新型コロナウイルス 緊急事態宣言のなか 特別応援企画です ❗
【8/29(土) 新宿シャンパーニュ ライブ 続報 です。】
ご来店を心よりお待ちしております。
シャンパーニュは、作詞家の故 矢田部道一氏が1973年に創業したシャンソニエです。
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『自宅リビングから53連夜。小曽根真ライブ、集客は「1晩でホール8個分」』
2020年も半ばが過ぎた。今年のはじめには、「東京オリンピックはどうなるのだろう?」というような話題で盛り上がっていた。ところがその後、新型コロナウイルスが世界で猛威を振るい出し、オリンピックはおろか、コンサート、ライブなどあらゆるイベントが中止になった。「不要不急」の外出が制限される生活が待っていようとは、いったい誰が想像できただろうか。
そのような自粛生活のなか、多くの人の「心のよりどころ」として話題となったあるネット配信がある。ジャズピアニストの小曽根真氏と女優の神野三鈴氏夫妻による自宅オンラインコンサート「Welcome to Our Living Room」だ。
ふたりがリビングルームコンサートをはじめたのは、緊急事態宣言が4月7日に発令された2日後のことだった。なぜそんなにすばやく開催することができたのか? そして、多くの人を引き寄せた理由やこのコンサートに込めた思いについて、「Welcome to Our Living Room」最終日の会場となった渋谷・オーチャードホールの客席で、小曽根真、神野三鈴夫妻に話を聞いた。
「チック・コリアやボブ・ジェームスなど、世界的に有名な海外の友人ミュージシャンは、我々がコンサートを開催するより10日ほど前、欧米でロックダウンが宣言されるとほぼ同時に動画配信をはじめていました。Tシャツ姿での自宅の練習風景など、なかなか見られない映像でした。それは家にこもっている人たちの気持ちがふさがないように、という思いを込めてのことでした」(小曽根氏)
それを観た小曽根氏は妻の三鈴氏と「日本のロックダウンは時間の問題だろう。自分たちも何かできないか?」と話し合った。
有事の中、「9時に行けば小曽根がいる」の日常を
「今回のコロナ禍は、たぶん今生きている人誰もが経験したことのない事態。だから、何が正しいことなのか、誰も答えられない。まさに『有事』です。有事のときには日常がなくなるんですよ。これまであったものがなくなってしまう。だから、皆さんの中に、何かひとつでも『日常』をつくりたかった。お仕事などで忙しくて聴けない日があるかもしれない。でも、『毎晩9時に行けば小曽根がいる』、そんな場がほしかった。世界中の人たちが毎日帰れる場所を提供したかったんです」(三鈴氏)
世界中のみんなが安心して帰れる場。それが小曽根邸での「リビングルーム」だったのだ。「Welcome home」「おかえりなさい」の一言に、一日の疲れが吹き飛び、心がほぐれる思いがした方も多かったようだ。
「僕は、たった15分でもいいからみんなに美しい音を届けたいと思った。今のインターネットのクオリティの高さを考えれば、それが可能だと思ったのです」(小曽根氏)
リビングルームコンサートを決めた理由はもうひとつあった、と三鈴氏は言う。
「自分たちは音楽を愛する人たちのおかげで生活することができています。だから、今こそそれをお返しすべきときだと思ったのです」。
ただ、自分たちのプライベートを見せることでかえって不快に思う人もいるのではないかという懸念もあった。だから、開催に踏み切る前には小曽根氏と三鈴氏、ふたりでじっくり話し合ったという。
そして、最終的には、「今ここにあるのは皆さんのおかげ。だから、皆さんには楽しんでいただく権利があると思ったのです。ニューヨークやヨーロッパでは厳しいロックダウンにより、緑などの自然すら見られないという状況もありました。だったら、日本の緑を見ていただこうと思い、すぐにはじめることを決断しました」(三鈴氏)
「心にもライフラインがある」
ふたりはもうひとつ決めごとをした。
「やるなら毎日開催しよう」だ。
身体にとってのライフラインとは別に、心にも絶対に必要なライフラインがあるはずだとふたりは思った。そこで、「自分たちにできることは何か?」と考えたとき見つかったのが、心が折れそうな方に対して音楽を提供することだった。
「音楽が心のライフラインであるならば、日々必要なはず。だから毎日やろう」(三鈴氏)
「今回、不要不急の事柄として、真っ先に音楽や芝居が挙がりました。『音楽はぜいたく品である』と思われているところがあった。でも、僕はけっしてそうだとは思わない。音楽はもっともっと近いところになければいけないと思っている。音楽をやっている人間としては、生命維持に直接必要がないといわれたら、いや、それは違うんじゃない? と強く思いました。音楽に限らず、いい芸術というものは『生きていることを実感させてくれる』もの。決してぜいたく品や嗜好品ではないと思うんです」(小曽根氏)
このような思いを抱きながら、ふたりのリビングルームコンサート構想ははじまった。
「それならまずは調律だ」と、小曽根氏はすぐ調律師の外山洋司氏に依頼した。また、3月からのツアー予定がキャンセルになった音響スタッフにも仕事として手伝ってもらった。そのように粛々と準備を進めていたところ、日本にも緊急事態宣言が発令。満を持してのコンサート開催となった。
初回は4月9日。以来、5月31日まで53日間、毎晩21時からの1時間、1日の休みもなく配信は続いた。
「オーチャードホール8個分」の観客が
