アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2019年01月28日

社会の縮図

息子が、4歳くらいの時だったと思います。いつものように朝、保育園に送って行ったときのことでした。

上級生下級生を問わず、登園した子みんなが一旦集合する教室で、朝の健康チェックのため、息子は先生に体温を測って頂いていました。
私はそれに付き添って待っていたのですが、私の目の前には、息子より上級の子たちが、丁度自分の教室へ移動する時間だったらしく、1列に並びはじめていました。

その時、たまたま私の目の前で、割り込みをした子がいたのです。
当然、自分の前に割り込みをされた子は納得がいかなかったのでしょう。
「●●!後ろに並べよ!!」
といって、割り込んできた子を排除しようとします。
割り込んだ子は、割り込んだ意地があったのか、頑張ってその場にいようとします。
すると今度は、前に並んでいた子が、割り込んだ子を攻撃しはじめ、ついには突き飛ばしてしまいました。
突き飛ばされた拍子に、体温を測ってもらっていた私の息子にちょっとぶつかったのですが、割り込んだ子はその場でワンワンと泣きわめき始めました。
私の息子は、キョトンとして、そばにいる先生に「あの人、泣いてるよ」と教えていました。

一般社会でも、タクシーの待ち列や、セール時期の開店待ち列など、たまぁ〜にこういった「割り込んだ」「割り込んでいない」でトラブルに発展することって、ありますよね。
私もかつて、就業中のイベント時に、職業柄、業務の一環として、待ち列でトラブルが無いように細心の注意を払って対応してきた記憶があります。
ともすれば、「運営側の案内に問題があったのではないか」ということにも転嫁されかねません。
事の真相は当事者にしかわからないことがたくさんあるわけで、仲裁に入る者も、キチンと事の顛末を理解してから介入する覚悟をしなければ、「火に油を注ぐこと」にもなりかねませんし、下手をすれば自分が火傷をこうむることにもつながりかねません。
その事の顛末自体を把握することも、非常に難しい時があります。
前々職では、肌で感じることが本当に多々ございました。

今回の一件の場合、割り込んだ子が事の発端を起こした張本人ではありますが、それを注意する子も言い方が少しキツかったように感じられたので、言われた方も意地を張って頑張ってしまったのでしょう。
最後は、事を起こした子は力づくの制裁を受けることになったわけですが、この「事件」の場に居合わせた子は、私も私の息子も含めて、考えさせられる貴重な一件だったと思います。

争いとは、それぞれが「自分は間違っていない」と思った時に起きてしまうわけで、その時に自分の正当性を周りに吹聴して味方を付けるのが得策なのか、自分の正当性を最後まで信じて、例え「一匹狼」になってでも、自分の正当性を貫き通すのが得策なのか・・・。
大人も子供も、それぞれの社会で「事件」に遭遇して、そこで自分はどう向き合うべきかを考える・・・。
真の正解は当事者にしかわからないけど、相手にこうしたら自分の主張が受け入れてもらえるのではないか、と思考していくことが一つの修行なのかな、と思いました。

息子から「あの人、泣いてるよ」と報告を受けた先生は、「みんなで仲良く行き(移動し)ますよ」と優しくお声掛けされていました。
私は、おそらくこういったことは日常茶飯事だし、だからこそ当事者同士で解決する力を促しているということなのかな、と理解しました。

自分の正義を育てるためには、社会からジャッジを受けること。
でも、そのジャッジにおかしいと思うことがあれば、おかしいのではないかと疑問を呈すること。
そこでおかしいと自分が納得できれば、その人の成長につながることなのだろうかと。
これが同じような境遇に再び遭遇した時の自分の道標になるのだろうと・・・。(自燈明・法燈明)
保育園の先生が、あえてそこに仲裁に入らなかったのは、まさにこれを気づかせる取り組みの一つなのではないかな、と思いました。

