布忍神社の参道②我堂八幡宮(松原市・天美我堂)に関する記事です。

我堂八幡宮は近鉄河内天美駅の西南1KM、
西除川左岸に鎮座します。

我堂天美マイマップ

我堂天美マイマップ

我堂八幡宮は厄除宮として有名で
江戸時代には十五社明神などとよばれていました。

現在は開運松原6社参りのひとつで境内には我堂八幡宮を始めとし、
布忍・阿麻美許曾・屯倉・阿保・柴籬神社への誘いが多くありました。
一日で回ろうとするとかなりな距離になります。

我堂八幡宮の鳥居
我堂八幡宮の鳥居

創始は不明ですが石清水八幡宮の分霊を勧請しました。
堺市の百舌鳥八幡宮からの勧請ともあります。

祭神:品陀別命

神宮寺の本尊に永和3年(1377)の銘があり、
室町時代かそれ以前にはこの場所に神宮寺がありました。

我堂八幡宮の拝殿
我堂八幡宮の拝殿

明治初年まで現在の社務所の場所に神宮寺の黄檗宗寺院がありました。
南北朝時代永和3年(1377)に成田氏が寄進した 阿弥陀如来が本尊でしたが
現在は近くの善正寺に移されています。

鎮座地の我堂はその神宮寺によるものと思われます。

我堂八幡宮の拝殿内部
我堂八幡宮の拝殿内部

境内には江戸時代から昭和初期にかけて若者が力競べをした
力石・龍王石・八幡石・金剛石・明治石など6基の力石が並べられています。

力石は20貫~30貫の重量で米俵一表16貫(60KG)より重く設定されました。

力石
力石(我堂八幡宮)

社務所
社務所(天美我堂宮)

境内の楠木前には猿田彦を祀る白髭神社があります。

大きな瘤がある樹齢200年の楠で、瘤内部には雨水や枯葉が溜り土壊化されて、
その中に生命力が溢れるメギ科南天が育っています。

白髭神社
末社白髭神社

神社周辺は旧石器時代から中世に及ぶ大和川今池遺跡の地に当ります。

神社前の府道大堀堺線の拡張工事では
平安時代の掘立柱建物・井戸・土坑などが検出しました。

大和川今池遺跡
大和川今池遺跡(山口家住宅前)

ハソウは瓦泉と書き、古墳時代中期に渡来人によって
大陸から伝えられた須恵器の一つです。

上部から酒を入れ胴部の穴に竹のストローを差して注ぐというもので、
祭りの時などに使われました。 

大和川今池遺跡出土品
大和川今池遺跡出土品(古墳時代の長頸壺・ハソウ)