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2018/5/5 サロン内記事
※以下はオンラインサロン「西野亮廣エンタメ研究所」で過去に投稿されたそのままの原文記事です。
2018年5月5日
無駄に時間を奪われる仕事を受けていると、目標に届かないので、最近はかなりシビアに仕事を選ぶようにしているのだけれど、先日の、チームラボ猪子さんとの対談番組のオファーは1秒で引き受けた。
久しぶりに猪子さんとガッツリ喋りたかったし、トークテーマが『シルク・ドゥ・ソレイユ』だったのもあって。
シルク・ドゥ・ソレイユの最新作『キュリオス』は、個人的には、ここ数年で一番良かった。
ミュージカル要素が強く、シルクは、また次のステージにいった感があった。
異彩を放っていた演目が『透明サーカス』だ。
ステージ上に、“いわゆるサーカスのステージ”が組まれ、綱渡りや、ライオンの火の輪くぐりが繰り広げられるのだが、ロープが勝手に“しなり”、ライオンの鳴き声が聞こえるばかりで、出演者は誰もいない。
透明人間と透明動物によるサーカスだった。
猪子さんとの対談で一番盛り上がった話題が、この『透明サーカス』だった。
話の中で、僕と猪子さんの活動で共通していたのは「既存のゲームには覚悟をもって参加しない」
猪子さんは、いわゆるアートゲームには参加しないし、
僕も、いわゆる芸人ゲームには参加しない。
ひな段にも出ないし、大喜利もやらない。
当然、それなりのメリットもあれば、それなりの苦労もある。
嵐のように批判を浴びるし、そこでの表現を、そこでの生き延び方を、イチイチ模索しなければならない。
誰も教えてくれやしない。
ずっと、そうやって生きてきた。
その話の流れでの猪子さんの『透明サーカス評』が秀逸だった。
「あそこで、登場人物を透明にしたのは、『僕たちシルク・ドゥ・ソレイユは“いわゆるサーカス”には参加しませんよ』という決意表明だと思う」
その角度から見ると、『透明サーカス』が俄然輝きを増した。
「あれは、シルク・ドゥ・ソレイユの“覚悟”であった」と猪子さん。
決して“いわゆるサーカス”を批判するわけではなく、エンタメに昇華して、そこに自分達のメッセージを内包させる。
『透明サーカス』は、シルク・ドゥ・ソレイユの歴史と覚悟が見える、とても上品なアートだった。
しるしをしよう!(気になる文を抜粋)
ファクト(事実に基づいた内容の文) + 気づき
そもそも自分は何者なのか・・・の定義があり、ある人はアーティスト、ある人は芸人というが、〇〇らしく、それっぽくやるのは間違いであることにきづかされました。
もちろん既存のアートや芸を極めてスペシャリストになるのも人の考え方なので否定はできない。でも、そこでは糞詰まるほどの才能が渋滞してるとしたら、その最後尾に並ぶ必要はないということだろう。
氏はしばしば、本業ともうあと2点、できるだけ遠い距離のところにある分野に10000時間づつを費やして3角形を作り、その面積だけの信用を勝ち取ろうと言う。
この考えと「既存のゲームには参加しない」という考えは合致しているといって良いと思いました。その道のスペシャリストの挑発には乗らず、人のまだ少ない勝ちやすい、或いは勝つしかない分野に時間を使って勝負しようよってこと。
エッセンス(本質) + 学び
サーカスの世界で頂点を獲ろうとしたとき、サーカスとしての曲芸を極めるのではなく、視点を変えてしまう。
相撲の観客動員の点で例えると、土俵の力士達以外の視点から相撲をマネージメントする感覚。
昔の若貴ブーム時のような圧倒的カリスマの登場を待つのが正攻法とするならば、それなりの面子でも連日満員にする方法は、外国人や外国人力士が誘導する訪日観光客を徹底的に満足させることにあったりする。
例えば世界中にトランプ大統領の升席での大相撲鑑賞がニュースになり、注目された。このことにより、日本に旅行した時には相撲を観戦することが彼らのイケてる話題になり得るようになった。パッケージに相撲観戦が組まれたツアー客で通年チケットが取れないなんて状況は、トランプ氏来場以降の発覚理事長のやり方次第でどうにでもなる。
事あるごとに歴史とか国技のしきたりとか言って、連続満員御礼記録をストップさせてしまった協会こそシルク・ドゥ・ソレイユを見習うべきではなかろうか。
まとめ(総括)
なんてなことを思いました。
おしまい
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