうな~
鐘が鳴るんだよね
この鐘の音を収録したミニCD入りのレターセットみたいなのを買って、ドイツから送った覚えがある。
この日、ライン川沿いのリューデスハイムって街に宿泊予定だったので、途中の街からフェリーに乗ったんだ
フェリーに乗る前にご飯食べたんだけど
この立派な白アスパラ、シュパーゲルっていうんらしいんだけど、これがすごく名物なんだって。
だけど、時期が6月の上旬位までらしく、ボクたちが行った時には、ほとんどどこも終わっちゃってたの。
それが、ここのレストランはあるっていうので、わ~いありつけた、というわけ。
日本でこの雰囲気のアスパラって、缶詰の細いのしか見たことなくて、あんまり好きじゃなかったんだけど、これはちゃんとアスパラって感じで甘くておいしかったな。
緑のとは風味が違うので、別物だなって感じ。
ここからフェリーに乗って
古城ホテルとやらを眺めつつ
泊まってみたいけど行くの大変そうだなとか
結構たくさんあって驚きつつ
のんびり到着、いかにも精度の悪い翻訳ソフトって感じの日本語アナウンスがあった記憶があります
リューデスハイムは、真珠の街ともいわれる美しい街で
ホントは向こうに見えてるゴンドラに乗って、上まで行って眺めるとよかったらしいんだけど
とにかく寒いし、雨も降ってるし、おまけにホテルにバスタブがなくてボクは超不機嫌になりで、ゴンドラに乗る気力もありませんでした。
良くも悪くもバリバリの観光地化された街だったので、すごくきれいな半面、いかにも観光客相手の商売もたくさんありました。
特に夜に行ったレストランは、料理の印象はほとんどないのですが、バンド演奏していて、上を向いて歩こうとか流れてきてびっくり。
それがウケそうな年代の日本人が多く旅してる時期だと思うし、各国向けのそういうのやってたので、リサーチしてるんだろうなと思いました。
結局この街で大ヒットしたのはこちら
友人が教えてくれたワイン屋さん
ここでほろ酔いになっちゃうほど試飲して、アイスバインってうまいんだな~と感激。
2本くらい買った記憶があります、まだ先あるのに、おいしすぎて。
ここから次の宿泊地へ電車で移動しようとしたんだけど、途中で電車がトラブって、振り替え輸送になって
いやいや、ボク、個人旅行だったらこういうのお手上げだなって思った。
結局、このバスには乗れなくて、こっちの不思議な車に乗せられたんだっけ
なぜかこういうワンシーンはちゃっかり写真に残っているという。
これでどっかの駅まで連れてきてもらって
ハイデルベルクへ
すごく小さい街で、中心の広場みたいなところのすぐ脇のホテルに泊まったんだけど
街が集約されてる感じでした
ここで名物のマウルタッシェンを頂きました
水餃子みたいなので馴染みがあったね。
翌日、広場の向こうに見えていたお城の方へ
上に上るといい眺め
建物は大迫力
中にワイン樽のデッカイのがあって
相方は試飲してたはず。
不思議な動物にも遭遇
さらに奥まで行くと、まさに古城が間近って感じでした
古城と街
観光客も少なめで静かな街でしたが、ボクはすごく気に入りました。
この後ラストの宿泊地、ミュンヘン入り、超有名なホーフブロイハウスへ
この1L?ジョッキを、5つくらい、若い女性ウェイターが普通に持っていたのにビビった。
グラスもいろんな種類が大量に並んでました
生演奏とかもしてて
6月末なのに記録的な大寒波が来ちゃって、超寒かったので、ガンガン暖房かかって、ビール飲ませてるって言う(笑)。
ここで白ソーセージ食べたのがめっちゃうまかったんだけど、写真が残ってなくて。
食べるのに必死だったのかも。
翌日は市内観光
時計台なので、定時になると、この子たちが踊ってて
確かこの向かいにあった高い塔に上れて、市内を一望
その後、てくてく歩いて
中を見たような記憶があります
確か中は王宮みたいな感じだったと思います、多分撮影禁止だったのでしょう。
プラプラしてるだけで街並みがおもしろかったなって言うのと、やっぱり第二次世界大戦で負けて作り直してるので、新しい街並みの部分も結構あるなって思った記憶があります。
この日の夜も相方はビール三昧してて
これなんだっけな、魚料理だった気がする
これはアペタイザーで頼んだ肉団子なのに、え?メインのハンバーグ?みたいな量でおどろいた
肉肉しててうまかった。
