微子第十八

461微子去之、箕子爲之奴、比干諫而死。孔子曰、殷有三仁焉。(微子第十八)

微子は之を去り、箕子は之が奴となり、比干は諫めて死す。孔子曰く、殷に三仁有り。

462柳下惠爲士師、三黜。人曰、子未可以去乎。曰、直道而事人、焉往而不三黜。枉道而事人、何必去父母之邦。 (微子第十八)

柳下惠士師と爲りて三たび黜けらる。人曰く、子未だ以て去る可からざるかと。曰く、道を直くして人に事へば、焉に往くとしてか三たび黜けられざらん。日を枉げて人に事へば、何ぞ必ずしも父母の邦を去らん。

463齊景公待孔子曰、若季氏、則吾不能、以季・孟之閒待之。曰、吾老矣。不能用也。孔子行。 (微子第十八)

齊の景公孔子を待ちて曰く、季氏の若きは則ち吾能はず。季孟の閒を以て之を待たんと。曰く、吾老いたり、用ふること能はざるなりと。孔子行(さ)る。 �

464齊人歸女樂。季桓子受之、三日不朝。孔子行。 (微子第十八)

齊人女樂を歸(おく)る。季桓子之を受け、三日朝せず。孔子行(さ)る。

465楚狂接輿歌而過孔子。曰、鳳兮鳳兮、何德之衰。往者不可諫、來者猶可追。已而、已而。今之從政者殆而。孔子下欲與之言。趨而辟之。不得與之言。 (微子第十八)

楚の狂接輿(きやうせふよ)歌ひて孔子を過ぎて曰く、鳳や鳳や、何ぞ德の衰へたる。往く者は諫む可からず、來る者は猶ほ追う可し。已みなん、已みなん。今の政に從ふ者は殆しと。孔子下りて之と言はんと欲す。趨りて之を辟く。之と言ふことを得ず。

466長沮・桀溺、耦而耕。孔子過之、使子路問津焉。長沮曰、夫執輿者爲誰。子路曰、爲孔丘。曰、是魯孔丘與。曰、是也。曰、是知津矣。問於桀溺。桀溺曰、子爲誰。曰、爲仲由。曰、是魯孔丘之徒與。對曰、然。曰、滔滔者、天下皆是也。而誰以易之。且而與其從辟人之士也、豈若從辟世之士哉。耰而不輟。子路行以告。夫子憮然曰、鳥獸不可與同羣。吾非斯人之徒與、而誰與。天下有道、丘不與易也。 (微子第十八)

長沮(ちやうそ)・桀溺(けつでき)、耦(ぐう)して耕(たがや)す。孔子之を過ぎ、子路をして津(しん)を問はしむ。長沮曰く、夫(か)の輿(よ)を執(と)る者を誰(たれ)とか爲すと。子路曰く、孔丘と爲すと。曰く、是は魯の孔丘かと。曰く、是なりと。曰く、是ならば津を知らんと。桀溺に問ふ。桀溺曰く、子を誰とか爲すと。曰く、仲由と爲すと。曰く、是は魯の孔丘の徒かと。對へて曰く、然りと。曰く、滔滔たる者、天下皆是なり。而るを誰と以(とも)にか之を易へん。且つ而(なんぢ)其の人を辟くるの士に從はんよりは、豈(あに)世を辟くるの士に從ふに若かんやと。耰(いう)して輟(や)めず。子路行(ゆ)きて以て告ぐ。夫子憮然として曰く、鳥獸(てうじう)は與(とも)に羣を同じくす可からず。吾斯の人の徒と與にするに非ずして、誰と與にかせん。天下道有らば、丘與に易へざるなり。

467子路從而後。遇丈人以杖荷蓧。子路問曰、子見夫子乎。丈人曰、四體不勤、五穀不分。孰爲夫子。植其杖而芸。子路拱而立。止子路宿、殺雞爲黍而食之、見其二子焉。明日、子路行以告。子曰、隱者也。使子路反見之。至則行矣。子路曰、不仕無義。長幼之節、不可廢也。君臣之義、如之何其廢之。欲潔其身而亂大倫。君子之仕也、行其義也。道之不行、已知之矣。 (微子第十八)

子路從ひて後れたり。丈人(ぢやうじん)の杖を以て蓧(でう)を荷ふに遭ふ。子路問ひて曰く、子夫子を見たるかと。丈人曰く、四體勤めず、五穀分たず。孰をか夫子と爲すと。其の杖を植(た)てて芸(くさぎ)る。子路拱して立つ。子路を止めて宿せしめ、雞を殺し黍を爲(つく)りて之を食(くら)はしめ、其の二子を見(まみ)えしむ。明日子路行きて以て告ぐ。子曰く隱者なりと。子路をして反りて之を見しむ。至れば則ち行(さ)れり。子路曰く、仕へずんば義無し。長幼の節は、廃す可からざるなり。君臣の義は之を如何ぞ其れ之を廃せん。其の身を潔くせんと欲して大倫を亂る。君子の仕ふるや、其の義を行はんと。道の行はれざることは、已に之を知れり。

468逸民伯夷・叔齊・虞仲・夷逸・朱張・柳下惠・少連。子曰、不降其志、不辱其身、伯夷・叔齊與。謂柳下惠・少連。降志辱身矣、言中倫、行中慮。其斯而已矣。謂虞仲・夷逸。隱居放言、身中清、廢中權。我則異於是。無可無不可。 (微子第十八)

逸民は、伯夷・叔齊・虞仲・夷逸・朱張・柳下惠・少連。子曰く、其の志を降さず。其の身を辱めざるは、伯夷・叔齊かと。柳下惠・少連を謂ふ、志を降し身を辱しむ。言は倫に中り、行ひは慮に中る。其れ斯れのみと。虞仲・夷逸を謂ふ、隱居して放言し、身は清に中り、廃は權に中る。我は則ち是に異なり。可も無く不可も無しと。

469大師摯適齊。亞飯干適楚。三飯繚適蔡。四飯缺適秦。鼓方叔入於河。播鼗武入於漢。少師陽・撃磬襄入於海。 (微子第十八)

大師摯(し)は齊に適き、亞飯干は楚に適き、三飯繚は蔡に適き、四飯缺は秦適き、鼓方叔は河入り、播鼗武(はたうぶ)漢に入り、少師陽・撃磬襄(げきけいじやう)は海に入る。

470周公謂魯公曰、君子不施其親。不使大臣怨乎不以。故舊無大故、則不棄也。無求備於一人。 (微子第十八)

周公魯公に謂ひて曰く、君子は其の親を施(す)てず。大臣をして以(もち)ひられざるを怨ましめず。故舊は大故無ければ、則ち棄てず。備はることを一人に求むる無し。

471周有八士。伯達・伯适・仲突・仲忽・叔夜・叔夏・季随・季騧。 (微子第十八)

周に八士有り。伯達・伯适・仲突・仲忽・叔夜・叔夏・季随・季騧(きくわ)。