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消費税率10%への引き上げまで1年を切る中で、“日本は他国より国民負担率が低いのだから、国民は文句を言わずおとなしく増税に応じるべきだ”という積極増税派の妄言がやたらと目につく。
『全国民に批判されても、僕が「消費税を上げるべきだ」と叫ぶ理由』(11/27 現代ビジネス 井手英策:慶応大学経済学部教授)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58620
井手氏の主張はコラムのお題目以上でも以下でもない。
要は、「安心安全社会を創るには社会保障制度の充実が不可欠。必要な財源を捻出するために増税で痛みを分かち合おう。共生社会を理想とする日本人なら反対しないよね?」と言いたいわけだ。
彼の主張をいくつか要約して列挙してみよう。
・税が高い社会が悪い社会というわけではない。税は「ともに生きる意志」を表す。税の痛みが強い社会とは、そこで生きる人たちが「ともに生きる意志」を持てない分断社会だ。
・増税忌避の結果生じた財政赤字や政府債務は分断された社会の象徴だ。
・日本では自己責任論が横行し、生活保護の利用率が他国より著しく低くなるなど社会福祉制度に頼りづらい空気が蔓延している。
・消費税を7%強上げれば、子育て、教育、医療、介護、障害者福祉といったベーシックなサービスを無償ですべての人に提供する「貯蓄ゼロでも不安ゼロ社会」を創ることができ、税は「痛み」から「暮らしの会費」に変わる。
・財政支出のための国債を発行すると銀行への利払い費が発生する。銀行は私たちに金利を払ってくれないのに、毎年3〜4兆円が銀行への利払い費で消える。税は貧しい人たちも払っており、そのお金で銀行が豊かになるのはおかしい。
・高齢化社会を迎えて将来不安による貯蓄が積み上がり、「蓄え」が「過剰」になり、その分「消費」が「過少」になりがちだ。そこで、増税により個人の蓄えを社会の蓄えに変え、人間の暮らしのために使った方が景気は刺激されるはず。
彼の文章は、論理も無茶苦茶、切り口もデタラメであり、読んでいて頭痛と目眩が止まらない。
この程度の経済認識で学者を気取れるのだから本当に恐れ入る。
念のために指摘しておくが、井手氏の言う「私たちの税金が国債利払い費に使われ、銀行の懐を潤すだけ」という戯言はまったくの見当違いで、銀行に支払われた国債利払い費の大半は、巡り巡って国民や企業が一方的に銀行に押し付けた巨額の預金(=銀行にとっての借金)の利払い費用に消えてしまう。
昨今の地方銀行の苦境を見れば、それくらいの理屈はすぐに理解できるはずだ。
彼が言いたいことをさらに要約すると、
①社会保障や福祉制度の立ち遅れが、日本国民の生活満足度を引き下げ、消費切り詰めの真因だ。
②これ以上の財政赤字は容認できぬ以上、増税により国民が痛みを分かち合うしかない。
③増税負担によるデメリットよりも、社会保障の充実により安心安全社会が生まれるメリットの方がはるかに大きい。
④増税に納得できない国民は、ともに生きる意志を持てず分断社会という厄災を招くだけの二流国民(=非国民)だ。
といったところか。
井手氏のような積極増税派は、国民を増税の前に平伏させるために、えてして社会保障制度を人質に取ろうとする。
社会保障に連なる“弱者保護、共生社会、相互扶助社会”といったキーワードさえ掲げていれば、マスコミやレフトスタンド(左派)に居座る連中を黙らせやすいからだ。
そうした連中は、事の最初こそ、消費税は逆進性が強く弱者の生活を直撃すると騒ぎ立てるが、たいして長続きしない。
彼らにとっては、増税で苦しむ庶民の生活よりも、国の財政再建の方が遥かに重要かつ優先度合いが高いため、そもそも増税に反対する気も薄く、「増税せざるを得ないのは公共事業や公務員給与など無駄遣いが多いせいだ」とか、「社会保障財源を確保するには増税が不可避。いまこそ助け合いの精神を‼」と、ちょっとばかり議論の方向性を変えてやれば、待ってましたとばかりに増税容認へと舵を切り始めるから、彼らをコントロールすることなど屁でもなかろう。
