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沢田研二側、反原発署名運動が騒動要因の報道を否定』(10/21 日刊スポーツ)

https://news.biglobe.ne.jp/entertainment/1021/nsp_181021_0548743309.html

「歌手沢田研二(70)が17日のさいたまスーパーアリーナ公演をドタキャンした問題で20日、所属事務所が、会場内で「反原発署名運動」をしていたことが騒動の発端になったと一部で伝えられたことを否定した。

「会場の許可をもらえれば行うが、『さいたま−』では許可がないのでしていない。これまでも、今後も同じです」と話した。公演中止に伴う約4000万円ともされる損害について、損害金の負担などについては「現在はキャンセルをしたファンへの対応が最優先。それ以外のことはすべてこれから」と説明した。

 

沢田研二のコンサートドタキャン騒動は、中止の理由を巡って様々な憶測が飛び交ったが、「事前に所属事務所とイベンター会社から集客状況を9000人と聞いていたが、実際は7000人だったため、“客席がスカスカの状態でやるのは酷なこと。無理だよ。僕にも意地がある”」と沢田本人がブチ切れたため、という公式発表があった。

 

本当に子供じみた理由であり、一流のエンターテイナーとしてという以前に、一般的な大人としての自覚を著しく欠く発言で、呆れてモノが言えない。

 

反原発署名運動の件については、政治色が前面に出過ぎるのを嫌う沢田サイドから否定的なコメントがあったが、正直いって疑わしい。

 

さいたまスーパーアリーナは客席が可動式で、ライブ規模に合わせて1万人から最大3万7000人まで収容可能とのことで、最少の1万人として当日のチケット販売実績が7000人分もあれば上出来の部類だろう。

 

沢田氏は70年代から80年代初頭にかけて一世を風靡したとはいえ、ヒット曲が出ず一線を離れてからすでに35年以上経つロートル歌手の一人に過ぎない

しかも、近年の彼は、反原発運動に傾倒し、往年のヒット曲を期待するファンをガン無視して、ステージ上でも反原発や政治色の強いインチキソングばかりを披露し、ファンをがっかりさせていたそうだ。

 

そんないい加減な歌手のチケットが7000枚も売れたのだから、ファンというのはありがたいものだ。

 

彼は全国66か所もの公演を行っている最中だが公演会場は座席数が1000~2000席規模のものがほとんどであり、さいたまスーパーアリーナの公演では7000枚ものチケットがけたのに、その販売実績に不満を述べる理由が見当たらない。

 

最近、浜松市のアクトシティ浜松や札幌市の札幌文化劇場など政令指定都市で大規模なコンサートホールが新設されているが、そういった施設の大ホールでも収容規模は2000人程度のものが多い。

それから見ると、ブクブクに太って昔の面影すらなく、ファンが待ち望む昔のヒット曲すら謳わない往年のロートルスターが7000人ファンを集めたのだから、チケットの販売実績に満足こそすれ、不満を抱くなどとても考えられない。

 

彼のチケット料金は8000円に設定されているものが多く、単純計算で5600万円もの収入がある。(無論、実際にはタダ券も多数混じっているだろうが…)

一方、さいたまスーパーアリーナの会場使用料金は、リハーサルと本番を合わせても400万円程度と推測され、イベンターへの手数料やスタッフの人件費などを差っ引いても、十分に採算が取れる水準であり、集客数に文句をつける筋合いもなかろう

 

つまり、沢田氏本人は、集客数への不満を今回の騒動の理由と強弁しているが、それを裏付ける客観的なエビデンスもなく疑わしい。

彼や事務所は否定しているが、噂どおり、会場内での反原発署名活動を止めさせられたのが真相なのではないか。

 

一般的に我が国では、芸能人が政治的発言をすることに否定的な意見が多く、芸能人たちもそれを控える傾向がある。

 

筆者は、芸能人たちによる底の浅い政治発言など聞く気にもならないが、思想信条の自由という基本的人権に最も近い事柄である以上、芸能人といえども、周囲から政治的発言を禁じられるのはおかしいと思う。

 

芸能人の政治発言なんて、どうせ「反戦、環境保護、反ヘイト、反原発」あたりの低レベルで薄っぺらな内容でしかないが、それでも、彼らが自らの信条を外に向かって発信する自由を妨げてはならない。

あとは、自分の発した言葉がもたらす商売上のリスクやロス受忍すればよいだけのことだ。

 

彼らも自由に発言すればよい、ただし、「自分は好き放題モノを言いたいけど、外部からの批判は一切受けたくないし、リスクも負いたくない」というワガママは通らない。

 

沢田氏も子供じみた言い訳をしてコソコソ逃げず、コンサートをドタキャンしたのは大好きな反原発署名運動を禁じられたためだと堂々と宣言すればよい。

そんな根性もないのなら、反原発ゴロみたいなくだらぬ政治運動から手を引くべきだ。

 

彼は、「自分の意地を通した」なんて格好つけてイキがっているが、彼がしでかしたことは、カネも時間も使って来場したファンの方々の楽しみや苦心を土足で踏みにじる裏切りである。


ドタキャン分の振り替え公演をするなんて言ってるが、日程の都合をつけねばならず、交通費二重に払わされるファンにとっては詐欺にも等しい言い訳だろう

 

そもそも、反原発とか環境活動に異様な執念を滾らす輩は、正義ヅラする言動とは裏腹に、人を人とも思わぬ傍若無人な態度を取りがちだ。

 

そういった人種が根源的に持つ「他人を敵視する人間嫌いな心根は、感情を過小視してシステムや数理的公式を過大に持ち上げる新自由主義者の思想に通じるものがある。

 

彼らは、自然とか環境、地球、平和といった大きなテーマに逃げて、そこに暮らす個々人、つまり、他人の人生や生活、心情の変化といった小さな事象を軽んじる傾向がある。

 

他人が目を見張るような読書量でとても博識なのに、自分勝手に振る舞い他人に迷惑をかけ、書籍に書かれている条理やエッセンスをまったく実践できていない人が、拙ブログの読者の皆様の周りにもいるのではないか?

反原発ゴロや環境活動ゴロを目にするたびに、筆者はそうした頭でっかちで行動力を伴わない愚鈍な人物と重なって見える。

 

彼らは、美しい言葉を使い正義感溢れる目的を追い求める自分の姿に酔っているだけに過ぎず、それによって迷惑を蒙る他人のことなど歯牙にも掛けようとしない。

常に自分が主役で中心にいないと気が済まない偏執的な自己愛と、それに反比例するがごとく些末な他者への思いやり、それこそが人間嫌いのゴロツキどもの本質なのだ。

 

彼らの卑しさが解る過去記事はこちら

「人として最低限のルール守れ」 暴言に無許可テントの反原発派に住民「ノー」

https://www.sankei.com/life/news/151015/lif1510150029-n1.html

 


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