こんにちは、絶學無憂です。

 

前回の続きで、もうだいぶん前に起こった小さな事件をしつこく追求するシリーズ。

 

呪さんと名乗る方から「あんたが一番エゴに取り憑かれとるわな」とコメントを頂いて、ゾワゾワした心を般若心経を使って感情解放してみたところ、「エゴの多い少ない」という極性を私が自分の中に作ってしまっていたのに気づき、8の字ワークをして呪さんのエネルギーも調和した(だろう)ということで遊びに行って帰ってきたら、呪さんが祈さんに改名して、まったく別人のようなお返事をくださった、ということろまでが前回でした。

 

その後、ご本人の許可を得て、もともと公開コメントではあるのですが、ブログ上でやりとりをもう一度取り上げてみることにして、このシリーズを始めました。ちょうどこのシリーズが、呪さんから祈さんに変わるちょっと前の、私が感情解放をしている最中について書いている頃に、また祈りさんからコメントを頂きました。

 

更新されるのを読んでいくと
感情的に発言してしまった私に非があり
コメントのやりとりは承認しましたが
事細かに私のコメントや呪という事を大勢が読んでる中で
晒されるのはあまり良い気分にはならないですね。
羞恥心や罪悪感しかわかないです。


フェイスブックを拝見すると
コメントで「楽しみにしてます」とかもいくつかあり
こちら側としても一生懸命に感情を使ったり
頭を使ってやりとりしたので
おもちゃにされてるような気分です。

 

 

お返事書いたのですが、全部一回消えてしまい、書き直せ、という意味かもしれないので、もう一度書きます。

そしてまず、ゴーサインを頂いて記事を書き始めたのですが、かえってそれがストレスになってしまっているということで、申し訳ありません。

もしご希望でしたら、このシリーズは削除して構いません。

一旦整理がついたものが、「記事にする」ということをきっかけにまた揺れだしてしまう、という意味では前の依頼者の方のケースと同じパターンだと気が付きました。

やはり私の側の楽観的な態度、勘違いがありそうです。繰り返す、ということはなにか気づきが必要と感じたので、おでこに手を当ててESR(感情ストレス解放)をやってみましたが、私のほうは感情が残っていないのであまり何も起きません。

そこでエンプティ・チェアという技法を使って、自分の居場所を変えて祈さんのエネルギーを感じられないか、その状態でESRをやってみようと思いました。

 

絶學無憂

 

これはちょっと説明が必要かもしれません。

 

エンプティ・チェアつまり空の椅子、という心理学のテクニックがあります。

 

椅子に座った自分の向かいに、一脚の空の椅子を置き、
そこに、自分が話したい相手(★)がいる、と想定して、対話する

というものです。椅子を2脚、使うわけですね。
(★)対話する"相手"は、他人だったり、自分の中に存在する考えだったり、辛い症状だったり、いろいろです。

 

自分が話した後、相手が話す番になると、自分が向かいの椅子に移って座り直し、その相手の気持ちになって、話をする、
それに対してまた、自分の言いたいことを、自分の椅子に戻って話す…

シンプルにまとまっていたので、郷家あかりさんのブログ記事を引用させていただきました。

https://kktreasure.exblog.jp/19393387/

 

簡単に言えば、椅子を2つ並べて、一人で二役を演じるのです。

 

 

なんだかアホみたいと思われるかもしれませんが、たったこれだけのことで、自分の視点に立っていただけではどうしても見えないようなことが、相手の視点から見えたりします。

 

極性を作って感情の振り子をブランブランと揺らしているときは、ほぼ百発百中で視野が狭くなり、自分の視点からしか物事が見えていません。そういうときに、その袋小路から脱出するのに非常に便利な方法です。

 

どうしても自分の視点から離れられず、相手の望むこと、望まないことが見えなくて、そのためにトラブルが続いてしまう、というような人には、特にオススメです。

 

 

