別にこんなブログやる気ないです、と書いてからむしろちょっとやる気出てきちゃいました(笑)。こんなもん、いつやめてもいいんですけど(と書いてみる)。
 

幸せでない周りの人に対する「あちゃあ」という自分の感情に呼応して


前の記事に書いたのですが、ここもちょっと掘り下げてみようかな。

ある人が幸せかどうかというのは、結局波動の話になると思うので、幸せオーラ全開状態と、鬱状態というのはやはりこれは違いが出てきちゃいますね。「同じだ」とはなかなか言えないわけです。

身近な人が大変そうだったりあまり幸せそうでなかったりしたときに、どう対処するか、っていうテーマかもしれませんね。

私は最近になって、というのは家族との別離を経験した後ですが、ある意味、以前より薄情になったというか、近くにそういう人がいてもそのために自分のほうが悩む、悩まされる、ということが非常に減ったように思います。

幸せでない周りの人を見つけたときに「あちゃあ」と思うかどうか、というのは私達の反応の仕方次第なので、変わり得るということですね。

あまり「あちゃあ」と思わないんですよ。かわいそう〜、とか、悲しい〜、とか、同情〜、とかそういう湿っぽい反応をあまりしなくなった。

じゃ、どう思っているのか?

「変わってんなー」とか「物好きだなー」とか「暇だなー」とか、そんな感じ?やっぱり薄情ですよね(笑)。

本田晃ちゃんが、「さかなクンが魚を見るような目で人を見る」って言ってましたけど、それに近いのかな。蓼食う虫も好き好き、というか。

もうちょっと言えば、「その不幸せな人が不幸せな状態でいること」をあまり問題だと思ってないかもしれないですね。

問題は、それが問題だと思っている間だけ問題だ、とかいう言葉(田仲真治さんのオリジナルか?)がありますが、その人が選んでわざわざそういうのを体験しているんだからいいんじゃない?問題じゃなくね?

 


職場の同僚レベルならもうこれで済んでしまいますが、親兄弟だとどうか?

そうなると私自身も当事者になってきますから、難度が上がりますね。どうも親兄弟に対してはまだ、問題だ!という意識、そして彼らは変わるべきだ!という意識が残っているような気がずっとしてました。


現時点で、「私の親兄弟は変わるべきだ」という意識は、0から10のスケールで、10(筋肉反射テストで測りましたが、普通は自己診断でもOKです)。ありゃりゃ、全開でしたか、これは失礼しました。

 

では、久しぶりにバイロン・ケイティのザ・ワークを使ってみましょうか。

この数字が0まで行くかやってみましょう。

 

ザ・ワークは超簡単で誰でも観念を外せる方法です。4つの質問と、それに続く「ひっくり返し(置き換え turnaround)」という手順によって、嘘のように観念を外せます。これをできれば日本の女子高生の間で流行らせたいのですが、どうしたらよいでしょうね。

 

 

「私は、親兄弟の生き方は問題であり、彼らは変わるべきだと思っています」

 

というのが私の観念であり、これを私が持っていることで関連した感情ストレスが生じてきます。

さらに、これを以下のフォーマットで太字部分をヒントにして拡張します。

 

 

なぜなら、彼らは40年も同じことを続けており、 悩み事と持病をいっぱい作っているからだ。

 

だから、彼らは考え方を変え、観念を手放して、変化するべきだ

 

そうすれば、彼らはずっと幸せに生きられるだろう。

 

 

質問1: 「それは本当でしょうか?」

 

必ずYES, NOで答えます。NOならば質問2は飛ばして3へ進みます。

 

YES。やっぱり彼らの生き方は問題が多いし、私にも迷惑がかかる。

 

 

質問2: 「それが絶対に本当だと、あなたに分かるでしょうか?」

 

これも必ずYES, NOで答えます。答えがNOになるまで、考えを整理しつつ質問を繰り返します。


NOですね。だって他の人の場合はそういう風に思わないですからね。私がそう思いたいだけな気がします。

 

 

質問3: その思考について考えるとき、あなたはどう反応するでしょう。

 

これは、この観念を思い浮かべたときの、感情や、身体的な反応を調べます。

 

筋肉反射テストができる人は、ここで14経絡の状態を調べて、感情的な反応のデータを取ることも出来ます(やんなくてもいいです)。

 

任脈、督脈、胃経・脾経(五行の土)、膀胱経・腎経(五行の水)が左右ともに乱れてます。

 

任脈・督脈が乱れているということはこれが自分にとって重要なテーマだということでもあります。

 

