2019年04月20日

ノーマインド

来てくれてありがとう。








頭はシャキっと冴えているのに

言葉が何も出てこない。


何か話せば仮の話になってしまう。



話はマインドを強化するばかりだ。



「マインドから出ておいで」


それだけがメッセージだというのに




マインドはあらゆることを説明してくれる。


真理とは何なのかということさえ説明してくれる。



真理は「いまここ」だ



すると人は思う


「いまここ」か、そうか、わかったぞ。



「いまここ」がわかるのと、「いまここ」に在るのとはまったく違う。



何事も、わかるのはマインドの中でのみ。


「いまここ」にある時は、マインドが消えている。



マインドの介入なしにリアリティを直接感じる練習をしてみよう。



たとえば雄大な景色を見ながら、そのことについて何も考えないこと。


ただ景色そのものになって、黙って佇んでいる。



心の中も静かなままだ。



「なんて綺麗なんだ」


とか、一切の言語を捨ててみる。



「綺麗」と言った瞬間、そこにマインドが入っている。




なぜ言葉で決めてしまうのだろう。


「綺麗」と言ったところで、雄大な自然はただそれをやっているだけなのに。



ノーマインド



マインドを持ち込まない練習。

これは練習することができる。



そんなに難しいことじゃない。

対象と一つに統合されて、その場になり切っているだけ。


ちょっと練習すれば、その感覚を取り戻すことができるだろう。

なぜならそれは、幼少のころに、当たり前にやっていたことだから。



マインドを持ち込まずに見る能力。


マインドによって脚色される前の、あるがままのリアリティと出会う能力



これが「一期一会」という言葉の本来意味するもの。


そこにはなんの先入観もない。



マインドを持ち込まない術にたけてくると、その時初めてマインドを優秀な道具として使うことが出来る。



それまでは、無意識のうちにマインドに使われているわけで、


マインドという牢獄の中で、しがらみでがんじがらめになった人生を生きることになる。




実に簡単な話。


世界のどこかに自分を高めてくれる魔法のメソッドがあるなんて思わないこと。


我々を根底から救ってくれる技法は、この世で一番容易いときている。


ただ、いまになりきるだけ。





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Posted by Toshiro Abe at 09:35│Comments(22)
この記事へのコメント
阿部さん おはようございます。

いつも ありがとうございます。

瞑想をつづけさせていただき ふとしたときに
この言葉が 沁みこむようになりました。
今日の記事と つながり とても嬉しくなりました。


実践するとは、理解する事ではありません。

「法」活動自体で在る事です。

活動者が、存在しないんです。

「諸法無我」


瞑想のおかげです。
瞑想を薦めてくださり教えてくださった
阿部さんと智子さんのおかげです。


楽になりたかった私自身が無いことに
気付けました。


ほんとうに ありがとうございます。


合掌
Posted by ひとみ at 2019年04月20日 09:55
感動やの私には、むずかしいことだな~
Posted by きゃさりん at 2019年04月20日 10:19
苦しみや喜びを感じる心は
胸の中心に常に光として存在しています。

心が外に向かって散らばるほど
心が想念に巻き込まれ
心が暗くなり不安定になり
心が苦しみに巻き込まれます。

心が中に向かって集中するほど
心が想念から解放され
心が明るくなり安定して
心が苦しみから解放されます。

誰にも心があり、呼吸があります。

心を呼吸に向けていると
心が自然に集中していき
心が自然に解放されていきます◎

「「心を感じながら息を吸おう、心を感じながら息を吐こう」と訓練する。
 「心を喜ばせながら息を吸おう、心を喜ばせながら息を吐こう」と訓練する。
 「心を集中しながら息を吸おう、心を集中しながら息を吐こう」と訓練する。
 「心を解放しながら息を吸おう、心を解放しながら息を吐こう」と訓練する。

~ 仏陀の言葉 原始仏典「アーナパーナサティ・スッタ」より ~ 」
Posted by 大空(おおぞら)大空(おおぞら) at 2019年04月20日 10:48
やってみましたヽ(^o^ このことは、そぎ落としていく作業ですね。身につけていくことに躍起になってきた人生。そのことが幸せになる道だと信じ込まされて信じ切ってきてあれこれやってきたけど、今日の内容のように、元に戻ること(まさに小さい時の感覚)が心から求めていたことだった。マインドの前の当たり前の感覚。
Posted by ばくすい at 2019年04月20日 10:49
>マインドを持ち込まずに見る能力。

