2020年09月22日

  ジャニーズを退所


ほんでもって、ある日のおうち御飯。

この日は鍋をする事にした。

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おからを食べながらの鍋が最高に美味しいのであった。










少年隊の錦織一清(55)と植草克秀(54)が20日、年内いっぱいでジャニーズ事

務所を退所すると発表した。

東山紀之(53)は事務所に残る。

ファンクラブサイトでの発表を受け、熱心なファンはSNSなどで即座に反応

「DVDの発売はうれしかったけどそれに続く退所発表にショック」という

声の一方で「寂しいけど、これまでありがとう」などの書き込みもあった。

「2人が退所するのに、少年隊の名前が残るのがびっくり」と、事務所の異例の

措置に驚きを見せる声も多かった。

50歳過ぎて、ジャニーズでやっていけるルックスを保つのは中々大変。

東なんかもそうとう苦労して努力してると思う。

二人ともお疲れ様。

少年隊は光GENJIがデビューする以前にジャニーズの王道的な「歌もアクロ

バットもする」という土台を作ったいわばパイオニア的存在なので30年以上

ジャニーズを全うした(グループ自体はここ10年休業状態だったが)のちの

円満退社かな、と思っている。

ジャニーズJr.の子たちも少年隊の曲をカバーすることが多い。

それほど事務所内では影響力のあるグループだった。

そこまで今回の退所についてはマイナスな感情を抱いていない。

少年隊の錦織さんと植草さんがジャニーズを退所。

TOKIOの長瀬くんや関ジャニ∞のすばるくんなら音楽活動をやりたいとの理由と

かだし納得もするが、大御所の錦織さんと植草さんが退所となるのは、事務所側

の意向の方が強いのかなと邪推してしまう。

どのような理由なのか。

これまでもずっと東山紀之だけ重用していたのだから、よく今まで居たなという

のが率直な感想。

あの時代のジャニーズグループだったら、とっくの昔に少年隊を解散していても

おかしくなかった。

ただ一番よくわからないのが2人は退所してもグループが存続するという事。

東山がジャニーズの幹部だから特別待遇なのかよーわからんけど、先代の社長が

亡くなって組織に変化が出ている感じは受ける。

これがOKなら何でSMAP解散したんだろう。

不思議だ。










サルゴン2世。

前王シャルマネセル5世の弟で、兄から王位を奪って4代95年にわたるサルゴン朝

(新アッシリア)を興して、アッシリア時代末期に帝国の最盛期を現出した王。

イスラエル王国の首都サマリアを攻略して属州とし、住民をアッシリアに

移して、新都ドゥル・シャッルキン(コルサバード)を建設した。

アッシリアの最盛期は、ティグラトピレセル3世の時代からアッシュルバニパル

の時代にかけてになる。

最大の領土を獲得したのは、エッサルハドンの時代ではないかと思われる。

エッサルハドンの時にエジプト占領が行われている。

アッシュルバニパルの時に、エジプトを失っているが、その後スーサなどの占領

が行われているが、領土としてエジプトのほうが大きいと思えるから、アッサル

ハドンの時代が最大領土だったと思われる。

しかし、質的に最盛期だったのは、ピグラトピレセス3世の時代の末期だったの

ではないだろうか。

サルゴン2世の時代から、アッシリア国内での反乱が相次ぎ、王位をめぐる争い

も多くなり、アッシリアは混乱してゆくからである。

旧約聖書の話。

Ⅱ列王記15章29節で 捕囚がおこり、 Ⅱ列王記17章5~6節で サルゴン2世による