ほんの数分の、ほんのちょっとしたひと時でしたが、「社会」を感じるひと時でした。




















posted by あんとん at 10:24| 育児・教育

2019年01月24日

英語も大切ですが、日本語(国語)はどうでしょう。

私、すでに慣れ親しんだ学習塾の経営を終えていますので、事業としての損得は抜きにして、「語学」という観点から、息子への教育について思っていることがあるので、それを今回は書かせて頂きたいと思います。

小学国語では、漢字や長文はもちろんですが、国文法についてもしっかり触れています。
とりわけ、「主語」「述語」「修飾語」は小学2年ごろから毎年触れていきます。
それでも小4,5,6年生の中には、これらが本当に難しく感じている子が多く見られました。

私は小学生の頃、中学受験を目指していたので、通っていた進学塾でも非常に重点的に取り上げていましたのを覚えています。

「普段使っている言語なのに、なんでこんなに難しいのだろう。ややこしいのだろう。」
そんなことを思いつつ、勉強した記憶があります。
おかげさまで、一文を「主語」「述語」「修飾語」に分析する知識はしっかりと身についたように思います。
その当時は、それで止まっていたのですが、この「構文分析知識」が、大学受験の英語の時に役に立つということは小学生当時は夢にも思っていませんでした。

高校生の時、私は駿台予備学校に通いました。
中学、高校と英語が本当に苦手で、非常に苦労していました。
でも、駿台予備学校のカリスマ講師の講習会に参加した時、一気にその苦手意識が払拭されました。

それは、単語の1つ1つに役割があって、基本的に英文(平叙文)には「主語(S)」「動詞(V)」「修飾語句
(OやC)」が並んでいて、それぞれは、1つの単語で成り立つときもあるし、2語以上で1つの働きになっている、というところが理解できた時でした。
その時、カリスマ講師が解説に使ってくれたのが、日本文の「主語」「述語」「修飾語」でした。
日本文で構文分析したものを、英文に当てはめて分析した時に、日本文と英文には語順の違いがあるだけで、それまで英語の単語の羅列にしか見えなかったものが、それぞれが働きを持ったカタマリの集まりに見えていったのです。
その時から、英単語を覚えるときも、やみくもに覚えていくのではなく、「動詞」を優先的に覚えたり、長文読解の時に「副詞」や「形容詞」を都度覚えていったり、暗記の優先順位も自ずと決まっていきました。

なので、小中学生に英語を学習させる前には、私は国語を重点的に見直すように指導させて頂きました。
構文分析は、頭を使いますので、いろいろなことに波及効果があります。
作文の時にももちろん役に立ちます。
それから、英作文の作業にも役に立ちます。

文章を読む、書くということは国語に限らず他の教科にもとても役にたつ要素がつまっていると思います。
私の息子にも、小学進学準備ということで勉強をさせていますが、まず文章をしっかり読ませることからやっています。
そして、ひらがなだけの文章をカタコトで読ませますが、そのあと単語ごとにマルで囲んで文章の意味を一緒に考えます。
そうすることで指示をしっかりと理解して問題を正確に解く訓練をしています。

これは、小学校に進んだ時に「先生の話をきちんと聞く」「先生の指示に従って行動する」というまずは基本的な姿勢を身に着けさせる一歩だと思っています。

やがては、作文を書かせるときに自由な発想ができるように訓練して、「自分はどう思うのか」という社会に出て一番求められることを鍛えていきたいなと思っています。

こう見てきますと、他の教科同様に国語は非常に大切ですし、もっといえば、他教科を学習する際の基盤になるものと思っております。

もちろん英語も英会話などで小さいときから触れることも大切だと思います。でも、普段使う国語で「構文分析」の力がきちんと身に着けられれば、なお心強いものではないかな、と思っています。