当初2000人ほどだった観客は回を追うごとに増え続け、最終日には1万7000人に。今回の取材の会場にもなった渋谷・オーチャードホールの座席数が2150席なので、実に会場8個分の観客数だ。日本武道館(最大収容人数14471人)にも収まりきらない数の人たちが、小曽根氏たちに引き寄せられ、魅了されたことになる。リアルならば大変な「密」だが、そこはオンライン。いくら大人数になってもなんら問題はない。
今回のこのリビングコンサートでは、三鈴氏のプロデュースが随所に光っていた。
「音楽家は『音さえよければいい』というところがありますが、彼女はビジュアルのセンスをすごく大事にしていました。『心のライフラインであるはずの音楽のすばらしさを、どうしたらひとりでも多くの人に伝えられるか』を常に考えてくれました」(小曽根氏)
部屋に飾られたプラントやロウソクの場所からカメラアングルまで、全部位置を決めて指示をするのは三鈴氏。動かすのは小曽根氏の仕事だったという。最初は、手元を映さず、背景と小曽根氏の顔だけを映していた。
「多くのミュージシャンは手と自分を映るようにするんですね。でも、それだと背景が壁になってしまう。10分や15分ならいいですが、ピアノと僕だけで1時間だとつまらない。それより、後ろで風に揺れる木々の緑が見えたほうが素敵でしょう。都会に住んでいる皆さんには特にそうですよね」(小曽根氏)
そうして、背景に、森のような緑が一面に広がり、小曽根氏がピアノを弾くというアングルになった。
「音楽を愛する人が集う場所」
ある日、画面から見える会場がまるで「教会」か「神社」のように見えた日があったという。「暗闇の中にピアノがあって、窓があって。なんだか、この家はこのコンサートをやるためにつくられたのでは? と感じたほどでした」(小曽根氏)
「皆さんの心が集まる場所ならば、これは絶対に掃除しなければ」ということで、以来、三鈴氏は開催中毎日、会場となるリビングルームを「禊ぎ」のようにしっかりと磨き上げたという。
その後、「手元を見たい」というリクエストに応えて鍵盤を上から映すアングルが加わり、「話し声が聴きにくい」という声にはマイクを追加。ミキサーを入れてフットスイッチでオンオフを操作できるようにした。
「たまにスイッチを切り忘れて、『小曽根さん、オフってないですよ』というコメントが来たこともありました。それも含めて手作り感があり、生放送の楽しさということで(笑)」(小曽根氏)
こうしてコンサートは、観客とともに日々進化を続けていった。観客のコメントを見て幅広い曲のリクエストにも応え、バースデーソングを演奏して観客を祝う。オンラインでありながら、ライブ感を味わえるきめの細かさが一体感を生み、観客との絆を深める一因にもなったのだろう。
53日間という長丁場。正直、やめたいとか休みたいという気持ちを抱いたことはなかったのだろうか? そんな質問に、ふたりは顔を見合わせながら「そう思ったことは一度もなかったですね」と即答した。
「53日、よく続いたなと思いますね。でも、途中でやめようと思ったことは一度もなかった。観客がたったひとりになり、やがてその方も来なくなったら、『ああ、必要とされていないんだな』と思ってあきらめようとは考えてはいましたけれど。
そして、音楽家たるもの、食べられないことよりも演奏を聴いてもらえないことのほうがつらいと思う。それは私も同じです。食べるために何かほかの仕事を探したとしても、演奏は続けたい。表現し続けたいというのがあります。ですから、このコンサートがたとえ1年続いたとしてもやっていこうという気持ちはありました。
まあ、実際これが1年続いたら大変かもしれないけれど(笑)」(三鈴氏)
“53日間連続本番”のダメージ、後半は「手」に
「たしかに、身体はちょっときつかったですし、とくに後半、手にはきていました。もうちょっと続いていたら腱鞘炎になっていたかもしれない。
クラシックのコンチェルトのような、まるでアクロバットのような演奏を短時間でガーっと弾くと、『すごいことをやった』という実感とその達成感があるのですが、ああやって即興で弾いていると、普通にしゃべっているのと同じような感覚で。飲み屋さんで知らないうちに大声になっていて、本人はそんなにしゃべったつもりがないのに、翌日、なぜか声が枯れていて、『あれ、昨日はそんなにしゃべったっけ?』というのと同じような感じでした」(小曽根氏)
たしかに53日間、毎日「本番」が続くというのはプロのミュージシャンでもなかなかないことだろう。それだけでもすごいのに、自分たちの音楽を必要とする人がひとりでもいる限り、期間を設けずずっと発信し続ける心づもりだったという。
今回、自分たちが生かされている意味を教えてもらった気がする、と三鈴氏は言う。表現者として生きていく意味も。芸術をライフラインとして必要不可欠だという人々に届けることができた。
「リビングルームコンサートは私たちのひとつの“挑戦”であり、メッセージであったことも事実です」と三鈴氏は言う。
この「本気の思い」は距離に関係なく世界中に伝播し、いつの間にか人を集め、魅了する。「Welcome to Our Living Room」はそんなことも教えてくれた。
そして、その本気、リアルでも感じ取りたいという思いが募る。小曽根氏は12月に、「Welcome to Our Living Room」最終日の会場となった渋谷・オーチャードホールでコンサートを行なう予定だ。「遠隔での53夜」を経て肥えた耳、そして何よりも「リアルが当たり前でない」ことに気づいた今。劇場でのライブはまったく別の体験になる予感がする。
~ 世界的な経済誌 Forbesの記事でした。~