自分が本当は嫌なのに

頑張った時

 

 

人って「対価」を欲しくなります

 

 

それで、人から「対価として」

何かをもらったとしても

 

 

「もらって当然」

 

 

そう思ってしまいます

 

 

だから嬉しくないんですね

 

 

 

むしろイヤイヤ頑張ったのに

何ももらえないと

 

「こんなに頑張ったのに…」って

腹が立つぐらいでね

 

 

 

 

もしあなたが介護の仕事の中で

やりたくないことを一杯頑張っているなら

 

お年寄りから「ありがとう」と言われても

勤め先から「お給料」をもらっても

 

 

「対価」として

「当然のこと」だから

 

うれしくないと感じているかもしれませんね

 

 

 

そうじゃなくて

 

もし介護の仕事を嫌々でなく

好きで頑張っているとしたら

 

「ありがとう」や「お給料」は

 

とてもうれしく感じていることだと思います

 

 

 

 

実はこういうのって

商売に似ているんですね

 

 

 

お客さんにたくさん来ていただいても

 

 

経費が多ければ

赤字になってしまい

「損した」状態になるので

 

嬉しく感じられないのですが

 

 

 

無駄な経費を少なくして

黒字になれば

「得した」状態になるので

 

 

今度はお客さんにたくさん来てもらえばもらうほど

嬉しくなります

 

 

 

こんな感じで

 

「嫌々やっている頑張り」という経費を

少なくすれば

 

「黒字化」して

 

 

「得しているなぁ」「うれしいなぁ」と

思えるようになる人が

実はたくさんいるように思います

 

 

 

 

で、その「得した」「黒字になった」部分こそが、実は

 

 

「自信」や

「自分の価値」だと

 

 

感じられるものの正体だったりもします

 

 

 

つまり

 

 

何も頑張っていないのに

こんなにもらってありがたい

 

「いつも得している」と

感じている人が

 

 

「自信のある人」で

「自己価値の高い人」です

 

 

その反対に

 

自信のない人や

自分に価値を感じられない人は

 

 

こんなに頑張っているのに

こんだけしかもらえない…

 

「いつも損している」と

感じている人ですね

 

 

嫌々頑張れば頑張るほど

「無駄な経費」や「赤字」が増え

 

どんどん「自信」や「価値」を

失ってしまっています

 

 

 

僕も最近のブログで

「見合った見返りは求めないようにしましょうね」って

書きました

 

 

でもイヤイヤ頑張っている人って

そもそもそれができなくなっています

 

 

イヤイヤ頑張れば頑張るほど

 

かえってそれに見合った対価も

より多く求めたくなるのが

 

人間なのです

 

 


 

 

無理に頑張って

 

人に愛想良くしたり

人に人に合わせたり

人に何かをあげればあげるほど

 

見返りを求めないどころか

 

人からの好意を

「もっともっと」欲しくなりますからね

 

 

 

嫌々頑張って

それに見合った

より多くの「対価」を求めるのを止めて

 

 

嫌々頑張っている

「無駄な経費」そのものを

減らしていきませんか?