モラル・ハラスメントの加害者の<変質性>
前回、書き忘れてしまいましたが、DV的な被害に比べてモラル・ハラスメントは陰湿で分かり難く、被害者は被害として訴えにくいと思いますが、人格的に辱めて傷つける<意地悪>のようなものはモラル・ハラスメントに当たります。配偶者からのこの種の被害で苦しんでいらっしゃる方がありましたら、すべてを証拠として取っておかれることをお勧めします。イルゴイエンヌの著書がありますので、離婚をお考えになる場合、モラル・ハラスメントとして立証することができるのではないかと思います。
今日は、モラル・ハラスメント加害者の<変質性>についてまとめておきます。
- 自己愛的な<変質者>
- 誇大性(過大な自己評価)
- 相手を傷つけ、貶めることによって、自分が偉いと感じる
- 羨望(妬み)が強い
- 悪い事は他人のせいにする(無責任)
- <症状のない精神病者>
- 罪悪感の欠如
- 反省できない
- したたかで巧妙
- 感情を避ける
- 言葉を最大の武器とする
- 相手の弱点を白日のもとにさらす
モラル・ハラスメントの提唱者、マリー=フランス・イルゴイエンヌ,『モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない―』(紀伊國屋書店, 1999年)によれば、加害者の<変質性>とは次のようなものです。
自己愛的な<変質者>
自己愛的で凶悪な<変質者>
「限度を超えるほどに権力を求める気持ちが強く、それから限度を超えるほどに自己愛的」(p.29)。
自己愛性パーソナリティ障害の規定が、モラル・ハラスメントの加害者の定義ときわめて近い(pp.211-212)。
妄想症との類似も指摘されている(pp.226-228)。①自我の肥大(強い自尊心、優越感、)②精神硬直(非妥協性、執拗で他人を許さない、冷たい合理性、他人への軽蔑)、③警戒心、(他者からの攻撃に対する恐れ、他者からの悪意を疑う、不信感、嫉妬心)、④判断の誤り(なんでもない出来事を自分に対する悪意の結果だと解釈する)。
誇大性(過大な自己評価)
<自分が偉く重要な人物だと思っている>、<自分が特別な存在だと思っている>、<いつも他人の賞賛を必要としている>、<すべてが自分のおかげだと思っている>、<人間関係のなかで相手を利用することしか考えていない>、<他人に共感することができない>、<他人を羨望することが多い>、<いわば自分が常識であり、真実や善悪の判定者であるかのように(道徳家であるかのように)ふるまう>、<自分の基準を絶対的なものだと考え、その基準を周りの人々に押しつける)、<相手のことは厳しく非難し、自分に対してはいかなる批判も反論も許さない>(pp.215-216)。
相手を傷つけ、貶めることによって、自分が偉いと感じる
他人の評価を下げて、自分が優れた人物だと感じる。
相手を傷つけ、貶めることによって、自分が偉いと感じ、自分の心のなかの葛藤から目をそむける。
羨望(妬み)が強い
自分が持っていないもの(幸福、成功、楽しみ、才能など。物質的なものであることはめったにない)を持っている人を見ると、自分が惨めになり、劣等感を刺激される。そんな自分を受け入れることもできない。相手を自分に服従させて、その力を自分のものにできたと感じようとするが、相手が反抗するようになると、羨望が憎しみに変わる。羨望を感じる相手を、辱め、貶めて、支配して、自分以下のレベルに引き下げて喜ぶ。そこで相手を破壊して、自分の惨めな状態を解消する。そうした仕方で自信をもつ。「大切なのは、羨望する相手と自分との差を埋めることである。もしそうなら、相手を辱め、貶めればそれで十分なのだ」(p.221)。
※ 悪意をもつ理由が<羨望(妬み)>という自分の恥ずべき感情であるため、悪意をもっていることが隠されます。
悪い事は他人のせいにする(無責任)
自分が羨望(劣等感)から被害者を攻撃していることは認めたくない(自己イメージが悪くなる (イルゴイエンヌ『モラル・ハラスメントが人も社会もダメにする』, 紀伊國屋書店, 2003年, p.88) )ので、被害者が悪くて非難されるべき人間だという話にする。