ミュンヘンは2泊したんだよね。
翌朝、確か相方が仕事しててさ。
ネットでどこでもつながるって便利だけど大変ね、とか思って、郵便局にハガキ出しに行った覚えがあるな。
ユーロ硬貨が全然わかんなくて、有り金全部広げて、おじちゃんに取ってもらったという(笑)。
治安が悪い街だったら、全部持ってかれるっつーの。
あと、地元のスーパー覗いたりしてた
その後ブランチでカフェに行って、でっかなケーキに挑戦
アメリカのと違って、甘いだけじゃなくちゃんとおいしいんだけど、でもギブアップしたな…
相方はその後マーケットの屋台で口直し
ザワークラウトも、どこもうまかったね、味がちょっとずつ違うんだよね。
マーケットも嬉々として散策した記憶があるけど、当時は今みたいに写真魔じゃなかったせいか、全然残ってません…
はちみつの専門店が気に入って、小瓶に入ったはちみつやら、石けん、ハンドクリームとかいろいろ買いました。
この日は有名な美術館に行って
さすがにこれは知ってるわ~とか
どっかでも見たなとか
どしょんぼり
パニック~
とか相方にコメントを食らいながら見て回り、その後ドイツで最後のごはん
ソーセージもその土地その店によって違うんだよね、どれもしっかり味でおいしかった
プレッツェルって塩味の聞いた硬いハート型のパンあるじゃん、あれを輪切りにしてスープに浮かべた物
珍しかったのでよく覚えてます。
マーケットに売ってるいろんなものが、ほとんどお土産としては持ち帰れないモノばかり、ぶっとい白ソーセージとか。
で、住みて~な、あ、でもロンドンが先か、とか思いながら帰ってきました(笑)。
ってことで、書いてる間にもう親戚は帰ってきちゃいそうな時期なんだけど(汗)、懐かしく覚書でした。
P.S.
指先を火傷して水膨れになってしまい、キーを打ちづらいので、更新が滞り気味で失礼しております。
皮膚科では痕が残るかもしれないと言われて超凹んでおります…が、せっせと薬塗って治していきます、キー打てないと死活問題なんで(そこかい!)☆
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親戚が今度ドイツ行くらしくて、そーいえばドイツの写真どうしたっけなと思って探したらあったので。
当時ブログ書いてなかったし、一度容量オーバーになりかけた時に思いっきり整理してしまったので、一部しか残ってなかったけど、懐かしく思い出しました。
あれ?あの写真撮らなかったっけかな~、捨てちゃったのかな、ってのがある反面、こんなのとってあるんだ~なんてのもあって、自分の過去の行動なのに、よくわかんなくておもしろいよね。
行った時期はちょうど6年前です、6月の終わりだったので。
しかも、季節外れの大寒波が来ちゃって、寒いのなんのって、ホテルが臨時で暖房を入れたほど。
とりあえず、成田から、北の方の空港に行ったの、フランクフルト空港だっけな。
そこから最初にケルンの大聖堂の街に宿泊。
初日は確か着いたのが遅くて、大聖堂に上ったのは翌々日。
相方はしょっぱなから、ケルンの街の地ビールを堪能してました
日本の地酒のような感じで、地ビールがあるみたいね。
ザワークラウトっぽいスープ
迫力のソーセージ
ボクはビール飲まないのでよくわかりませんが、ソーセージはどこ行ってもおいしかったね。
それぞれに個性がありました。
翌日は、当時デュッセルドルフっていう、比較的日本人も多く住むと言われる町に住んでいた友人が来てくれて、車でボンと周辺を案内してくれました。
途中に寄ってくれたきれいな場所
森の小道を歩きました
恐らく観光雑誌に載っているようなところじゃないんだよね、それで人も少なくてすんごく気分がよかった。
ここで、おばあさんに話しかけられて。
ボクはパッと見た瞬間、何らかの精神障害がある方だなって気付いたのと、そもそもドイツ語は1ミリもわかんないのでぽかんとしてましたが、友人と相方はマジメに聞いてあげてて。
さすがに途中で、ん??ってなって、やんわりお別れしてました。
この時に、ソンディ・テストって使えるな、ってボクは心底思ったので、よく覚えてます。
※ソンディ・テスト
ハンガリーのソンディが、独自の運命心理学に基づいて作成した人格検査。
8枚1組の精神病者の顔写真6組を使い、好き嫌いを判断させ、種々の得点換算を行う。
