こんにちはまひろです
前回★からの続き
幸せエネルギーで満たされちゃおう! その2を
お送りします
いよいよ
自分から出たプラスエネルギーを
2倍にも3倍にもして
自分のもとに返す方法を紹介します。
でも、こうこうこうで こうすると、2倍コース
さらにこの壺を買うと3倍コース
とかいうマニュアルではないです。
ごめんなさい
私が実践して感じたことをお伝えするだけなので
興味のある方だけお進みくださいね
まず、大切なのは
見返りを期待しないこと
かな?
笑顔1つで笑顔2つ3つ返してもらおうとか
親切にしたから、向こうにも親切にしてもらって当たり前とか
思わないこと
あくまで結果なので
初めから返って来るものを見越して…
というのは無理なのよね~
敢えて言うなら
なにごとも楽しく、一生懸命やる
ということくらいでしょうか。
ま、なるべくね…
まひろの場合…いきます。
私たち親子は8年間という長い不登校生活の中で
学校とのいざこざによるストレスを感じたことがないんです。
私は99.9%ありません。
(0.1%は中学時代、毎朝欠席の電話連絡をする前に、絞り出してた元気の分です)
息子に聞いても
先生からも友達からも誰からも
嫌なことを言われたり嫌な思いをさせられた覚えは
ないそうです。
私たちが親子そろってあまりにもお気楽すぎるのか…
或いは、あまりにも鈍感なのか…
(その可能性は多分にあり)
結論から言うと、何かに守られていた…
多分、それがプラスエネルギーだったんだと思うのです。
プラスエネルギーが私たち親子の周りを
バリヤーのように囲っていて
どんなマイナスエネルギーも寄せ付けなかったような…
そんな感覚があるんです…。
でも、私一人のエネルギーじゃ
そんなこと、到底無理です
私たち親子に一体何が起こっていたんでしょう
順を追って振り返ってみていいですか。
息子の不登校は小学校5年の時に始まります。
その時はまだ、一時的な五月雨登校程度でしたが
当時私はPTA副会長を引き受けていました…
「私なんかでお役に立ちますのでしたら…」が
究極に昇り詰めた時でした
このPTAの主要役員をやってみると
校長先生や教頭先生とも懇意にお話できて
もろもろ配慮していただけたり
担任の先生もすごく丁寧に対応してくださったり、と
とにかく、学校の先生方といい関係を築くのに
都合がよかったのは確かでした。
ついでに言うと、この時の女性教頭が
なんと私と高校の同級生だったの
すごい偶然
子どもや母親に寄り添ってくださる、すごくいい先生でね
息子も私も、いまだにその教頭先生が大好きです
その後の6年生でも、息子は怪しい時期がありましたが
先生方の温かい愛情に助けられ
無事、小学校を卒業したのでした
そして息子は中学校に入学し
そこでも私は委員を引き受けます。
(副会長のあまりの忙しさにちょっと懲りて
これ以降はもっぱらヒラ委員をさせてもらってました)
息子は、いつまた学校に行けなくなってしまうかもしれない
そうなれば、先生方に通常業務以外の仕事をさせてしまいます。
学校という組織自体はどうにもできなくても
現場で働いているのは人間です。
何かあった時に快く対応してもらえるよう
私も学校の活動に協力できることは
できる限り、させてもらおう。
そんな気持ちからでした。
そして、ラッキーなことには
今度は校長先生が、私の中学時代の恩師だったのです
私のこともよく覚えていてくださってて
ことあるごとに、便宜を図ってくださいました。
学年の担任団の先生方とも
顔を合わせる機会が多かったので
励ましていただいたり、応援していただいたり
とても温かく見守っていただきました。
息子は息子で、自宅にひきこもっていた時にも
会いに来てくれる友だちがいたり
あるいはSNSで繋がった子たちに励ましてもらったりと
ずい分友だちに助けられていたようです。
息子は、高校受験期の11月に、また倒れましたが
それでもなんとか受験をクリアし
近くの公立普通高校に進学しました。
そしてそこでも私は引き続き、PTAの委員を引き受けます。
留学生さんの話し相手も募集しておられたので
それもついでに、週1で引き受けました。
(こちらは個人的な趣味で)
息子は高校に入った年も 案の定
11月に倒れ、再び(みたび?)引きこもりが始まりました。
(ちなみに高2も、ついでに高3も、11月には倒れて引きこもりました
息子には11月は鬼門のようでした)
その時、通っていた統合医療内科の診断書を提出しました。
病名は「副腎疲労症候群」
学校でも、病気への配慮がないことがありましたが
(保健室で休ませてもらえないなど)
医者でも知らない病名です。
仕方のないことだと、腹を立てる気持ちにもならず
その分、説明に努めました。
留年の危機もなんとか免れ、2年に上がりました。
留学生の話し相手のボランティアも変わらず引き受けました。
さらに母の委員活動は加速します。
ヒラはヒラのままですが、クラス親睦会なるものを年間3回4回と開きました。
委員としてのノルマは1回なんですが
1年の時1回開いたくらいじゃ、たいして仲良くなれなかったので
翌年はしつこく何度も開催してみました。
どうせやるなら、楽しくです。
3年に上がると、受験体制のためかクラス親睦会は無くなりました。
でもせっかくなので、2年の仲良しグループで集まる機会を設けるべく
ランチや夜の集まりをまた数回企画しました。
3年の体育祭は、息子は体調悪く不参加だったのですが
母はPTAのお手伝いのため体育祭にも行きましたし
その夜、2年お母さんたちと打ち上げの約束をしていたので
それにも参加しました。
別に息子が不参加なんて、言う必要もないし誰も知らないし
母は関係なく楽しませていただきました
一方それとは別に、PTA行事にしょっちゅう参加して
よく顔を合わせる人たちとのLINEグループもできました。