サマリヤ陥落で、2万7290人が メソポタミヤやメディアに 捕らえ移されるよう

な出来事があったが、この捕囚によってイスラエルの民は別の国に移された。

その後のイスラエルの民。

アッシリア捕囚後、聖書名の人物がインドの歴史やアフガニスタン辺りの歴史に

登場すると書いている。

消えた10支族の噂は古代からされてて日本でも鎌倉時代や中世にされてたそう

である。

ドイツでもタタール人が攻めてくるとタタールは消えた10支族の子孫でヨーロ

ッパを襲うのだなんて陰謀論をながしていた。

アッシリア捕囚後、ユダヤ人をバビロン捕囚から解放アケメナスシテクレタ朝の

キュロス2世はユダヤ人にとってメシア。

ゾロアスター教信じてたし他民族に寛容だった。

トビト記 アッシリア捕囚後ニネヴェで暮らすトビトの話。

トビトは旧約聖書(カトリック教会では正典だがプロテスタントなどでは外典と

して扱うなど差がある)の『トビト記』の主人公

トビトはナフタリ族アシエルの家系に属し、シャルマナサルがアッシリア王の

とき捕囚となりニネヴェに連行された。

王の役人となり厚遇されたが、次の王センナケリブのとき冤罪を帰せられて逃亡

した。

のちエサルハドンが即位するとニネヴェに帰った。

そこですずめの糞が目に落ちたことが原因で失明をするが、天使ラファエルに

助言された息子トビアによって視力を回復した。

その後、120歳でニネヴェにおいて死に、同地に葬られる。

なお『トビト記』によればアッシリアが滅びたのはトビトの息子トビアの

晩年であるという。

ティグリス川上流にあったアッシリア帝国の都ニネベに王立図書館が

建設された。

前612年にアッシリア帝国が滅亡してから廃墟となり、長い間その位置は

判らなかったが、1849年フランスの外交官ボッタが発掘に成功し、

大量に出土した楔形文字から、帝国最後の王センナケリブ王の王宮であった

ことがわかった。

遺跡からはアッシュール=バニパル王の建設したという王立図書館のあとと

言われるところも見つかった。

ニネヴェの王立図書館

アッシリア帝国のアッシュール=バニパル王が、首都ニネヴェに建設した

もので、世界最古の図書館とされている。

メソポタミアとエジプトを統合し、広く西アジアを支配したアッシリアは、

帝国内の産業や経済を掌握するために、王立図書館と言っているが、

図書館というより情報センターと言うことであろう。

もちろんそれらの情報は、粘土板に楔形文字で書かれているものであった。

1894年に発掘さした遺跡がその図書館跡とされており、2万5千枚

(あるいは4万枚とも言う)の楔形文字が刻印された粘土板が見つかった。

それらはすぐに大英博物館に送られ、アッシュール学の学者たちによって

解読作業が行われた。

そこから「アッシリア学」といわれる分野が発展している。

アッシリア捕囚後イスラエルの消えた10支族というがイギリスにもダン族が

行ってたという。

バビロン捕囚の時ゼデキア王の娘がアイルランドに逃げダン族の王子と

結婚した。

という伝説がある。

バビロン王ネブカドネザルがその全軍と、彼に従っている地のすべての国の

人々、およびもろもろの民を率いて、エルサレムとその町々を攻めて戦っていた

時に、主からエレミヤに臨んだ言葉、すなわちバビロンの王はゼデキヤの子たち

をその目の前で殺させ、ユダのつかさたちをことごとくリブラで殺させ、

またゼデキヤの目をつぶさせた。

そしてバビロンの王は彼を鎖につないでバビロンへ連れて行き、

その死ぬ日まで獄屋に入れて置いた。

(エレ52:9-11)