任脈は自分で選択するということ、督脈は上昇していくことの象徴なので、自分で選べず、上へも行けないように感じている。五行の土は理解・共感の象徴ですから、家族の生き方が理解できないと感じている。五行の水は本質や恐れの象徴なので、これこそが本質的な問題なのに!!!と思ってかえってバランスを失っているんでしょう。

 

またこのテーマを考えたときに、30年から40年同じ状態を続けているということに対して、トホホ感といいますか、残念な気持ちがしてきますね。重苦しい、動きづらい感じがします。

 

また彼らの生き方に問題があるということ自体が悲しいですね。

 

 

質問4: その思いがなければ、あなたは誰でしょうか。

 

もし、そのストレスフルな観念が無くなれば、どんな人間になるかということ。

 

家族に対してより自然でいられて、優しくなれますね。

私自身がとても軽やかになる気がします。

 

ひっくり返し(置き換え)

 

4つの質問に答えることで、観念の書換えの準備はできました。次は最初に作った文章の、主語や目的語、述語をひっくり返すことで次々に新しい文章を作り、それらを味わってみます。

 

これがオリジナル。

 

「私は、親兄弟の生き方は問題であり、彼らは変わるべきだと思っています」

なぜなら、彼らは40年も同じことを続けており、 悩み事と持病をいっぱい作っているからだ。

だから、彼らは考え方を変え、観念を手放して、変化するべきだ。

そうすれば、彼らはずっと幸せに生きられるだろう。

 

主語と目的語をひっくり返します。

親兄弟は私の生き方は問題であり、私が変わるべきだと思っています。」

なぜなら、私は家庭崩壊を起こし家族に不幸をもたらしたからです。

だから、私は家庭崩壊の原因となったような、スピリチュアルや代替医療の考え方を放棄するべきです。

そうすれば、家族に平和が戻るでしょう。


確かに向こうからすれば、こういう風に思っていそうだな。となると、まさしくお互い様、っていうことになりますね。

 

次に述語を置き換えてひっくり返します。

「私は、親兄弟の生き方は問題なく、彼らは変わる必要がないと思っています」

なぜなら、問題ばかりが目立つように感じるが、彼らは彼らなりに今の生き方に満足してもいるからだ。彼らが現状で得ている満足、利益と言ったものを私は無視していた。

だから、彼らは今のままで良い。

そうすれば、今と同じくらいの満足がずっと得られるだろう。

いままで思ってきたことの逆なんですが、やはりこれまでずっとそれできたからには、このあり方ならではの良さというのを彼らが享受しているんでしょうね。悪いところばかりではなくて、バランスが取れているということ。

 

他にも

「私は、私の生き方は問題であり、私は変わるべきだと思っています」

「私は、私の生き方は問題なく、私は変わる必要がないと思っています」

などを考えることが出来ますが、上の2つでもう十分だという結果を得たので(筋肉反射テスト)、ここで終了。

 

「私の親兄弟は変わるべきだ」という意識は、0から10のスケールで、0(筋肉反射テスト)。

 

で、親兄弟のあり方をもう一度思い浮かべてみますが、これまでなら「あちゃあ」と感情的に反応していた部分(まあ、世間の常識的には「あちゃあ」と思うような部分です)も、映画の中のキャラクター設定みたいなもので、それが無いとつまらないような気がしてきました。できるだけ変な人がいて、それぞれにユニークな癖とか、生き様とかをもっていたほうが映画は面白いですよね。

 

後は、実際に実家へ帰ったときにどう反応するかですね。こちら側に、相手を変えてやろうという意志が無い、ニュートラルな状態でないと、いくらテクニックを学んでも深いところで相手の変化を促すことができない、という矛盾みたいなものがあると思うんです。自分の結果へのこだわりが邪魔をしてしまうだと思うのですが。

 

方法はシンプルなんですが、実はこれを一人でやるのはかなりの集中力が必要で、途中で何度も何度も他のことをしたくなったり雑念が入って脱線したりしました。なので結果的にかなり時間がかかったのは事実です。これはおそらくですが、自我(エゴ)が自己防衛のために気を逸らせようとしているんではないかと思います。誰かにガイド役を引き受けてもらって二人でやるほうが脱線しにくいので簡単です。この辺をすっ飛ばしたいならば、エモーションフリーのほうが手っ取り早いかもしれませんね。

 

バイロン・ケイティのLoving What Is という本をちょっと読み始めましたが、第一章からすごい言葉がいっぱい並んでます。いっぱいブログ記事になりそうな予感です。

 

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