posted by あんとん at 00:00| 育児・教育

2019年01月23日

人の成長

2月から新しい仕事を始めるにあたり、これからの生活についていろいろ考えて準備をしているところであります。
この1週間は、家族について改めていろいろ考えさせられた期間でした。
新たな収入を得る環境のなかで、自分は本当に大丈夫だろうか、ついて行けるだろうか。。。
でも、毎朝、起床時間になっても起きない息子を抱きかかえて起こすにつけ、日に日にその体が大きくなっていることを体感しますと、身が引き締まる思いでもあります。
息子にはこれから何かとお金が必要になってくることを考えると、あーだこーだ言っている場合ではありません。
とりあえず、この悶々とした不安な気持ちをリセットするべく、この前の日曜日は、赤坂の豊川稲荷様と氷川神社様へお詣りに行ってきました。
じっとしていてもどうにもならないし、妻と話して息子と3人でお詣りをしました。
これまでそんなに感じることはありませんでしたが、神社やお寺というのは、とても気持ちが落ち着くものだなと今回は強く思いました。なぜか手を合わせるだけで非常にありがたいと思いました。
息子の成長に合わせて、私たちの家庭にも新たな喜びや辛さも出てくることかと思います。
その時に備えて、今をしっかりとしないといけないなと改めて思いました。




posted by あんとん at 04:15| 育児・教育

2019年01月18日

「元号が変わる」ということについて思うこと

私が小学生だった頃、今は亡き明治生まれの祖母に対し、明治→大正→昭和と3つの時代を生きてきたことに、なんとなく凄いなぁと思っておりました。
ある日、私は祖母に対し、「ねぇねぇ、おばあちゃん、元号が変わるってどんな感じ?」と聞いたことがあります。
祖母は少し考えて、「そうねぇ・・・、1年目が『元年』になるのよぉ〜」と答えてもらったことを覚えています(^^;

そして時が経ち、私が中学生の頃、元号が「昭和」から「平成」に変わりました。
硬貨をみても、これまで「昭和●●年」鋳造の硬貨ばかりだったものが、「平成●●年」鋳造硬貨が出回るようになり、新聞の日付も「元年」と標記されていたことに、なんとなく「ああ、リセットされたんだな」、と感じたことを思い出します。

今年は、その「平成」から新元号へと変わります。
その節目に思いますのは、「元号が変わる」というのは、その時にこれまでの全てが劇的に変わるということではなく、まずはとりあえず、「元号の標記が変わる」だけで、そのあと徐々に時が流れ、振り返った時に「ああ、これがこの時代なんだな」と感じていくものなのかなということでございます。
その意味で本当に「今さら」ではありますが、小学生当時、祖母に対してよくもまぁ返答に困るような変な質問をしたものだなと思っています(^^;。

そして、ついでに思い出したことを1つ。。。

小学生当時、私が住んでいた家の近くには、映画「20世紀少年」に出てきたような駄菓子屋がありました。
そこにはアーケードゲーム台が数台併設されていて、地元の子ども達はよくお小遣いを握りしめてここに通っていました。
この駄菓子屋の男の子と私は小学校の同級生で、本当に仲良く遊んでもらいました。

丁度その時期、任天堂の「ファミリーコンピュータ」が発売開始になり、これまでお金を払って遊ぶアーケードゲームでしか遊べなかった「マリオブラザース」や「ベースボール」、「ドンキーコング」「スパルタンX」「魔界村」などのようなゲームが、家庭でも遊べるようになりました。
この駄菓子屋では、当時の旅館などによく設置されていた「100円テレビ」の応用版で、「時間制限つきのファミコン」が設置されたのです。
システムとしては、店のおばちゃんから借りたいファミコンソフトを借りて、テレビ脇のコイン投入口に50円玉を入れれば、確か30分の時間制限でファミコンが遊べる仕組みだったと思います。
家庭用ゲーム機として普及し始めていた「ファミコン」でしたが、家庭の方針でファミコンを買ってもらえない子どもたちにとっては、これはとてもありがたいサービスでした。

そんな当時としては画期的だったファミコンの傍らには、メンコやベーゴマといった、昔ながらのお遊び道具もあり、それぞれにその時の気分に応じて、自分たちなりの遊びをしていたような気がします。