バビロンの王はネブカドネザル。

バビロン捕囚はBC597年、新バビロニアの王ネブカドネザル2世によりユダ王国の

ユダヤ人たちがバビロニア地方へ捕虜として連行され、移住させられた事件。

この時ユダ王国の王子とゼデキア王は殺され、ゼデキアの娘がアイルランドに

逃げた。

ユダヤ人の王の娘がアイルランドに逃げすでに住んでたダン族の王子と

結婚した。

ダン族はイスラエル12氏族の1つ。

古代イスラエルはダビデ王ソロモン王の時代ピークを迎えた。

しかしソロモンの死後古代イスラエルは南北に分裂し危機を迎える。

北王国はアッシリアに滅ぼされた。

紀元前740年代頃アッシリア捕囚開始。イスラエル王国(北王国)の10部族の

うち貴族層技術者、インテリが連れ去られた。

アッシリア捕囚後カナンにはアッシリア人バビロニア人、サマリア人とか

異民族が連れてこられた。

混血がすすみだす。

次にBC597年 バビロン王ネブカデネザルは南のユダ王国を攻撃、エルサレムを

3たび攻撃し、1回目はダニエルを、2回目はエゼキエルを。

そして3回目のBC586、エルサレムは炎上壊滅、残りの民が連れていかれた。

バビロンでの捕囚期間は70年(BC606~BC536)

ユダヤ人捕囚たちは、奴隷の身となっても自分たちのアイデンティティを

失うまいと団結した。

アッシリアの捕囚になって消えてしまった10支族のようにならないよう必死で

努力した。

もしかしたらバビロニアで消えた同朋たちとめぐりあってたかもしれない。

この時代にユダヤ教というのは、きちんとした形にまとめられていった。

聖書の編集が始まったのもこの時期。

というのは聖書に「アブラムはカルデアのウルを出しが」という書き方がされて

いてカルデアという言い方がバビロン風だから。

バビロン捕囚の時の預言者といえばエゼキエルとダニエル。

神様はエゼキエルとダニエルが夢に見たまぼろしの中に多くの啓示を

与えられた。

エゼキエルはアーロンの家系に生まれたために、司祭になる運命だった。

捕囚の地でどうやって民を導くか悩んだ。

悩んでいると夢に神様があらわれ巻物を渡す。

「食べてみよ」といわれ巻物を食べたら蜜の味がした。

巻物の中は苦痛に満ちているけれど最後は甘い味がする。

ダニエルはネブカドネザル王の下で試練にさらされた。

自分の信仰を守りながら残虐な王の無理難題に次々と回答しないといけなかった

からである。

ある日王は不可解な夢を見て悩み博士、占星術師、カルデア人を集めて、、

自分がどんな夢を見たか当てよ。

夢の話を聞かないで夢の意味を解き明かせ、、と命令する。

答えられなかった者の手足を斬り、その者の家を公衆便所にする、、

というのである。

誰も答えられない。

王は怒ってバビロン中の賢人を皆殺しにすると言い出した。

その時ダニエルが呼ばれ彼一人、夢を解き明かすことが出来た。

お蔭でダニエルは他の学者から嫉妬されライオンの穴に投げ込まれる羽目に

なった。

ダニエルはソロモンの栄華が崩れてしまった原因がわかってたからネブカドネザ

ル王に今後どんな運命がふりかかるか予知できた。

BC539年、新バビロニアはペルシャにより滅亡した。

ペルシア王キュロス2世の命令によって、ユダヤ人たちは解放され、

故国に戻る許可を得た。

新バビロニア滅亡後エルサレムに帰還した捕囚の民は42,462人だった。

ほとんどの民はバビロニアに留まった。

当初は「われらバビロンの河の畔に座りシオンを想い涙流しぬ」と歌っていたが

次第に頭角をあらわしてゆく。

バビロニアで商売繁盛してたり有名人になってたユダヤ人は帰らなかった。

バビロンに学問の中心商売の中心地があって学問好き商売好きのユダヤ人は

実力発揮できた。

ヘブライ聖書作成の中心はエズラ、エレミア。

二人はバビロン捕囚後ユダヤ民族存亡の危機を感じ、聖書作成、タルムード作成

の急務を感じた。

各部族が持ち寄った文書をもとに聖書を作成して行った。

ユダヤ人はどこに行くにもミシュナーを携えて旅し、メズサを貼ったユダヤ人の

宿に行きミシュナーを通行手形として見せれば泊まらせてくれた。





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h_t_tomoto at 06:20コメント(0)トラックバック(0) 

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