映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。
こういう、実在した人物を描いたものに映画としての出来不出来を感じるのは難しい。
難しい以前に、出来不出来を感じる必要などないのかも知れない。
観てよかったか?
イエス。
イエスなら、もうそれでいいのではないか。
淡々と、飛び石のように、フレディの、クィーンの、のこしてきた事実が語られる。
石と石との隙間に、語られないフレディが居る。
語られないフレディを語るのは、文学の仕事であり、映画の仕事ではないのかも知れない。
淡々と語られる映画を、淡々と退屈することなく観ていたが、ラストで思わず泣いてしまった。
映画にではなく、フレディの歌声のチカラに泣かされた。
語られなかったフレディの全てが、その歌声のなかにある気がした。
少なくともその数分間、ポール・マッカートニーも、ミック・ジャガーも、色褪せて感じられた。
だらだらいつまでも生きてんじゃねえよ。
自分にそう呟いた。