こちらのグループは卒業後もランチ会、夜の集まり、観劇など
いまだに集まっては楽しんでいます。
そんな風に、母は息子の状態に関係なく、結構PTA活動を楽しみました。
周りのお母さんたちに、息子の病気のことを詳しく話すことはなかったです
聞かれればサラッと説明はしたかな~…(記憶があいまい)
皆さん、なんとな~く察して
でもがんばってる私たち親子をそーっと
あるいはパーッと
応援してくれている感じでした。
かたや、息子
体調が悪い時は落ち込むこともありましたが、
彼は彼で、学校に行けば自分の周りにプラスのオーラを出していました
なので、息子の作文★にあるように
彼の周りの友達や先生たちは
いつも彼を応援して支えてくれました
彼の周りはいつもそんな、プラスのエネルギーで満たされていました
なので彼は病気に苦しめられながらも
楽しい高校生活を送ることができたのでした
以上の息子の不登校の経緯について
詳しくお知りになりたい方は
ご面倒ですが、こちらの記事★をご覧くださいね
高校は…
卒業
まずはそれが第一の目標でした。
そして、もしできれば
楽しく通ってほしい
きるだけ健康な普通の高校生のように
今しかないこの高校時代を楽しく過ごさせてあげたい…
本当にそれだけを願って入学した高校でした。
大学なんて
第3、第4の
目標ですらない
ただの希望…夢…とでも言っていいようなものでした。
(目標は第1が卒業 第2に楽しく 第3健康に 第4大学
こんな順位でしたね)
でも今、息子はその希望であり、夢であった世界にいます。
その上、高校を卒業した時点で
第1から第4まで
全ての目標をかなえることが、ほぼできていました。
どうしてこんなことが可能になったのでしょう…
こういう、ちょっと信じられないようなことが起こった時
私は自分の経験から
自分が出したプラスエネルギーが
循環して返ってきたんだ
ってことを、直感します。
でも、自分一人のエネルギーだけじゃない…。
自分一人で出すエネルギーだけじゃ
とてもこんなこと起こせるはずがない。
なんぼほど大きくなって、帰ってきたんってレベルです。
ここで思い当たるのは
息子の周りの友達、そして先生方…
さらに、私の周りの先生方
(これは息子の周りの先生方と一緒なんですけどね。
でも感覚として、母の私にも応援エネルギーをくださってましたから)
そして、私と仲良くしてくださったお母さんたち…
そんな息子と私の周りの人たちが全員
温かく見守ってくれ
心配して声をかけてくれ
がんばれ と応援してくれて…
つまり
周りの人たちから発する
プラスのエネルギーが
私たち親子が出す
プラスのエネルギーを増幅してくれ
その2つが合わさることで
まるで化学反応を起こしたように大きくなり
それが全部
私たちのところに返ってきたんじゃないだろうか…
そんな気がします
確かに息子の病状は、数々お世話になった
お医者さまや治療家の先生方のおかげで
少しずつ回復していきましたし
最終的にお世話になった
川本治療所さん★のご指導は確かでした。
また、川本先生のご指導のもと
温圧★を毎日息子へ当て続けた母もがんばったでしょう。
息子も病気との付き合い方を自分なりに工夫し
勉強もしっかり自己管理してがんばりました。
でも、それだけじゃない。
友達や先生方やママ友さんたち…
みんなの温かい想いが大きな力となって
私たち親子を支えてくれました。
自分から出したエネルギーが10だとしたら
20にも30にもなって…
もしかしたら100にも200にもなっていたかもしれない
そんなエネルギーに
守られて、支えられていたから
今があるんです
なんとありがたいことでしょうか…
今思い返しても、ただただ感謝の気持ちしかありません
以上でまひろの回想は終わりです。
あら、びっくり
2倍3倍どころか、10倍20倍にまで話が盛られてましたね
私がしたことは、自分の生活の中でいうと
時間的にはほんの少しのこと。
ほんのちょっと
周りの人への気遣いのために
時間を割いてきただけです。
自分が正しいと信じてきたことを
何を言われても(別に言われてないけど)
何が起こっても、粛々と実行した…
それだけのことです。
とは言うものの
不登校のお子さんが、十人十色なように
お母さんだって人それぞれ
「まひろさんみたいに、ボランティアばっかりしてられないわよ」って
感じた方もおられると思います
いや、ま、ボランティアが金銭報酬がない分
返る率が良いような気はするんですが
(見返り期待すんなって最初に言ったん誰よ)
特にこだわる必要はないと思います
この法則、ちょっといいかもって思って
私もいっちょ、やってみよっかなって
思ってくださった方は
とりあえず
自分から率先して、プラスのエネルギーを出してみませんか
そんなに難しいことじゃありません
まずは相手のことを尊重して
自分で気をつけるのは
ほんの少しの笑顔
ほんの少しの思いやり
ほんの少しの気配り
その小さな積み重ねが
きっときっと大きな幸せを連れてきてくれます
あなたのところに
このブログを通じて
温かいプラスエネルギーが届きますように…
そしてあなたと、あなたのお子さんが
プラスエネルギーで満たされて
たくさんの幸せに包まれますように…
最後までお読みくださり、ありがとうございました
長くてゴメンね
長いって思ってるんだったら、なんとかせーよって
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ホントですよ わんわん
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温圧については、こちらで紹介していまーす
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