「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

モーツァルトの「アダージョとフーガ」 K546

2019年01月16日 | 音楽談義

以前のブログにも搭載したことがあるが、これまで10年間ほど加入していた「ボーダーレス・ミュージック・ランキング」がパソコンウィルスに感染して続行不能になったので、仕方なく昨年(2018年)の9月から「クラシック音楽・ランキング」に参加している。

実は加入にあたって「オーディオ部門」がないかと探したのだが見つからなかったので運営元に「オーディオ部門を創設してほしい。」と、要望を出しつつ、やむなく
「クラシック」部門を選んだ経緯がある。

したがって、いまだに「よそ者」という意識が頭の片隅にあってどうも居心地がよろしくない(笑)。「クラシック鑑賞には静謐感が必要」だから、騒がしい部外者が乱入して申し訳ないという気持ちも当然ある。


とはいえ、他のブログについても自分がイメージするクラシック部門にふさわしいかとなると少々疑問がつきまとう。

たとえば、個人的な意見を言わせてもらうと、「とても暗くて気が滅入ってしまう」ようなブログがあったり
、それかといえば「タイトルにわざわざ自分の名前を刻みこむ自己PR用」のブログがあったりで「クラシック音楽への愛情と造詣」からすると「?」かな~(笑)。

自分も含めてこれらのしっくりこないブログがランキングに溢れる中で光り輝く存在なのが「Ragdollの主題による変奏曲」さん。

正統派のホンモノのクラシック論が満載である。投稿は不定期だがこの方の過去記事にはいつも多大の敬意を払って読ませていただいている。タダで読ませてもらうのが申し訳ないほどだ(笑)。

その中で特に目を引いたのが「クレンペラーとモーツァルト」で、曲目は「アダージョとフーガ」(k546)の記事だった。

「モーツァルトの中でも筆者が好んで聴く作品・・・。円熟期にふさわしい深遠な楽想と対位技法の粋を凝らした名作中の名作。」とある。(無断引用ですからご指摘があればすぐに消去します。メルアドは自己紹介欄にあります。)

恥ずかしながらK546はまだ聴いたことがない。モーツァルトの何から何まで知らないと気が済まないタチなのでぜひ聴いてみたい気にさせられた。

オペラ魔笛がK620(35歳=死亡年齢)だから、K546となると30代の作品であることは間違いない。

自分が好きなモーツァルトの作品は「魔笛」は別格としても10台後半の頃のものに多く(K136、K165など)それ以降の作品となると円熟味が増す反面、いかにも彼らしい伸び伸びとした「天馬空を駆ける」趣が少なくなっていくのが不満。

はたしてK546はどうだろうか。

自分の場合、指揮のうまい下手はオペラの指揮を聴いてから判断することにしているが、クレンペラーの「魔笛」はとても良かったので今でも印象度Aランクに位置づけしている指揮者だ。

さっそく「HMV」にアクセスし1枚だけでは淋しいので「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」(K364)と抱き合わせで購入した。

    

結論から言えば「K546」は肌に合う曲目ではなかった。「正座して聴きなさい」といわんばかりの、まるで後期のベートヴェンを思わせるような印象を受けた。

晩年のモーツァルトの音楽は「親しみにくい」として聴衆からの人気を徐々に失っていったが、それと相通じるものを感じた。

しかしこの深い森を通り抜けた後に「突き抜けたような透明感」に溢れる「魔笛」が完成したのだから彼にとっては必然とされる道筋だったのだろう。

もう一枚のK364はヴァイオリン奏者がグリュミオーだったので購入してみたがパッとしなかった。

この曲目はヴァイオリンとヴィオラの押したり引いたりの「阿吽の呼吸」を愉しむ音楽だが、ヴィオラ奏者との息がいまひとつ合っておらず躍動感に欠けている。録音状態も悪い。

これに比べると「五嶋みどり」さんと「今井信子」さんのコンビの方がはるかに素晴らしい。両者とも世界に誇れる奏者であることを改めて確認した。

   

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