過ち、失敗の原因を他人になすりつけ、他人を悪く言って、自分のストレスを解消する。
自分は責任を負わなくてよくなる。罪悪感も持たずに済む。
自分の身を守るために、現実を否認する。
毎日の生活のなかで決定を下すことができず、いつでも他人に責任を引き受けさせる。
本当は自分が相手に依存しているのに(そう認めると自己イメージが悪くなるので)、自分との関係を必要としているのは相手の方だと考える。
<症状のない精神病者>
自分の中にある苦しみや矛盾が精神病の症状として現われないように、それらを他人に押しつける(イルゴイエンヌ,1999年, p.211)。
もし自分に欠点があることに気づいたら、不安が精神病のレベルにまで高まってしまう(前掲書, p.216)。
自分の精神が崩壊しないように、<悪いこと>をすべて外部に投影する。
※ 自分の失敗や欠点に直面してしまうと、うつ病になることが多いでしょう。
罪悪感の欠如
「人間は誰でも――たとえば怒った時などに、相手を傷つけるようなことを言ったりしたりする。だが、そういった行為は『あんなことはしなければよかった』と必ずあとで反省されるものだ。だが、モラル・ハラスメントの加害者はそんなことはしない。自分を省みることなどは決してしない人間なのだ」(p.21)。
他人を尊重する気持ちなど全くなく、ほんの些細なことがきっかけで激しい憎しみを抱く。相手がどれほど苦しんでいようとまったく哀れみの気持ちをもたず、被害者が攻撃をうけるにふさわしい人間で、それを不満に思う権利がないと考える(p.137)。
ほんの少しでも自分の権力に反対することを許さない。
道徳家のふりをしても、決して道徳的な人間ではない。道徳に反する行為をするのをためらわない(p.217)。
反省できない
「加害者は被害者に精神的な暴力をふるうことによって、自分が抑うつ状態になるのを防ぎ、また自分自信と向かいあって、自分を見つめたり反省したりすることを避ける。被害者はそのためにいるのだ」(p.229)。
したたかで巧妙
外面的には分からない。被害者に憎しみを向けることで加害者の心は落ち着き、被害者以外の人々に対しては感じの良い人間として振る舞うこともできる。そこで、周囲の人々は、加害者のモラル・ハラスメントが公になると、非常に驚き、「そんなはずはない」と否定することすらある(p.228)。
規則の網をくぐり抜けることに喜びを覚える(p.226)。
「私が言う<変質>には『凶悪な』というニュアンスがこめられている。凶悪さは精神病的な障害から来るものではない。他人を人間として考えることができないという<能力の欠如>と、自分のためにすべてを利用しようとする<冷たい合理性>が組み合わさってできたものだ。・・・確かにそのうちの何人かは軽犯罪をおかして裁判を受けることもあるだろう。だが、その大半は巧みに能力を発揮して社会に適合し・・・精神科医や裁判所の判事、教育者など、職業的にモラルハラスメントに関わることのある人々も、うっかりするとすぐに加害者の罠にはまり、加害者を被害者だと思わされてしまう」(p.24)。
感情を避ける
自分自身の感情に動揺しないようにするために、あらゆる感情を避ける。
親密な関係を恐れる(<飲み込まれ恐怖>)。表面的な情熱をもつことはあっても、愛情の面で他人と十分な距離をおく。相手に愛情を示したり、同情を感じたりしない。冷淡で、他人の苦しみに無関心。
自分のナルシシズムが傷つけられた場合は、復讐の気持ちに際限がなくなる。(pp.216-218)
※ 自分の感情を守ろうとする気持が強いと言えそうです。<飲み込まれ恐怖>があるのかもしれません。
言葉を最大の武器とする
言葉を使えば思う存分、相手を傷つけることができ、しかも証拠は残らない(p.75)。
相手の弱点を白日のもとにさらす
「加害者の攻撃の特徴は、相手の欠点や精神的に弱いところなど、もろい部分を攻めることにある。人間には誰しも弱点がある。・・・モラル・ハラスメントの加害者は相手の欠陥を足がかりにして、相手を攻撃していくのだ。そして、どこが相手の弱点か、どこを攻めれば相手がいちばん傷つくか、よく知っている」(p.231)。