*前回の7『自分を好きになっても良いという許可を出す』についての

 補足的な位置づけでお読みください。

 こっちを先に書けばよかったかも・・と思いつつ・・ご紹介。

 

自分で自分のことを好きになるには

自分の『良いところ』に目を向けることが大切です。

 

・・って言ったら、あなたはどう感じるでしょうか?

 

私はかなり長い間

この言葉が好きではありませんでした。

 

だからずっとこの言葉に耳を傾けて来ませんでした。

 

どうせ無理

私の良いところなんて

見つかりっこない。

 

そんな気持ちでした。

同時に

 

少しばかり良さを見つけたところで

この強大な自己嫌悪をぬぐえるはずがない。

 

って思っていたからです。

 

大嫌いな自分。

生き辛い自分。

だめ人間の自分。

 

そんな風にしか自分のことを思えなかったんです。

 

だから

どうしても

「自分の良いところを見つける」

っていうことを実践する気にはなれませんでした。

 

鏡に向かって自分を褒めてみようとか

ノートに良さを書き出してみようとか

たくさんの本にも書いてあったし、

そうアドバイスしてくれる人にも出会えていました。

 

そして、

自分の良さを見つけて

自分を好きになることが、

この生きづらさから自分を解放する道なんだ

っていうことも頭では分かっていました。

たくさんの人がそう言ってるんだから

やってみれば何か変わるのかも・・と理解は示すものの

 

でも、それでも

どうしても、そうしてみる気になりませんでした。

 

大嫌いな害虫を

どんなに理屈で説明されて、

危害を与えられないと説得されても、

心地よく共存していける気がしません。

 

そんな気持ちと同じような感覚でした。

 

そんなことしても無駄。

どうせ好きになんかなれっこない。

 

この無価値感はぬぐえない。

ぬぐえるわけがない。

 

そんな気持ちでした。

 

だから

今こうして

自分で自分を好きになれない人に向かって

 

『自分の良さに気づいてください』

って言うことが

どんなに心に響きにくいものなのかを

私はよく知っているつもりです。

 

でも

それでも

そんな私でも

そんな私だからこそ

今、自分で自分のことが嫌いで苦しいあなたに

お伝えしたいことがあります。

 

どうしても

お伝えしたいことがあります。

 

それは

 

「あなたの中には豊かな心が流れています。」

 

ということです。

 

自分では気づいていないけど

あなたの中には

優しさや愛情っていう

『豊かさ』が流れているんです。

っていうことを。

 

どうしてもお伝えしたいんです。

 

長くなってしまいますが

今日はそのことについて

心を込めてお伝えしたいと思います。

どうか自分で自分を嫌いなあなたの心に届きますように・・・

 

 

キラキラ実践編8自分の中に流れる豊かさに気づく流れ星

(どうして人の顔色を伺っていたのか?についてとらえ直す)

 

私が自分の中に流れる豊かさに気づいたのは

本当につい最近になってのことです。

自分の中に流れている豊かさがあるなんて・・・

以前の私は、まったく想像さえしていませんでした。

 

ずっと長い間、自分のことを

「人の顔色をうかがってばかりいて、

他人から嫌われることを恐れてばかりいるだめな人間。

びくびくした人間だ。(人間だった)」

そんな風に思って生きてきました。

 

でもある時、気がついたんです。

やっと気がつくことができたんです。

 

もしかして私って、

人と仲良くなりたいっていう気持ちが

大きかったんじゃないだろうか?って。

 

ふと疑問がわいたんです。

 

人の顔色を見ていたのは、

人から嫌われないためだけだった?

本当にそうだった?

それだけだった?って。

 

いつも人の顔色をうかがっていた自分がいやでした。

嫌われないように、いつも心を制御して、

相手の顔色を見ながら話す自分が本当にいやでした。

 

でも、よく考えてみました。

よくよく考えてみました。

よくよくよくよく思い出してみました。

 

いつもどうして人と会うと疲れたいたんだっけ?

いつもどうして人と会うと反省会ばかりしていたんだっけ?

いつもどうしてあんなこと言わなければ良かった・・って

後悔していたんだっけ?

 

自分が嫌われたかもっていう思いだけ?

本当にそれだけだったっけ??

 

・・・

 

・・・

 

ちがう。

そんなことない。

 

いつも思っていました。

 

あんなこと言って悪かったかな?

あんなこと言って誤解されてないかな?

あんなこと言ったけど、悪い意味に聞こえちゃってないかな?

 

それって嫌われたくないから?

それって自分を守るため?

それって何のために?

