今日、憲法改正論議がなされ、

自民党の安倍総理周辺には、根強い改正論が

あるとされる。

 

しかしながら、今、問い直されるべきは、

そもそも、憲法とはなにか?

というごく当たり前の問題である。

 

憲法とは何か?

 

それは、国家に対する「べからず集」である。

 

憲法の成り立ちは、13世紀のマグナカルタに始まる。

これは、なにかというと貴族の既得権を王がみだりに侵さない

ということを定めたものであった。

 

要するに、勝手に私有財産に課税したり、

不当な身柄拘束をしないということである。

 

これが発展して、今日の憲法となったのである。

 

細かいことが知りたい人は、

小室直樹先生の痛快憲法学を読みましょう。

 

中学生レベルの読解力があれば読めます。

 

では、ここで問題になるのは、

この憲法が機能しないとしたら、なにが起こるのか?

ということです。

 

例えば、シリアのイスラム国支配地域。

 

ここでは、おそらく住民の権利は保証されないでしょう。

不当な拘束や、自由な課税が認められていると推察します。

 

となると、どうなるか?

 

住民の側には、自然の抵抗権が生じてしまうでしょう。

 

つまりは、武器を持って立ち上がることは正当な権利となり、

それはなかば革命権のようなものとなってしまうでしょう。

 

万人の万人による、闘争状態とでもいうべきものであり、

正にビヒーモスの世界でしょう。

法というリバイアサンが機能するためには、

憲法がなければなりません。

そうでなければ、法は絶対に機能しません。

 

(絶対というのは言いすぎですね。

 ほぼ機能しません。社会効率が著しく低下するでしょう)

 

人間は、暴力によって恒久的に制限することは

できないからです。

かつてのソ連、中国、あるいは北朝鮮などをみれば

明らかでしょう。

 

PS

では、今日の日本では憲法は機能しているでしょうか?

 

国民の生命と財産を侵害するような悪法が横行し、

それを巧みに隠すメディアコントロール・・・。

 

消費税や、社会保険税・・・。

嘘だらけの財政破たん論・・・。

輸出大企業優遇・・・。

(法人税切り下げに、輸出割戻し)

 

三権分立の崩壊・・・。

罪刑法定主義の否定・・・。

事後法の正当化・・・。

 

うん・・・。

 

ほぼ全く機能していないですね。

 

ということは・・・。