理論がかなりかなり難しく、ボクはゼミ発表のため必死で勉強するも、なんとなくしかわからず。
外国人の顔写真であることから、日本人になじまないとする説もあるが、ボクはこの時、外国人の顔だろうと関係ないと確信した、というわけ。
多分心理屋さんが聞いてもマニアックな話です、失礼。
その後ボン市内に行って
ごはん食べた後に、ベートーベンの博物館に連れて行ってくれました
生家だったのかな、なんかゆかりの地のはず(笑)
中にはベートーベンの実際の顔から取った型で再現した胸像とか、直筆の楽譜とかがあったと思います。
写真が1枚もないので、撮影禁止だったのだろうと思います。
ボンはいわゆる、ヨーロッパの街並みだな~って思った記憶があります。
あと、レストランとかでトイレに行くと、トイレキーパーみたいな人がいて、その人にチップを払うってのが慣例みたいでした。
そのために小銭を用意しとかないといけないっていう。
そのイメージがあったので、アメリカはトイレフリーで楽だなって思った記憶がある。
あと、商店街とかもうろついたんだけど、日曜日だったので全部お休みだったんだよね。
今はどうか知りませんが、当時は法律で、日曜はレストランとか一部のお店以外の一般的なショッピングのお店って、全部休みって決まってたらしい。
なので、みんな買い物は土曜にするって話でした。
ボン市内を後にして、途中の景色のいい場所に寄ってくれました
車で坂を上った先で、すごく見晴らしがよかった
デュッセルドルフに戻って来て、友人一押しのレストランに行こうとしたら休みで、次点?のレストランに行ったんだっけ
このごっつい肉の塊に、どーんとナイフが刺さってるのが伝統料理らしくて、これを相方は食い切ってたからね(笑)、ま、今より若かったし。
夜の10時過ぎてもまだ明るくて、堪能したのを覚えてます。
翌日ケルンの大聖堂に上りました
中広いな~って思った
ステンドグラスがきれいだったな
階段で上に行くと、フェンスでガードされてて
意外と狭いんだよね
上からの眺めはきれいでした、開けたところには出ないんだけど
間近に見えるのはちょっと感動
わ、こんな凝った彫刻、下からは見えてないんだろうな~
鐘が鳴るんだよね
この鐘の音を収録したミニCD入りのレターセットみたいなのを買って、ドイツから送った覚えがある。
この日、ライン川沿いのリューデスハイムって街に宿泊予定だったので、途中の街からフェリーに乗ったんだ
フェリーに乗る前にご飯食べたんだけど
この立派な白アスパラ、シュパーゲルっていうんらしいんだけど、これがすごく名物なんだって。
だけど、時期が6月の上旬位までらしく、ボクたちが行った時には、ほとんどどこも終わっちゃってたの。
それが、ここのレストランはあるっていうので、わ~いありつけた、というわけ。
日本でこの雰囲気のアスパラって、缶詰の細いのしか見たことなくて、あんまり好きじゃなかったんだけど、これはちゃんとアスパラって感じで甘くておいしかったな。
緑のとは風味が違うので、別物だなって感じ。
ここからフェリーに乗って
古城ホテルとやらを眺めつつ
泊まってみたいけど行くの大変そうだなとか
結構たくさんあって驚きつつ
のんびり到着、いかにも精度の悪い翻訳ソフトって感じの日本語アナウンスがあった記憶があります
リューデスハイムは、真珠の街ともいわれる美しい街で
ホントは向こうに見えてるゴンドラに乗って、上まで行って眺めるとよかったらしいんだけど
とにかく寒いし、雨も降ってるし、おまけにホテルにバスタブがなくてボクは超不機嫌になりで、ゴンドラに乗る気力もありませんでした。
良くも悪くもバリバリの観光地化された街だったので、すごくきれいな半面、いかにも観光客相手の商売もたくさんありました。
特に夜に行ったレストランは、料理の印象はほとんどないのですが、バンド演奏していて、上を向いて歩こうとか流れてきてびっくり。
それがウケそうな年代の日本人が多く旅してる時期だと思うし、各国向けのそういうのやってたので、リサーチしてるんだろうなと思いました。
結局この街で大ヒットしたのはこちら
友人が教えてくれたワイン屋さん
ここでほろ酔いになっちゃうほど試飲して、アイスバインってうまいんだな~と感激。
2本くらい買った記憶があります、まだ先あるのに、おいしすぎて。
