社会性を失ってしまう副腎疲労

副腎疲労症候群レベル3フェーズCからスタートした、長期に渡る回復への旅路は、肉体的にだけでなく精神的にも社会的にも苦難の連続でした。

肉体面で最も目に見えてわかるのは、筋肉がごっそり落ちてしまった事です。筋肉量の約70%を失いました。

毎日通ってウエイトトレーニングをしていた僕が、4年間完全に休まざるを得ない状態になりました。一体いつジムを再開できるか、今でも分かりません。

一番体が疲弊していた時期は、数分しかかからない駅までの道を歩くことに苦労し、自分の歯を磨いたり、シャンプーしたり、服を着替えたりするだけでハーハーしてしまうような状態でした。

自宅でのエクササイズで、2Kgの小さなウエイトを使い始めて、今は6Kgの重さまで増えてきましたが、それでもかなり苦労しています。

精神面では、自分の携帯番号すら思い出せず、何をしようとしていたのかわからなくなってしまうなど、頭がぼんやりしてしまい、仕事も何から手をつけたら良いのか、整理して考えることができなくなってしまっていました。

電話がなる度にビクッとなって、不安が押し寄せて来る感じで、ちょっとしたトラブルにも、もう頭も精神も対応できなくなっていました。

社会的な面での回復が一番遅れていると感じています。その理由は、いまだにあまり人と群れたくない、話したくない、そう言う事を煩わしいと感じているからです。

今までそんな風には感じなかったのですが、知人との他愛ない会話や過ごす時間が、無意味、不必要だという気持ちの方が強く、そんなことに使うエネルギーがまだ無いと感じています。

networking

ジムで、体が崩れ落ちるように倒れこんでしまってから4年以上経ちました。

あの瞬間から、僕の人生はすっかり別のものになってしまいました。

人と戯れているのが好きで、意味もなくグダグダ飲みながら、いつまでも話しこんだり、新しい人に会って友達を作ったり、ビジネスでどんどん新しいネットワークを広げていくことも大好きでした。

何をやるにも過剰にやってしまうタイプで、ドリーに「そこまで極端にしなくても、まあまあでいいんだよ」と言われることもしばしばでした。

そんな自分が、今はあまり人と群れたくない、家族とすらあまり気が乗らないことが多いのです。

体調が最も悪かった時、僕は誰とも話したくありませんでした。

今も、妹からの電話がかかってくる度に、ちょっと躊躇する気持ちがあります。気が重い・・・までではないのですが、なんとなく気が進まないのです。

電話に出ないでいると、10回、15回とコールが続きます。その感じにまたなんとなくゲンナリしてしまうのです。妹がうっとうしいとか、嫌いとか、そう言う感情はなく、ただ単に自分の側の問題で、気分がのらないということです。楽しい気持ちで妹との会話をしようという気持ちが沸かないのです。

社会性を失ってしまったのでしょうか?

自分自身が、普通に生きている世の中の流れからかけ離れてしまったところで、右往左往しているような状態が長く続いて、しかも誰もそれを理解できないと思うからです。

妹の毎日の暮らしと、僕のこの退屈でアリの歩みのような日々は、どこにも共通点が無く、話をしていてもどこにもお互いに共感する部分がないような、そんな感じです。ただ一つだけ救いなのは、最近の彼女は僕の話を聞いてくれることです。

一方、母親と話をする時には、ほとんど僕の体調は話題に上りません。 母は、自分に起きた出来事を僕に話すために、電話を掛けているのです。今日何をしたか、誰に会ったか、どこに行ったか、 何を買ったかなど。 その話には深い意味合いは何もありません。僕の体調がどうなのか知りたくないのか、こんな変な病気になったことがいまだに信じられないのか、もう僕の副腎疲労についてはあえて考えないようにしているのか?

母とはビデオ電話が多いのですが、画面に映る彼女の視線ははいつも彼女の夫に向いています。 僕と話すためにビデオコールしてきたんじゃなかったの?という問いがいつも頭の中をグルグル回ります。

遠く日本で暮らす僕が、ほとんど家にこもって友達と出かけることも無く、退屈な毎日を送っていることを知っている母は、ただ会話の機会を僕に与えようとしているのでしょうか?

でも、息子の体調を気にしていろいろと聞いてくれることはせず、母が美容院に行ってきたというようなどうでもいい話を聞かされる僕は、内心「これは一体どういうこと?」という違和感しかなく、どんどん距離を感じてしまいます。

母が僕の体調について深く話しをしない本当の理由はわかっています。 彼女の夫(僕の父親ではない)は、ネガティブなことが嫌いな人で、母が僕に電話を掛けて来る時いつもそばにいて、僕が「きょうは体調が良い」と言えば「ああ、良いじゃない。その調子でやりなさい」と言い、体調が悪いと言えば「おお、気にするな。そんなこともあるよ」と言い、その一言で締めくくり、そして次の瞬間には違う話題が始まるのです。

この変な病気になったことで、自分の母親がこれほど鈍感だったのかと、思い知らされたように感じる事があります。

1年、2年とこの病気と付き合っている中で、その思いはどんどん明白になってきて、自分の母親なのになんでだろうと、とても奇妙な感覚です。

何かの記事か本で、子供が深刻な病気になってしまった場合、それを受け入れられず、信じようとせず、考えようとしない母親がいるという話を読みました。

そんなことがあるのか??とにわかに信じられませんでしたが、何となくそんなこともあるかも・・・と思える自分が、また奇妙です。

really?

こんなことを書きながら、僕は自分の体だけではなく、頭(考え方)も精神(感じ方)も、副腎疲労症候群の影響で正常に機能しているわけではないことを承知しています。

だから、自分の母親に対するこんな感じ方も、もしかしたら自分の感じ方がいびつになっている可能性もあります。

普通に安心して生きるために人に必要とされているホルモンが枯渇しているのだから、普通の考え方もできていないんじゃないかと思ったりするわけです。

もっと体調が良くなった時、副腎疲労を克服できた時に振り返って、もう一度考えてみたいと思います。