目に見えないエネルギーの世界というのは不思議でして、このようにちょっと意識の上で設定を変えるだけで、自分の体に相手のエネルギーを再現して体験することができるのです。実際に考え方の視点が変わるのを体験するととても面白いですが、筋肉反射テストなど使えば、体のエネルギーが実際に変化しているというのが如実にわかります。

 

 

ちなみに、マヤ族の挨拶で「インラケシュ Inlakesh」という言葉があるそうですが、柳瀬宏秀さんによると、これは「私はもうひとりのあなたです」という意味だそうです。これから話をする相手に対して、「私はもうひとりのあなたです」と最初に宣言して、話を聞くわけです。いわば、対面しながら、相手の座っている椅子に自分も座るような、そんな世界観です。 

 

 

私の参加していた、ブレイン・アップデートのオンラインコーチング(田仲真治さん主催)でも、これの応用番が出てきました。木火土金水の五行マットのようなものを床に準備します(わざわざ買わなくてもそこらへんのものを代用したり、色画用紙なんかで自作したりしてもOKです。木火土金水をこの順に円に並べて、真ん中には太極図を置きます)。そして、ある人間関係において、経絡の心経が属する五行の「火」を自分の立場として、相生、相剋の位置関係にそれぞれ立ってみることで、どのようにエネルギーや思考・感情が切り替わるかを感じる、という実習がありました。

 

五行マット印刷用PDFダウンロード

 

プリンターで印刷してハサミで切り取れば立派な五行マットができます。色は、緑(木)、赤(火)、黄(土)、白(金)、青(水)となっています。デザイン的にちょっと原色ではないので分かりにくいですが。

 

 

常にこの仮想現実世界では、誰かが剋の位置(水剋火)に立って自分(火)に厳しいことを言ったり、辛く当たったりします。でも同時に、実は自分(火)が剋している相手(火剋金)というのも必ずいます。また同時に自分(火)をサポートしてくれる存在もあり(木生火)、また自分(火)も誰かをサポートしています(火生土)。

 

マットを敷いてそれぞれの立ち位置に立つことで、それぞれの立場の人の感じ方をちょっぴり体験できます。

 

こうして完全に調和が取れているわけですが、それぞれの相手の立場の人にとっては、またそれぞれ剋と生の関係となる相手が必ずいます。そのように回り回って人間社会というのはできているんですね。

 

 

私の場合はずぼらなので、イスをふたつ準備したり、マットを印刷して作ったりはせず(デザインするのは楽しいので自分で作りましたが一度もちゃんと印刷してない...)、なんと寝転がったまま、寝返りを打っただけでありました。

 

こっちに寝ているのが自分だとして、あっちがわに寝ているのが祈さんだという設定にして、ごろんと寝返りを打ち、おでこに手のひらを当ててESR(感情ストレス解放)という技術の助けも借りながら、どのような感じ方の違いが起こるかに注目しました。

 

すると最初に呪さんとしてコメントしたときには、相手(無憂)に向けて書いたものですが、自分自身にも痛みがあること、それがまだ残っていて罪悪感・羞恥心となっていること、(普段の私であれば罪悪感とわかれば解放すれば、とすぐ思ってしまうのですが)人はそれぞれなのでそれがそこにあってもよいということ、そっとしておいてよいということ、などが浮かびました。

またこないだと同じ話とも言えるのですが、私がまんなか=ゼロ状態にこだわりすぎていて、まんなかが良いと思うあまりに、「まんなかか、そうでないか」ということで新たに極性を作ってしまっている、ということが分かりました。

まんなかをオススメするくらいのはずが、やはり正義と悪のようになっていたのかなと。

気がつくのが遅くてご迷惑をおかけして申し訳ありません。

そしてまた、残っている感情はそっとしておいてよい、ということですから、もし「解放されなければダメだ」というような方向の記事ならやめたほうがよいとも思いました。

続行か、削除か、いかが致しましょうか。またはよろしければお考えをお聞かせください。

 

絶學無憂

 

今回はここまでです。