スポーツの見方、味方

スポーツのあって欲しい姿・・・私見

マラソンのペースメーカー

2018-09-20 09:48:09 | Weblog

マラソンの世界記録が出たところで、「ペースメーカー」について考えたいと思います。

 今や、多くの大会でペースメーカーを付けるのが当たり前になっていますが・・・そもそも、「陸上競技とは?」「マラソンとは?」から考えると、ペースメーカーそのものの是非論があっても良いのでは???

 知人コメント【メジャー大会ではボストンはずっとペースメーカーなしですし、NYCも何年か前に廃止。(シカゴも廃止しましたが今年復活)ボストン、NYCは激しい高低差のコースも変えず、高速化とは一線を画したスタンスですね。】

私は、ボストン、NYCのスタンスを支持します。マラトンの起源に敬意を表したいと思います。

 別の知人から【「元祖走る芸能人ランナー」高石ともやさん曰く「フルマラソンは今や『時計ばかりを追う競技』に堕ちてしまった。今や100kmウルトラマラソンもそうなり掛かっている。個人的には『時計ばかりを追う競技』には最早ロマンを全く感じなくなった。」】

ランニング学会初代会長山地先生のエッセイから【ペースメーカーの制度はマラソンレース序盤に生じる無用な争いを避け、個人の力を最大限発揮し、より良い記録誕生を祈念する形で生まれた。しかし、スポーツの世界では、安全や安定を願う余り意図的にペースをコントロールすることは、本来の競争や闘争の意義を見失うことにつながる。(中略)マラソンを走る前にどんなペースで走ればいいか、また走り始めて自問自答しながらペースを構築する能力が育たなくなるのである。また、ペースの上げ下げ(ゆさぶり)は作戦の重要な部分である。ペースメーカーの存在によってスタート直後から単調なペースが1時間余り続き、視聴者はその間の面白味が半減することになる。意図的にレースを制限することは、マラソン本来の競争原理を歪曲し、レースそのものの醍醐味を損なう恐れがある。】

https://e-running.net/0380cafe_no10.html

 「ペースメーカーによってスタート直後から単調・・・その間の面白味が半減」との指摘があります。

 導入前の1967年福岡国際マラソンでは、当時、自己ベストが2時間18分台という言わば二流のデレク・クレイトンが、20kmを59分59秒,30kmを1時間30分32秒というトンデモナイ速さで突っ走り、「こんな無謀なペースで行ったら、クレイトンは絶対潰れるはず。どこまで行けるんだ?どこで潰れるんだ?」と思いつつ見ていたら、そのまま行ってしまい、類で最初に2時間10分の壁を破ってしまいました。あの時の衝撃・興奮は忘れられません。

 つまり、本来は、ペースを作ること自体がマラソンという競技の一部のはずです。そのことの面白さに気づかず(あるいは無視して)誰にでも(子供にも)解りやすい「記録への挑戦」だけに絞るのは如何かと思います。



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