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店町の後ろには、挨拶の機会を伺っている人たちが何名か待機していた。

 

店町は受け取った名刺を大切にしまって少し早めに会場をあとにした。一仕事終えた気分で店町は電車に乗った。宗像の秘書として政治家に親しく口を利いてもらえたというこの経験は、店町の中に一種の興奮としてしばらく留まった。

 

その後、宗像はヨーロッパの代理店社長が来日した際に商談場所としてリッツ・カールトンホテルのスウィートルームを指定したことがあった。その部屋で夕食を兼ねた打ち合わせが行われたのである。二十三階にあるその部屋は、ベッドルームとリビングがドアで仕切られていて、古きよき時代のアメリカ合衆国の面影を残した家具類で飾られていた。大きな白いテーブルを挟んで、アランドリー側からは宗像と取締役三名が席に着き、代理店側からは社長、販売担当役員そしてセールスマネージャーが参加した。末席に座る店町の隣に貿易会社の通訳担当者が座った。

 

店町は場の空気を読むのがとても上手くなっていた。お酒を飲めない役員には、ウエイターに命じてタイミングよくグラスを差し替えさせた。

 

海外からの来客に対する宗像の対応は、また一味違うものがある。相手に応じて対応を戦略的に変えるという企業家としての柔軟性が発揮されていた。商談後には、日本的な土産物をプレゼントすることを欠かさなかった。それらの配慮が商談を有利に運ぶきっかけともなっていた。

日本国内の顧客が相手である場合には、商談後に自社製品をプレゼントすることもあった。そのたび店町が営業担当者とともに顧客の自宅に配送設置に出向いて、帰りに古い洗濯機を引きあげてくるのである。

 

新製品がヒットして販売が軌道に乗りはじめると、宗像はその自信作を取引先のキーマン、参加団体の役員などに無償提供する提案を店町に指示した。不良返品率の高い初回ロット製品を避け、第二ロット製品以降を提供にあてた。

まず手はじめに、宗像社長の自宅に配送設置に伺うことになった。店町は毎月給料を届けに訪れているものの、家の中まで入るのははじめてである。広いリビングの奥に、これまた広いキッチンが見えている。洗濯機を設置する洗面所も広い。新製品と置き換えに引き上げる洗濯機は、四年前にアランドリーが発売した製品だった。

 

洗濯機のプレゼントは取引先にたいそう喜ばれた。実際に利用するのはキーマンの奥さんであるため、その評判は間接的に企業経営に良い影響を与えた。宗像はキーマンの夫人の心を掴んでおくことの大切さを知っていた。それを戦略的に上手く利用したのだった。

 


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