リスタートのブログ

住宅関連の文章を載せていましたが、メーカーとの付き合いがなくなったのでオヤジのひとり言に内容を変えました。

ハゲ増し軍団

2019-04-28 05:06:00 | オヤジの日記

「翔んで埼玉」に同業者が、何人かいる。

 

以前は、2ヶ月に1回埼玉から吉祥寺まで足を運んでいただいて、飲み会を開いていた。

今は、私が時間が取れないこともあって、飲み会は、半年から8ヶ月に1回の間隔に伸びてしまった。

本当なら私の方が足を運ぶべきなのだが、私が埼玉に入るための通行手形を持っていないことを知っている同業者様たちが、わざわざ吉祥寺まで来てくれるのである。

ありがたいことだ。

 

埼玉では、東京ドーム ?個分のメガ団地に住んでいた。

15年間住んだ。最初の14年は楽しかった。2人の子どものお友だちとも仲良くなって、一緒に走ったり、ボーリングに行ったり、バーベキューをしたりした。

しかし、私の環境が15年目に突然変わった。1人のご老人が、我が家に送り込まれたのである。

そのご老人は、軽い認知症だった。そして、私の仕事が理解できない人だった。

自宅にいてパソコンで仕事をする。

 

「普通、仕事をするというのは、毎日同じ時間に起きてネクタイ結んでスーツ着て出かけるのを仕事って言うの。テレビ見ながらゲームばかりしてるのを仕事とは言わない!」

 

その間違った認識は、瞬く間に、ご近所のご老人連合に感染していった。

私が最寄の駅に行こうと自転車をスイスイと転がしていたら、突然見ず知らずのご老人が立ちはだかって、「あんた、自分はゲームばかりして、奥さんに働かせてるんだって」「奥さんが可哀想だから、すぐ別れてあげなさい」などと罵倒するのである。

奥さんが可哀想、というのは当たっているかもしれない。それは認める。しかし、残念ながら、週に4日、朝だけ花屋さんのパートをしているヨメの給料だけでは、公団の家賃も払えないのが現実だ(ヨメには申し訳ない表現になってしまったが)。

 

そんな生活が続いているとき、私が病み始めたのを覚った当時中学2年生だった娘が、ある提案をしてくれた。

「あの人を三鷹に返そう。とは言っても、1人じゃ生活できないだろうから、我々があの人の近くに引っ越して面倒見ようぜ」

しかし、それは君にとって転校を意味することだ。いいのか、親友と別れるんだぞ。

「親友は、遠く離れても親友だ。それに、きっと新しい学校でも親友はできる」

「でもな・・・おまえは1人しかいないんだ。替えはいないんだ。これ以上、やつれた姿を見るのは嫌だ!」

 

その後、娘は同級生や吹奏楽部のお友だち、担任に「うち、引っ越すから」と高らかに宣言して、既成事実を根気よく積み重ね、初めは大反対だったヨメと息子の抵抗を諦めさせた。

ご老人は三鷹の自宅に。我々は武蔵野にアパートを借りて、慌ただしいお引越しをした。

その娘の提案は功を奏し、私に対する中傷がなくなった。傷んだ私のハートは、キレイなハート型を取り戻した。

こんなバカ親父をかばってくれた娘に感謝感謝。

 

「Mさんは、あのときよく、団地を全部爆破してやろうかって言ってましたもんね」と言ったのは、人類史上最も馬に激似の「お馬さん」だ。彼は同業者の1人だ。そして、同じ団地に住んでいた。ただ、悲しいことに、お馬さんは分譲で、私は賃貸だったが。

え? そんなこと、俺言いましたっけ?

 

8ヶ月ぶりに開かれた吉祥寺での飲み会。

参加者は、最年長のオオサワさん。ただ、最年長とは言っても、私はオオサワさんの年齢を知らない。みんなは知っていて敬っているが、私は人の年齢に興味がないので、聞いたことがない(年齢は人の価値を図る尺度ではない)。

他には、写真家兼デザイナーのカマタさん。スーパーなどのポップが専門のヤマダさん。

私は、この3人を「ハゲ増し軍団」と呼んでいた。

なぜなら、埼玉から東京に戻ってきて通行手形を返上した私のために「Mさんをハゲ増しましょうよ」と飲み会を開いてくれたからだ。

 

他はお馬さん。年は、おそらく私より10歳程度下だろう。

最後は、1番若い一流デザイナーのニシダ君。16年前、私がMacを教えた人だ。その3年後に、ニシダ君は独立して、1年後に私の年収を軽く乗り越えた愉快な人だ。彼は今も私のことを「先生」と呼んでバカにしていた。

これに私を足して、「ハゲ無し軍団」が3人。レギュラーは6人だが、たまにゲストが来ることもある。

今回は、ヤマダさんの知り合いのフイギュア作家エンドウさんが来た。

このエンドウさんを含め、ヤマダさんとカマタさんの困るところは、やたら武闘派自慢をしたがることだ。

カマタさん。「俺、若いころはワルでさ。高校を中退してから、色んなところで悪さしたんだよね」

ああ、そうですか。

ヤマダさん。「暴走族には、入っていなかったけど。1人で闘ったよね。ブイブイ言わせてたよ」

ああ、そうですか。

エンドウさん。「俺、何度拳を傷めたかね。ヌンチャクもブルース・リーに負けないぜ」

ああ、そうですか。

 

この日のエンドウさんは、むかし六本木で黒人2人とバトルした武勇伝を身振り手振りで10分程度語った。

それに同調して、カマタさんも埼玉川口市の工事現場で、労働者4人とバトルした過去を語っていた。

鬱陶しい。

実に、鬱陶しい。

その自慢は、誰が得をするの? 褒めて欲しいの? 感心して欲しいの? 拍手して欲しいの?

 

申し訳ないが、酒が不味くなる。

鬱陶しくなった私は、ニシダ君に、時間を測って、とお願いしたあとで立ち上がり、シャドーボクシングをし始めた。

29歳の時に、1年ちょっとボクシングジムに通っていたことがあったのだ。ランニングだけでは、高度な体力が維持できない悲しい現実に気づいたので、当時「マービン・ハグラー」というミドル級のボクサーが好きだった私は、迷わずボクシングを選択した。

練習の中では、シャドーボクシングが得意だった。2ヶ月もすると、時計を見なくても、3分前後で動きを止められることができるようになった。体が1ラウンド3分を覚えたのだ。

それを「ワル自慢」たちの前で、披露しようと思った。

いい感じで、パンチが出せた。

しかし、30秒後くらいに肩を叩かれた。

 

「お客さん、暴れちゃ困りますよ」

 

ああ、すいません。俺、ワル自慢よりも迷惑でしたよね。

 

 

次回は、令和で、お会いしましょう。

 

(ゴールデンウイークなんて、どこの惑星の話でっか、と毒を吐いているリアルガイコツでござる)

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