#17 時間と私

今日、何曜日だっけ?
とかふいに聞かれると、たいてい答えに詰まる。
プータローだから曜日の感覚がほとんど無い。
よく行くメシ屋がやけに混んでて、今日は混んでるね、と馴染みの店員さんに言うと、「日曜日ですから」と普通に言われ、ああ日曜日なのか、と思ったりする。

西暦何年?、と聞かれると、一瞬だが、反射的に、「千九百…」と答えたくなる。
いまだに気分は二十世紀であり、昭和である。

そんなふうだから、以前、五十歳の誕生日に母親から電話を貰い、「アンタもいよいよ五十やね」と言われたときは、絶句した。
気付いてはいたが、やっぱりそうなのか、と思った。

その五十から、更に十年以上が経ち、俺はいま六二歳なのだそうだ。

時間というやつは何をそんなに急いでいるのだろう。

いつからか時間についていくのはやめることにした。
当然、時代にもついていけなくなった。
立ち止まり、歩きだした俺を置いて、時代は遥か前方をひた走り、いまやもう、その背中も見えない。
べつに不自由も感じないので、ずっと歩きつづけている。
そのうち、一周してきた時代が俺の真後ろにくることもあるかも知れない。そのとき俺は、計らずも時代の先端を行くトップランナーになる。
いまだにカセットテープを聴き、いまだにVHSを観、パソコンも持たず、スマホもロクに扱えず、一日一歩、三日で三歩、三歩すすんで二歩さがる俺こそがアルファでありオメガであったことを世界は知ることになる。なわけねーだろ。