井手氏は、「病気・介護・失業・子育て」というセーフティーネットさえきちんと整備されるなら、国民はどんな重税であろうと喜んで耐えるべきだと訴え、病気をしても、失業しても、長生きしても、子どもをたくさん作っても心配不要になる「貯蓄ゼロでも不安ゼロの社会」をつくろう、「税は痛みではなく、“暮らしの会費”」だと強弁する
積極増税派はセーフティーネット万能論を唱えがちだが、増税がもたらす収入&貯蓄減という“日常生活の破壊と悲劇”を放置しても、医療・介護・失業対策という“非日常的リスク”さえフォローしておけば国民が安心できるはずというのは、大いなる勘違いでしかない。
市井の人々は、日常生活の中にある労働を通じ、家計を支え人生設計を担保する収入を得ており、日常生活と非日常生活(病気・被介護・失業等)とを比較すると、前者における生活時間の方が圧倒的に長いのだ。
よって、人生の母艦となるべき日常生活を破壊された状態で、非日常生活のリスクだけが減っても意味がない。
井手氏は消費税率を現行より7%ポイント上げろ、つまり、15%にせよと叫んでいるが、あらゆる消費に+15%ものペナルティが課されるのだから、消費はシュリンクし、内需のクラッシュは免れまい。
そうなると、企業業績は急降下、国内労働市場には失業者が溢れ返るに違いないが、彼は「たとえ失業者だらけになっても、増税を原資に生活保護や失業対策は万全。これには国民も皆にっこり」なんて言い張るつもりなのか??
増税という社会的コストを払い社会保障を充実させるべきと言うが、これまで消費税率が3%→8%に上がっても社会保障費は毎年のように財源不足状態で、一向に充実する気配はなく、医療費の自己負担率は増える一方、年金支給開始年齢は後退を繰り返すという体たらくで何の説得力もない。
いくら増税しても、もしもの時の備えは万全とは程遠く、しかも人生において、もしもの時なんてほんのひと時に過ぎないから、人々は、それ以外の日常生活における満足感や充実感がない限り安心することができず、消費に対して消極的な態度を取り続けるしかない。
そもそも、安心や安全を得るための財源を“税金だけ”に求めたがる発想が、非合理的かつ安直で時代遅れも甚だしい。
税を重くして“痛みの分かち合いごっこ”に興じるのは夢見がちなバカのやることで、財源が足りなければ国債や紙幣の増刷で対応すればよいだけのことだ。
課税に拘り国民をいたぶって内需に冷や水を浴びせないと、社会保障の安全安心は手に入らないと二者択一を迫る言い草には合理性の欠片もない。
増税がセーフティーネットを充実させ安心安全社会をもたらす、なんてのは質の悪い冗談にもならぬ究極のバカ論だ。
重税は国民の収入を名実ともに減らし、国民は、安心どころか我慢と不満を募らせ、将来を悲観して消費にブレーキをかけ、経済を低迷と衰退のどん底に叩き込むだろう。
一方、国債や紙幣増刷により積極的な財政政策に転じるならば、一時的に多少のインフレが生じ、ある程度の物価上昇に対する国民の不満は免れぬかもしれないが、財出が将来の成長期待を生み投資や消費が活発化して好景気が到来する。
経済成長により国民の収入は長期的に上昇へと転じて消費は過熱し、実体経済は活気や活力を取り戻し、ディマンド・プル型のインフレに伴う痛みの分かち合いもスムーズに行われるだろう。
寒空の下でひもじい思いをして我慢の押し付け合いをするよりも、暖かな陽気の下で多少のお金を持ち寄って美味しい食事や酒を楽しむ方が、国民にとって遥かに楽しい時間を過ごせるはずだ。
大切なのは、井手氏みたいに、きれいごとを盾に不幸の押し付け合いを強要することではなく、誰の懐も傷めずに幸福の分かち合いをする手立てを選択することなのだ。
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