駄菓子屋に通ったことが、「今の自分の何に役に立ったか」なんてことは、即答できません。
でも、「昭和の片りんを吸収して育った」という古き良き思い出としては、今でも鮮明に覚えているのです。
振り返ったときに、「ああ、あの頃が懐かしい」「ああ、あの頃は面白かったなぁ」と思ってもらえるような1ページを、一つでも自分の子どもにも体験させてあげたいなと思っています。



posted by あんとん at 00:00| 育児・教育

2019年01月17日

言葉と感情

少し前の話ですが、ある日入塾したての子が問題を解いていて、質問をしてくれました。

生徒:先生、これってなんで間違いなんですか?
私:どれどれ?えーっと、「次の中(ア)〜(エ)の中から適当なものを選んで答えなさい」、ん?なんで(ウ)を選んだの?
生徒:だって、「テキトー」って書いてあったから・・・。

こういうノリは、私はとても大好きなので、場所が場所であれば、座布団を3枚でも差し上げたいところなのですが、悲しいかなここは学びの場。
「適当」は「エイ、ヤーと決める」ということではなくて、「丁度合っているところ」という意味なんだ。
理科などで「適当な温度」というのは、「エイ、ヤーといって見つける温度」ではなくて、「その条件で丁度いい温度」という意味なんだ。

このようにお話ししていますと、私も前職で法律用語に少し触れたことを思い出しました。
「善意」と「悪意」
一見しますと、「善意」とは、いかにも清らかで何ら間違いのないイメージであるのに対し、「悪意」とは、いかにも腹黒くて近寄りがたいイメージを持ってしまいます。
ところが、法律用語としての「善意」「悪意」とは、前者は単に「ある事実について知らない」という意味で用いられるのに対し、後者は単に「ある事実について知っている」ということを示すだけで、どちらの場合も、そこに道徳的な善悪の判断を含むものではなく、ただ事実を示す言葉として使われるだけなのです。

よく日常会話で耳にする、「先公」「貴様!」「てめぇ!」などという言葉は、いかにも汚くて怖いイメージを持ってしまいがちですが、元を正せば(諸説ありますが)、本来「公」は「対象を敬う言葉」、「貴様」は「陛下よりお預かりしている貴重なあなた様」、「てめぇ(手前)」は、「あなたのお手前にいる私」という、いずれも自分を下に置き、相手を上に据える美しい意味合いを持った言葉だったのです。そこにわずかばかりの「皮肉」が入ってしまい、「尊称」がいつの間にか「蔑称」に変わってしまったようなのです。

言葉というものは、人の感情や解釈によってどのようにも捉えられ、それが支持を受けたとき、本来の意味とはかけ離れたイメージとして定着することも多々あるものなのだと感じております。
意思疎通のツールの1つである「言葉」は、使う側が用途に応じて使い分ける能力を持っていないと、本人の意図しない方向に事が進むことも考えられます。
言葉って怖いなと、つくづく感じている昨今です。

あのブランド品が毎日激安特価!お買い物なら楽天市場




posted by あんとん at 00:00| その他

2019年01月15日

プラレール

たまに息子とプラレールを広げて遊びます(笑)。

プラレールのレールには、実にたくさんの種類があります。直線レールや曲線レールをはじめ、複線レールや坂道レール、分岐レール、橋脚や踏切などもあります。
これらを使ってレイアウトを組むわけですが、基本レイアウトを組んでいくうちに、それでは飽き足らず、自分なりのアレンジを加えたくなっていくわけです(笑)。
立体交差をさせてみたいとか・・・、
特急電車の通過追い抜きを再現するための普通電車の待避線を増やしてみようとか・・・、
いろいろなシチュエーションを考えたくなるのです。
また、本物の電車と違って、どのようにしたら折り返しさせることなく、電車を周回させることができるかも考えてレイアウトを組んでいきます。