ここから次の宿泊地へ電車で移動しようとしたんだけど、途中で電車がトラブって、振り替え輸送になって
いやいや、ボク、個人旅行だったらこういうのお手上げだなって思った。
結局、このバスには乗れなくて、こっちの不思議な車に乗せられたんだっけ
なぜかこういうワンシーンはちゃっかり写真に残っているという。
これでどっかの駅まで連れてきてもらって
ハイデルベルクへ
すごく小さい街で、中心の広場みたいなところのすぐ脇のホテルに泊まったんだけど
街が集約されてる感じでした
ここで名物のマウルタッシェンを頂きました
水餃子みたいなので馴染みがあったね。
翌日、広場の向こうに見えていたお城の方へ
上に上るといい眺め
建物は大迫力
中にワイン樽のデッカイのがあって
相方は試飲してたはず。
不思議な動物にも遭遇
さらに奥まで行くと、まさに古城が間近って感じでした
古城と街
観光客も少なめで静かな街でしたが、ボクはすごく気に入りました。
この後ラストの宿泊地、ミュンヘン入り、超有名なホーフブロイハウスへ
この1L?ジョッキを、5つくらい、若い女性ウェイターが普通に持っていたのにビビった。
グラスもいろんな種類が大量に並んでました
生演奏とかもしてて
6月末なのに記録的な大寒波が来ちゃって、超寒かったので、ガンガン暖房かかって、ビール飲ませてるって言う(笑)。
ここで白ソーセージ食べたのがめっちゃうまかったんだけど、写真が残ってなくて。
食べるのに必死だったのかも。
翌日は市内観光
時計台なので、定時になると、この子たちが踊ってて
確かこの向かいにあった高い塔に上れて、市内を一望
その後、てくてく歩いて
中を見たような記憶があります
確か中は王宮みたいな感じだったと思います、多分撮影禁止だったのでしょう。
プラプラしてるだけで街並みがおもしろかったなって言うのと、やっぱり第二次世界大戦で負けて作り直してるので、新しい街並みの部分も結構あるなって思った記憶があります。
この日の夜も相方はビール三昧してて
これなんだっけな、魚料理だった気がする
これはアペタイザーで頼んだ肉団子なのに、え?メインのハンバーグ?みたいな量でおどろいた
肉肉しててうまかった。
ミュンヘンは2泊したんだよね。
翌朝、確か相方が仕事しててさ。
ネットでどこでもつながるって便利だけど大変ね、とか思って、郵便局にハガキ出しに行った覚えがあるな。
ユーロ硬貨が全然わかんなくて、有り金全部広げて、おじちゃんに取ってもらったという(笑)。
治安が悪い街だったら、全部持ってかれるっつーの。
あと、地元のスーパー覗いたりしてた
その後ブランチでカフェに行って、でっかなケーキに挑戦
アメリカのと違って、甘いだけじゃなくちゃんとおいしいんだけど、でもギブアップしたな…
相方はその後マーケットの屋台で口直し
ザワークラウトも、どこもうまかったね、味がちょっとずつ違うんだよね。
マーケットも嬉々として散策した記憶があるけど、当時は今みたいに写真魔じゃなかったせいか、全然残ってません…
はちみつの専門店が気に入って、小瓶に入ったはちみつやら、石けん、ハンドクリームとかいろいろ買いました。
この日は有名な美術館に行って
さすがにこれは知ってるわ~とか
どっかでも見たなとか
どしょんぼり
パニック~
とか相方にコメントを食らいながら見て回り、その後ドイツで最後のごはん
ソーセージもその土地その店によって違うんだよね、どれもしっかり味でおいしかった
プレッツェルって塩味の聞いた硬いハート型のパンあるじゃん、あれを輪切りにしてスープに浮かべた物
珍しかったのでよく覚えてます。
マーケットに売ってるいろんなものが、ほとんどお土産としては持ち帰れないモノばかり、ぶっとい白ソーセージとか。
で、住みて~な、あ、でもロンドンが先か、とか思いながら帰ってきました(笑)。
ってことで、書いてる間にもう親戚は帰ってきちゃいそうな時期なんだけど(汗)、懐かしく覚書でした。
P.S.
指先を火傷して水膨れになってしまい、キーを打ちづらいので、更新が滞り気味で失礼しております。
皮膚科では痕が残るかもしれないと言われて超凹んでおります…が、せっせと薬塗って治していきます、キー打てないと死活問題なんで(そこかい!)☆
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