こんにちは、絶學無憂です。
先日、レイキ(靈氣)を知人に教えているときに、第二シンボル(ハーモニー・シンボル)の使い方のデモンストレーションとして、一番苦手な人のことを思い描いてもらい(ストレス度は最高の10)、数回シンボルを使っているうちに、たったそれだけで、あっという間にストレス度が0になった、という話をご紹介しました。
後日談を聞いたのですが、実際のこの相手の人にその後で、会うことがあっても、なんとも思わなかったんだそうです。ストレス度最大だったのに。ご本人もびっくり。私も「へー」という感じでした。
二週間経過して、何が起こったか?
その苦手だった相手の人は、職場の同僚だったそうなのですが、なんと仕事を辞めたのだそうです。
さすがにそこまでは、予想してなかったな。と言いつつ、私にも同じような経験があるのですが。
何が起こったのかを想像してみると....
対人関係の感情というのは、自分の中の観念・思い込みが原因となって生じています。見かけ上は相手に対してのストレスなので、その人物が原因だとしか思えないのですが、自分がどんな嫌だと言う相手でも、割と平気という人がいたりします。
その相手の人の何らかの要素が、自分の中の観念・思い込みを刺激するので、ストレスを感じます。
例を挙げましょう。
なんでもよいのですが、たとえばあなたがあまり自覚せずに「脱いだ靴はちゃんと揃えて置くべきだ」と信じていると、靴を脱ぎ散らかす人に対して当然ストレスを感じます。
実際にはもちろん靴は揃えたほうがいいに決まっているのですが(筋肉反射テストで調べると、脱ぎ散らかすことはエネルギーにネガティブな影響を及ぼしているようです)、「べきだ」というようにルールにしてしまうと、合わないものに対してストレスを感じるようになります。
ある意味で、靴を脱ぎ散らかす人の出現は、あなたが「べきだ」という観念を手放すためのヒントとして、現象化しています。
この「べきだ」をたとえば「するほうがいい」とか「するとよい」に置き換えると、ストレスが減ります。不思議なことにこうやってストレスを感じなくなると、つまり観念を手放して感情解放してしまうと、靴を脱ぎ散らかす人がどこかへ行ってしまったりします。
知人の例では、シンボルの効果を体験してもらうために試しただけで、どういう観念があったためにその相手の人にストレスを感じていたのか、特定していません。これを特定するにはレイキだけでは無理で、筋肉反射テストなどを使う必要があります。
ですが、その相手の人に対してストレスを感じなくなったということは、その相手が象徴していた何らかの観念を、知人がシンボルの助けで自動的に手放した、ということではないかと推測します。
観念の手放しが行われていない場合のパターンとしては、穴を埋めるために似たような観念を象徴する別の人物がどこからともなく出現する、という繰り返しパターンになりますが、おそらくそうはならないだろうと思っています。
レイキすごいねーというエピソードの紹介でした。