大体3歳ごろでしたか、息子も息子なりに思うことがあるらしく、私が作ったレイアウトに、「違う!」といってダメ出しをしてくるようになりました(笑)。
言葉が爆発的に増える年齢でしたので、「これはこうっていってるでしょ!」「ここにカンカン(踏切のこと)をつけたい!」などと主張をしてくるようになりました。
当時は、息子にレイアウトの一切を任せてみると、スキージャンプのジャンプ台みたいなものや、いつの間にかレールが壁を這うようなレイアウトなど、とんでもないものが出来上がったりしますが、一生懸命考えているのだなと思うと、それはそれで面白いなと思いました。
6歳になった今では、自主的に車両基地を作ってみたり、貨物列車専用の線を作ってみたり、なかなか本格的なレイアウトを作るようになってきました。

・こういうレイアウトを作りたかったら、このレールとこのレールを使う。
・極力車止めは使わない。
などなど、試行錯誤でレイアウトを作ることを楽しんでやってこれました。

プラレールは、私と息子のコミュニケーションツールの1つですし、知育玩具だな、と思っています。






posted by あんとん at 00:00| 育児・教育

2019年01月14日

自燈明・法燈明

自燈明(じとうみょう)・法燈明(ほうとうみょう)。
これは、私の大好きな大河ドラマ「独眼竜政宗」で、政宗公の師である虎哉(こさい)禅師が説かれた話の時に、よく出てきたお言葉です。
私の教室も、これが1つの大きなテーマでした。

ドラマでは、政宗公がまだ幼名「梵天丸(ぼんてんまる)」だったころ、虎哉禅師が、将来、政宗公の家臣となる片倉小十郎、鬼庭(茂庭)綱元、小原縫殿助を前に、この言葉の意味を説きました。「決して他人を当てにしてはならぬ。自らを拠り所となし、自らを燈明となせ。これが自燈明じゃ。とはいっても、まだ自分ではこの世を照らす燈明をもっておらん、そんな場合は、法燈明を拠り所とせよ。法とはこの天地の自然、宇宙の真実じゃ。他人を頼らず修行を重ねれば、やがては自燈明となり、あたりが良く見えるようになる。己こそ、己の主である。他にいかなる主があろうと、拝むなら自分を拝め。自燈明、法燈明。」

「独眼竜政宗」が、歴代の大河ドラマでも絶大な人気を誇る理由の1つとしては、戦国武将としての政宗公を描いたほかに、武将としての辛い宿命を背負い、時にはそれを周りの家臣や人生の師匠に教えを乞う中で、人間としての成長を見事に描いたところがあると思います。
ともすれば、見ている側の自分も、普段の生活で経験するかもしれない事象とも被ることがあり、主人公目線で物語を見ていくことを出来たのが、このドラマの素晴らしいところではないでしょうか。
その基軸となるキーワードが、この「自燈明、法燈明」だと思うのです。

戦国武将の道は地獄への道。
地獄を通らなければ極楽へは行けない。
人をあやめ、城を奪い、己も狙われ、裏切りにおののき、悪夢にうなされ続ける。
これが武将の宿命である。

お家の存続を守りぬくためには、白いものを黒いと言わなければいけないときもある、人を裏切らなくてはならないときもある。虎哉禅師は、そんな地獄の道を歩む政宗公に、事あるごとにこの「自燈明・法燈明」を説き、戦国武将としての道を歩む中での慈悲の心を説いていかれました。

戦国武将の葛藤は、私達の人生にも多かれ少なかれ、相通じるところがあると思います。だからこそ、地獄の道を地で行った戦国武将たちは、今でも私たちのヒーローとして語り継がれているのでしょう。

