平成3年の秋。
我々の卒論だが、グループ発表でテーマは「トラス橋の設計」だった。
※トラス橋とは簡単にはアーチ状の橋の事
この論文のチームが、前日お話しした「6名+私」の7人だった。
論文制作も佳境に入ってきたこの頃、みんなで鍋でもやらないか?という話に。
場所はもちろん、私の部屋。
(みんな大阪府民の自宅通学だったので)
予算を決めて材料はみんなで買うことに。
せっかくみんなでやるんなら、すき焼きにしようかと。
見た目から入る私は、すき焼き鍋を道具屋筋へ買いに行った。
道具屋筋は千日前商店街にあり、東京の合羽橋と同じく業務用店の通りだ。
ロアの備品もほぼココで買っていた(私が買いに行かされた)ので、この界隈も馴染であった。
※私がダイニングバーをやる時の備品も、全てココまで買いに来た。
厨房器具屋が鍋を扱ってる場合が多く、見た目も良さそうなすき焼き鍋を購入。
2000円ぐらいだった。
私にとって、すき焼き鍋で「すき焼き」をするのは人生初だった。
(私の実家では、すき焼きは普通の鍋でやっていた。笑)
20代前半の男子7人だと、結構な量を食べるんじゃないかということで、肉はママに相談を。
ママが取引のある肉屋から、業務用価格ですき焼き用の肉を3Kg購入。
日曜の夕方。
みんなが私の部屋に来て、野菜/酒の買い出し。
私の部屋から徒歩10分ぐらいのところに「万代百貨店」があった。※大阪ローカル
万代百貨店だが、名前は百貨店と付いているが、ただのマーケットだった。
値段が安く、ほとんどが100円前後で購入でき、4年間非常にお世話になった。
料理ができるのは私だけなので、準備は私に一任されていた。
代わりにみんなが、後片付けをすることに。
私は今まで生きてきた中で、沢山の鍋料理を食べてきたが、いつまでたっても、この日のすき焼きより美味い鍋には出会ってない。
実際には「わりした」とかは「エバラ」のやつを使ってたんで、これを使えば同じ味なはずなんだけど....
一緒に食べたメンバーというスパイスが、普通のすき焼きを最高級の味に変えていた。
この約4年間。
この7人全員は、「昼は労働/夜は学校」の生活を共にしてきた盟友だ。
過酷な環境での大学生活だったため、この7人がまとまるには3年という時間を要してしまったが、「最後の1年」で十分4年分をみんなと過ごすことができたと思う。
この学校に来たのには、みんなそれぞれいろんな理由があった。
やっぱりみんな「学費の安さ」でココを決めていた。
一番謎だったのは、原西だった。
原西は、物凄く優秀で、4年間の成績は全て優(オール5と同じ)だった。
実際ものすごく頭がよかった。
なので、何故ここに来ているのかが分からなかった。
このレベルなら、有名国立の特待生も可能で、学費免除で行けただろうに....
※原西は家庭環境に少し問題があった。
しかし、原西はクラスで断トツトップの成績だったため、先生の会社(大阪本社の超一流企業)へ、先生の推薦で入社(本社採用)した。※確か先生はその会社の部長クラスだった
超一流大学からの入社が殺到している企業へ入社できたのだから、蓋を開けてみれば、この学校でよかったんだと思う。
実は、原西はこの7人の中で、一番最初に結婚をした。
確か24歳の時だったと・・・・
イキナリ結婚に踏み切ったのだが、それには理由があって、
奈良か?どっかにいる、有名なよく当たる占い師のばあさんから、「君たちはすぐに結婚しなさい!」と言われたため、その3ヶ月後に結婚した。
どうしてそのばーさんの言うとおりにしたかと言うと、そのばーさんは、原西しか知らない秘密を数個当てたらしい。
もちろんその秘密は我々も知らないんだけど、ばーさんは質問からではなく、直球で。
このばーさん見てたんじゃないか?と思うくらい当てたため、全て信用したと。
しかし、原西は結婚1週間前まで、嫁以外に彼女が5人もいた。
最後の1週間をかけて、結婚の事実は伏せて別れたようだった。
こいつは、頭がいいので上手なウソをついたと思う。
友人たちとのなごみタイムを過ごした後に・・・・
私は大事故に遭遇することになるのであった。
つづく....
是非!
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