 

そしてやっと気がつきました。

 

私は自分が相手を傷つけたかどうかを気にしていたんです。

 

私は、「私の何気ない一言」で、

相手のことを傷つけたくなかったんです。

 

やっと自分の中にあった気持ちに気がつくことが出来ました。

 

もちろん人に嫌われたくなくて

相手の顔色を伺っていたのは事実です。

けれど、同時に

何気ない自分の言動によって、

相手を傷つけてしまうのではないか。

傷つけたくはない。

という気持ちを,とても大きく持っていたことに

気づくことが出来ました。

 

人との会話中、

私の中に悪意はありません。

けれど、だからこそ、

何気なく発した私の一言によって

相手が傷ついてしまうことを

ひどく敏感に恐れていたんです。

 

それは、当時の私が

自分が他人の言動によって

いちいち傷ついていたからだと思うんですが、

自分が傷つきやすかった分だけ、

相手も私の何気ない一言にきっと傷つくにちがいない。

だから言葉に慎重にならなければならない。

相手を傷つけたくはない。

そう思ってきたんだということに気がつきました。

 

そしてやっと分かりました。

 

私は何気なく発した自分の言葉で

人が傷つくのを見たくなかったんです。

 

誰のことも傷つけたくはない。

 

そんな気持ちを持っていたんです。

 

それって・・・

私の心の中に

愛と調和を求める心があるってことかも・・

って、感じました。

 

私って、誰のことも傷つけたいと願っていない。

みんなと仲良くなりたいって願っていたんだ。

私の言葉で誰も傷つかないで欲しいって願っていたんだ。

 

だから人の顔色が気になっていたんだ!

 

それは大きな発見でした。

 

それって、悪いことじゃない。

だめなことじゃない。

 

むしろ豊かな心なんじゃないだろうか・・・?

 

長い間、だめな自分と信じてきた面が、

自分の中のオセロの黒が白に裏返ったような

気持ちになりました。

 

そしてさらに、こうも考えました。

 

そもそも私は

どうして自分で自分のことが嫌いになってしまったんだろう?

 

親に愛されたかったから?

親の顔色をうかがっていたから?

自分の気持ちを押し込めてきたから?

自分のことが分からなくなったから?

 

それって悪いこと?

そのことについてもよく考え直してみよう・・

って。

 

親に愛される方法を一生懸命模索して、

その結果、自分の形をゆがめてしまった。

本来伸びたかった方向ではないけれど、

親が喜ぶ方向に枝を伸ばした。

そのことによって、

本来私が伸びたかった方向に伸びなかった。

そのために窮屈になった。生きづらくなった。

本当の自分を感じられなくなった。

 

それってホントにだめなこと?

そもそもなぜ、私はそんなことをしたんだろう???

 

それもやっぱり

私の中の愛情を求める気もち・・

「人と調和したい」

っていう根っこにあった大きな気持ちが

そうさせたんじゃないのかな・・って。

 

別の形もあったはずなんです。

私が自分の生きたい方向に伸びつづけて、

親のほうが自分の許容量を広げていく。

子のありたい姿を許し、自らの価値観を変化させていく・・

 

そういう生き方もあったはずなんです。

 

でも私はそれをしなかった。

 

なぜ?

 

もちろん親子関係の力の差で、

できなかったというのもあります。

 

でも私はそこに、自分の中にあった

「愛を求める気持ち」

「調和を求める気持ち」

を感じました。

 

どうにか愛を得たい。

幸せになりたい。

 

そのためには、

親の気持ちを尊重して、

自分の存在を小さくしてでも親に合わせて

どうにか親に喜ばれるようにしたい。

そして愛を得たい。

幼い頃からそんな気持ちが私の中にはあったんです。

 

幼い子供が親の顔色を伺うのは当然でしょうか?

普通のことでしょうか?

そう言ってしまえばそれまでかもしれません。

でも私は

愛されるために自分を小さくして

親に愛されようとがんばった自分を

認めてあげたいと思いました。

 

愛を探して、愛を求めて

「愛を得られると信じた方向に伸びようとした自分」を

『小さいのにがんばったね!!』

って、認めてあげたいと思いました。

 

自分を自分で嫌いな方へ、

あなたはどうですか?

 

自らの望む方向に伸びやかに成長してきましたか?

 

もし、あなたが私と同じようにそれをしてこなかったとしたら、

それはなぜなんでしょう?

 

あなたも愛されたかったんではないんですか?

 

「愛を求める気持ちや調和を求める気持ち」

があったからではありませんか?

 

愛されるために、

自分を曲げてでも相手を尊重し、

相手の気持ちに沿おうとしたのではないですか?

 

それって優しさって言えるんではないでしょうか。

愛に基づいた、愛を求める行動・・って言えるんではないでしょうか。

それって『豊かな心』って言えるんではないでしょうか?!

 

小さかった自分なりに

一生懸命愛の方向に舵を切った。

愛を得られる方向に生きようとした。

それって

「豊かな心が奥深くに流れている」

って言うことなんではないでしょうか。

 

人の顔色を伺ってしまうのは、

自分の言葉で人が傷つくのを見たくないから。

何気ない一言で、相手を傷つけてしまうことを恐れているから。

 

親の顔色を見て愛を得ようとして、

親の望むような姿になろうとしたのも

全部、全部私たちなりに愛を探していたから。

相手と調和したかったからではないでしょうか。

 

私たちってそういう存在なのではないでしょうか。

 

調和しようとしたんです。

愛されようとしたんです。

愛し合おうとしたんです。

 

私たちの心の中には

愛を求める心が流れているんです。

 

それって私たちのすばらしさなのではないでしょうか?!

 

私たちは

人の顔色を伺っているだけの

だめな人間ではありません。

 

愛されようとして無理に自分を曲げた、

自分軸のないだめな人間じゃありません。

 

いつも相手と調和したくて

愛されたくて

愛したくて

心を愛に沿わせたくて

今日までがんばって生きてきた。

 

そんな存在なのではないでしょうか。

 

そのことに今

私たち自身が気づいてあげる必要があるって思うんです。

 

 

 


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