我が息子も、最後は自分を頼みとしなくてはならないことが、これからも多々あることでしょう。そのためには、たくさんの経験をしなくてはなりません。特に試験には1人で立ち向かわなければなりません。自信をもって立ち向かうには、鎧や兜を身に付けて、たくさんの武器を備えなければなりません。ここで培う自信こそがそれぞれの自燈明であり、私がご提供することは法燈明でありたいと思います。









posted by あんとん at 00:58| 育児・教育

2019年01月13日

闇を照らしているよ

今となっては、あまり夜空を見上げることも少なくなりましたが、小学生の頃は天体も大好きでした。

確か、小学4年生の頃だったと思います。
理科の実習ということで、毎晩月の満ち欠けを観測して、日誌に付けるという宿題がありました。
それ以来、夜空を見上げることが好きになり、図鑑を買ってもらい、月の満ち欠けの不思議や地球の自転や公転の仕組みを知るたびに感動したのを覚えています。
当時は、丁度「ハレーすい星接近」という話題もあって、親に天体望遠鏡を買ってもらい、夜な夜な月をはじめ、たくさんの星を観察していました。
星座早見盤を片手に空を見上げ、星座を見つけるたびに喜んだりしたことも、今となっては良い思い出です。
同じ理科でも、「食塩水の濃度」「動滑車と定滑車」などの問題は、見るのも嫌なくらい全くもって苦手でしたが、天体の問題だけは何があっても満点解答にこだわったものでした。

私は、かつて堺正章氏が主演されました「西遊記」「西遊記U」もよく見ておりましたが、「西遊記U」のエンディングテーマ(ゴダイゴ「HOLY AND BRIGHT」)を思い出します。

ゴダイゴ・グレイト・ベスト1 〜日本語バージョン〜

新品価格
¥1,607から
(2019/1/14 01:44時点)



仕事が終わり、帰り道に夜空を見上げますと、北斗七星やカシオペアは30年前と変わることなく輝いています。随分と年を重ねたように思っていましたが、星の寿命からすると人間の30年なんて、ほんのわずかな時間に過ぎないんですよね。
自分の中で大きな壁にぶつかったとき、思い悩んだときは、星を見上げてこの歌を思い出すようにしています。

壁にぶつかったときには、一旦深呼吸をして、俯瞰的にそれを見ると、何らかの解決策が見つけられるかもしれない。だから壁にぶつかっても、とりあえずは飛ばしてでも先に進んでみよう。一区切りついたら振り返ってみよう。
もしかしたら、星は「俯瞰的に自分を見つめてみよ」と教えてくれている存在なんじゃないかな、と思う時があります。
人生って、修行の毎日ですね。






posted by あんとん at 00:00| 育児・教育

2019年01月12日

神様・ジーコ氏の教え

常勝軍団、鹿島アントラーズ。
前回に続きまして、アントラーズネタですが、私の教育に対する考え方にも通じるところでありますので、書かせて頂きます。

Jリーグ開幕元年である、1993年の1STステージ覇者は鹿島アントラーズでした。
開幕前、誰がアントラーズの優勝を予想したでしょうか。実はここには、どんな妥協も許さないジーコ氏の精神が関係していたのです。
ジーコ氏は、サッカー日本代表の監督をされた方でもありますが、その前に鹿島アントラーズの設立経緯に強く興味を持たれ、現役を引退して間もなく就任したブラジルの「スポーツ担当大臣」という地位を辞任してまで、鹿島アントラーズに選手として入団してくれた人物なのです。
Jリーグのリーグ戦開幕前に、アントラーズはイタリアに遠征しました。コンディション調整と最後の仕上げのためでした。そして、ジーコ氏のコネクションで練習試合を2つ組みました。1つは、当時地元のセリエC2に所属していた「マントバ」というチーム、もう1つはクロアチア代表との試合でした。結果、マントバ戦は引き分け、クロアチア代表戦は1-8の惨敗でした。
プロ化の時に戦力を増強し、前年の「ナビスコカップ」という大会でベスト4を記録したアントラーズにとって、この2試合はそれまでの強化と自信を脆くも打ち砕くものでした。

