摂津ぶらり考②~坐摩神社とオコロ~ | NAVI彦 ~つつがなき神さまめぐり~

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神社めぐりをしています。
その土地ならではのお話も、
さくっとまとめてます。

摂津国一之宮の
坐摩(いかすり)神社です。



「坐摩」とかいて
「いかすり」と読むのは、

土地や居住地を守る
「居所知(いかしり)」が
転化したといいます。

けれども地元では、
「ざまさん」と
呼ばれているようです。

摂津国一之宮というと
住吉大社もそうなのですが、

ここはかつて
住吉大社の末社だった
という説もあり、
関係は深いようです。



創建も、
住吉大社と同じく、
神功皇后(じんぐうこうごう)によるようです。

三韓征伐の帰路、
坐摩神(いかすりのかみ)を
祀ったのがはじまりと
いわれています。

ここもまた
大阪城築城の際、
豊臣秀吉によって
遷された神社ですが、

旧社地が残っており、
天満橋の近くに
坐摩神社行宮があります。

神功皇后が休んだ
鎮座石という磐座が、
祀られているようです。



大阪城にもほど近い
旧社地はかつて
渡辺津(わたなべのつ)と

呼ばれており、

難波津とならぶ
瀬戸内海最大の
港だったといいます。

現在は
大川と呼ばれていますが、

むかしはこの川こそが
淀川の本流であり

京から瀬戸内海へとつづく
交通の要衝だったそうです。

そのため、
熊野古道の基点にも
なっていたらしく、

熊野大社まで続く
99ある王子社の
1番目、
窪津王子があったといいます。

さらには摂津国の
国府まであったそうです。



また、
渡邊津というように、
渡辺氏発祥の地でもあり、

その始祖は
大江山の鬼退治でも活躍した、

頼光四天王のひとり、
渡辺綱(わたなべのつな)
だといいます。

この渡辺氏が
坐摩神社で代々、
坐摩神を祀ってきたといいます。

坐摩神とは、

生井神 (いくゐのかみ)
福井神 (さくゐのかみ)
綱長井神 (つながゐのかみ)
波比祇神 (はひきのかみ)
阿須波神 (あすはのかみ)

の5柱の神様の総称だそうです。

生井神、福井神、綱長井神は
井戸の神様で、

波比祇神、阿須波神は
竈の神様だといいます。

 

水の神さまと

火の神様でしょうか。



あまり聞き慣れない神様ですが、
坐摩神はかつて、
宮中で祀られていたといいます。

坐摩巫(いかすりのみかんなぎ)
という女性神職によって、

宮中8神に次ぐ神として
坐摩5神が祀られていたそうです。

 

この坐摩巫も

渡辺氏から出していたといいます。

宮中8神については、
京丹後の

大宮売神社でも触れましたが、

現在でも宮中では、
天皇家守護の神様として

神産日神(かみむすび)
高御産日神(たかみむすび)
玉積産日神(たまつめむすび)
生産日神(いくむすび)
足産日神(たるむすび)
大宮売神(おおみやのめ)
御食津神(みけつかみ)
事代主神(ことしろぬし)

の8柱の神様を
皇居で祀っているといいます。

難波神社の記事で、
難波大社である
生國魂(いくくにたま)神社に
触れましたが、

そこでは、
この8神のうち、
生産日神・足産日神を
祀っているといいます。

ところでこの8神も
時代とともに変遷があったらしく、
一説によると、

御歳神
高御魂神
庭高日神
阿須波神
波比伎神
大宮女神
大御食神
事代主神

だったといいます。

つまり、
生産日神と足産日神が、

坐摩神の
阿須波神と波比伎神

だったようなのです。

 



ここで、
ホツマツタヱをみると
興味深い話が描かれています。

天照大神の孫の
ニニキネさまが、
新しい宮造りに
着手されたときのことです。

ニニキネは
この一大事業を
クシヒコ(事代主)に
一任します。

しかし、

造営予定地には、
モグラの霊に憑かれた人々
「オコロ」が棲みついていました。

クシヒコが話しを聞くと、
オコロ兄弟はこう言いました。


火の神カグツチが
土の神ハニヤスに
たくさんの
龍を産ませましたが、

わたしたちは

その失敗作の土竜(もぐら)です。
なんて哀しいことでしょう。


そういって

火を吐いているのでした。


クシキネが話をとりなすと、
ニニキネはこう答えました。


アメミオヤ(原初神)は天上に
八将(ヤマサ)神を産んで
守り神とされました。

あなたたちに
『イクシマ・タルシマ』の
名をあげますから、

新しい宮ができた暁には、
八将神に仕えて
お祀りしなさい。

そして
宮の大黒柱を
白蟻から守るため、


床土を清浄に保つ
『イカスリ』をしなさい


こうしてオコロ兄弟は、
イクシマ・タルシマを名乗り、
代々イカスリをして
宮の守り神となったのです。



八将神に仕える
イカスリの

イクシマとタルシマ、

宮中八神の
生産日神(イクむすび)と

足産日神(タルむすび)、

それに対応するの

坐摩神の
阿須波神と波比伎神、

ホツマツタヱからみえてきた

この関係をみると、

 

オコロ兄弟の名前が

アスハとハビキだったのかも

しれません。

また、

アスハハビキから

アラハバキを

連想する方もいるようです。

面白いですね。

 

それならば、

イクしま と タルしま、

イクタルで

イシュタルもありそうです。
 

また渡辺氏は、
大阪に土着していた

朝鮮からの渡来人集団の

ツゲ(都下・闘鶏)である

という説もあるそうで、

 

どこがどう繋がるのが

思考をめぐらせるのも

面白いですね。

ちなみに、
宮中でのオコロの上司は、
竈神である
オキツヒコでした。

ですから、

阿須波神と波比伎神が

竈神といわれるのも

うなずけます。

さらに余談ですが、

 

ホツマツタヱにある

八将神は、

 

ウツロヰ(空)

シナトベ(風)

カグツチ(火)

ミツハメ(水)

ハニヤス(土)

ゾロヲヲトシ(大歳)

スベヤマズミ(山祇)

タツタヒメ(龍田姫)

 

です。


龍田姫は
大和の龍田大社

祀られていました。


さて

境内にもどります。

陶器にゆかりのある
火防陶器神社(ひぶせとうきじんじゃ)
がありました。



祭神は
大陶祇神(おおすえつみのかみ)と
迦具突智神(かぐつちのかみ)
だそうです。



靭南にあったものが、
遷座したようです。

ですが、

これでもオコロの親である、
カグツチとハニヤスを
想起してしまいます。

 

もしくは、

八将神のスベヤマズミ

でしょうか。


そうすると、
境内末社のお稲荷様は、
 

オキツヒコ由来の

竈神、つまり
三宝荒神でしょうか?

 

オキツヒコは、

八将神とオコロらの力を借りて

火水土(ひみつ)の祓いという

祭祀法を編み出して、

 

三宝荒神となったといいます。

 

ここには、

火、水、土の神様が

揃っているのかもしれません。
 

ほかにも境内末社には、

関わりのありそうな方が

たくさんいらっしゃいました。

 

そういえば、

門が閉じられていて、

気づかなかったですが、

 

これは

三つ鳥居だったようです。

 

三宝は三方でも

あるのかもしれませんね。

 


 

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☆摂津ぶらり考全記事リンク☆

摂津ぶらり考① ~難波神社~

摂津ぶらり考② ~坐摩神社とオコロ~

摂津ぶらり考③ ~御霊神社と瀬織津姫~