ジーコ氏は、選手たちのプロ意識や技術面といった点からも、自分の描くプロチームとは大きくかけ離れたものがあると感じ、当時の宮本監督以下、日本人スタッフを説得し、練習において自分が指揮を執ることを説得しました。それから、チームメイトにプロ意識を徹底し、チーム全体の指導や試合中の采配までも指揮し、ホームスタジアムの芝の長さも決定すること等にまで、徹底的に携わっていきました。
練習時は、戦術よりも「基本」技術を繰り返しみんなにやらせました。ボールを止めてしっかり蹴る、これを繰り返す。そして守備の動きの練習。少年が初めてサッカーを習い始めたころに行うであろうレベルの練習に、大半の時間を割いたそうです。とにかく何度も繰り返したそうです。
選手の間でも、「なんでこんな練習ばかりなのか」といった不満があったそうです。本当に嫌になるほど繰り返すので、最初は不満があったそうなのです。でも、「あれがあったから、その後につながったんだなと、今振り返ってそう思う」と回顧する選手もいたようです。

これは、小中学生の勉強にもあてはまることだと強く思うのです。
卒塾生からもそのようなお話しを聞いたことにより、確信に変わりました。
「基本」というのは「簡単」という意味ではありません。
「基本はできるのだけど、応用ができない」
果たしてそうでしょうか?
「簡単な問題は解けるけれど、ひねられると解けない」
ということではないでしょうか?

少し迷ったら、「他に手立てはないかな?」と考える。
「基本」に立ち返って、これまで身につけたいろいろな手立てを使えないか考える。
これが「応用」だと思います。

そのためには、まずあらゆる手立てを身につけておかなければなりません。
小中学で学ぶことは、これら「手立て」がほとんどです。これが「基本」なのではないかと私は思います。
一方、小中学で目にする応用問題は、「今習ったことはもちろん、これまでの知識をフルに使って解けますか?」という問題だと思います。
そこまでついていければ、その子は真の実力を持った子だと思います。
当教室では、教材全ての項目が100点になってこそ、本当の意味で「基本」が身についたことになるのであり、これを全うせずに「応用」を求めることは、厳しく戒めています。
この「基本」を何としてでも身につけたいと思う気持ち、何としてでも頑張りたいと思う気持ちを大切に育てていきたいと思います。









2019年01月11日

あきらめない気持ち

鹿島アントラーズ。
私はこのチームがとても大好きです。なぜなら「苦労人」だからです。
今回と次回は、アントラーズネタを書かせて頂きたいと思います。しばしお付き合いくださいませ。

Jリーグ(日本プロサッカーリーグ)が発足した1992年当初は、10チームからのスタートでした(後に「オリジナル10」と言われているチーム達です)。この10チームのうち、ある1チームだけが仲間入りするのに非常に苦労したそうです。それがアントラーズでした。今でこそ「常勝軍団」と言われるチームですが、実はこうなるまでには大変な苦労があったのです。

アントラーズは、住友金属蹴球団がその前身で、Jリーグ発足前はJSL(日本サッカーリーグ)2部所属で、当時のJリーグ参加要件を満たせなかったどころか、天皇杯の優勝経験もない「弱小チーム」でした。時のチェアマン川渕氏からも、「住友金属さんのJリーグ加盟は、99.9999%ムリですよ」と言われたという話は、アントラーズ好きな方なら誰でも知っている非常に有名な話です。

でも、アントラーズに関係する皆さんはあきらめなかった。
サッカーを中心とした楽しい街づくりをしようと、地元の自治体、進出企業、市民の皆さんがそれぞれに連携して頑張った。
地元の自治体や企業による出資で、プロチーム(株)鹿島アントラーズFCが設立された。
Jリーグ参加要件に見合った収容規模の、日本初の屋根付きサッカー専用スタジアムを作った。
自分たちの独自の応援スタイルにこだわったサポーター集団も出来た。

こういった動きが、やがてJリーグにも通じ、「企業のみではなく、地域のチームとして出てこようとしている彼らは、われわれが目指すプロリーグの理想ではないか」という最上級の賛辞とともに、はれて「Jリーグ・オリジナル10」の仲間入りを果たすことにつながったのです。
ご興味がある方は、ぜひ鹿島アントラーズのオフィシャルサイトの「誕生秘話」をご覧くださいませ。

こうして誕生した鹿島アントラーズは、ブラジルのスーパースター・ジーコ氏を選手として招き、Jリーグ開幕元年の1stステージで見事優勝を飾ったのです。その後も、Jリーグが好きな方はご存じの通り、鹿島アントラーズは「常勝軍団」の1つとして今シーズンも戦っています。

私は大学生の頃、そんなアントラーズの魅力にはまってサポーター活動に励み、そこで得た経験が、今に通じる人生観を持ったような気がしております。
「人の役に立ちたい」
「頑張る人を応援したい」
「理屈抜きに感動を分かち合える仕事をしたい」
前の仕事もそうした考えから選んだ職種でしたが、もっとその思いをぶつけることができる仕事が、学習塾の仕事だと思いました。この仕事に出会えて本当に良かったと今でも思っています。

「人生の1ページを、私に託して下さっている」

私の教室に通って下さった生徒様たちは、それぞれに「現状を何とか変えたい」「さらに上を目指したい」という思いを持ってきて下さっていました。
一見、そのように見えなくても、それぞれに必ず何らかの「苦労」をしています。
人生に挫折はつきものです。
その挫折をいかに自分で乗り越えられるか。大切なのはその力を若いうちに鍛えることだと思います。
そのためには進んで「苦労」に立ち向かうことだと思います。私は、そんな皆さんの「心のサポーター」でありたいと心がけてまいりました。

点を取れるチャンスなのに、みすみすそれを見逃し、腑抜けたプレーをすれば、容赦なくブーイング(指導)を浴びせます。
逆に、精一杯のプレーをして、感動モノのファインプレー(決して高得点だけではありません。その子にとっての最高の目標を達成できることです)をすれば、惜しみない拍手をお送りします。

だから少々思うような結果が出なかったからといって、少々ミスしたからといって、絶対にあきらめてほしくはないのです。
言うならば「2月の公立高校合格発表日」まで、もっと大げさに言えば、「人生で初となるであろう、自分の実力で将来を切り開く第一歩の瞬間」まで、どうなるかなんてものは本当にわからないのですから。
そもそも、高校入試は「人生の一通過点」に過ぎないのですから。
もっと言えば、ギリギリ第1志望校に合格したものの、成績下位層で悶々とした3年間を送るより、第2志望校でトップ争いをして、充実した3年間を送って、それで次のステップでリベンジする方が、どれだけ楽しみがあることでしょうか。

「絶対に大丈夫」と思っていても不合格だったり、「本当に大丈夫か?」と思っていたのにキチンと合格出来たり・・・。私の教室は後者の子ばかりでした。なぜなら、みんな最後の最後まで自分を信じてあきらめずに頑張り抜いてくれたからです。ここで得た力は高校だけでなく、その後の人生にもきっと力になるはずです。だから私は毎年感動するのです。

あきらめるのは簡単です。でも、最後は自分でどうにかしなければならないことなのです。
この辺りを「学業」を通じて伝えることができればいいなと常々思って指導してまいりました。
先人は、「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉を遺してくれました。身に染みて感じております。私も、自分ではまだまだ若いと思っています(笑)。苦労はまだまだしなければいけないと思っています。本当に若い小中学生の皆様にも負けずに、あらゆる苦労に真剣に立ち向かって行きたいと思います。

私も、新しいステージに入りますが、まだまだあきらめませんヨ。だから一緒に頑張って生き抜いていきましょう!!








lt="">
プロフィール
あんとんさんの画像
あんとん
2018.12まで6年間、小中学生を対象にした個別学習塾を営んでおりました。 一身上の都合により、サラリーマン生活に戻ることになりましたが、6歳児の息子の育児はまだまだこれから。 この6年の器量な経験を振り返りつつ、これからを真剣に生きていきたいと思っているところです。
プロフィール
<< 2019年01月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
リンク集

人気ブログランキング" >人気ブログランキング
カテゴリアーカイブ
月別アーカイブ
最新記事
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。