>その時初めてマインドを優秀な道具として使うことが出来る。

使わされるんじゃなくて、使う(^^)

ここ共感致しますv

ありがとうございます♪
楽しいィ~(^^)
Posted by ともこ at 2019年04月20日 11:18
流れてくるものを後付けで言葉にしても限定されて
言い切れていない何かが残る。
それを私が言っているようにみえるけど、それも違う。
いまのなかにはすべてが活きている・・
ヤッホー!!!!
↑結局どうでもよい言葉になっている、、あははは
Posted by AYAKO at 2019年04月20日 11:30
シンプルだけど深い話ですね。
ありがとうございます。
Posted by アーサー at 2019年04月20日 11:45
>「なんて綺麗なんだ」

>とか、一切の言語を捨ててみる。

これ、本当に、一度試してみる方がいいと思います。
この例だと、『綺麗』という『言葉』に慣れ過ぎて、
『綺麗』という『言葉を覚える以前の感覚』を
忘れてしまっていたことに気付けたりするので。

そう気付いたなら、そう気付いた後でやっと、
「本当に、綺麗なんだなぁ」とか、
空を見上げて「本当に、広いし、高いんだなぁ~」とか、
地面が「本当に、硬いんだなぁ~」とか
『実感』『できている』ことに気付けたりするので・・・
なんて保証は無いですが、
少なくとも、いかに『言葉』に・・・それも、
『言葉で表現されることの一面だけ』に縛られていたかには気付けるので。
Posted by ただの「自分」 at 2019年04月20日 12:55
マインドの世界にいたら、マインドさんに支配されていると思う。
(あーでもないこーでもない祭り、もしくは何かをリアリティたっぷりに吹き込まれる)

とりあえず、人が、リアルには怖くなくなりました。(表面的には怖いも湧くけど、リアルのリアルではなくなったし、親愛も湧いてくる)

人が怖いときはマインドの世界に入っているときなんですよね。
そこから出れば、怖さがあるだけだから。。
もちろん、マインドを介す前は"怖さ"とも呼ばれないそのfeel

今日も起きるがままに生きていくのであった。
Posted by 薄茶色 at 2019年04月20日 13:03
こんにちは。
今日のブログ拝見して、実践してみて、益々何かがどうでもよくなってきました。
有難うございます(^_^)
Posted by フローレント at 2019年04月20日 14:44
毎日ブログを楽しみにしています。


どうして神は人間に言葉を与えたんでしょうか。

知性は言葉がないと成立しない。

他の動物にはない人間のみに与えられた特権でもあるけど邪魔だと感じるときもある。

ジレンマですね。
Posted by 高橋 at 2019年04月20日 15:28
>マインドの介入なしにリアリティを直接感じる練習をしてみよう

物をさわって練習するのもいいんですよね!

机をさわって、その固さを言葉を使わずにただ味わってみる

布団をさわって、そのふわふわ感を言葉を使わずにただ味わってみる

手を洗って、水の流れを言葉を使わずにただ味わってみる
水の冷たさを言葉を使わずにただ味わってみる

匂いで練習するのもいいんですよね!

コーヒーの匂いを言葉を使わずにただ味わってみる

カレーの匂いを言葉を使わずにただ味わってみる

親子丼の匂いを言葉を使わずにただ味わってみる

食べることで練習してもいいんですよね!

卵ごはんを言葉を使わずにただ味わってみる

味噌汁を言葉を使わずにただ味わってみる



頭での理解も大事なことですから、いろいろな本やブログを読むのもいいのですが

あるがままのリアリティーを言葉を使わずにダイレクトに味わう練習も大事

考えるな!感じろ!

(スピでよく言われていることであります)

練習☆練習☆

ありがとうございます
Posted by 甲賀忍者 at 2019年04月20日 16:29
こんにちは、始めてコメントします。
自分はずっと考えで悩まされています。
思考に振り回されている感じです。
今はよっぽどいいですが鬱になって引きこもりの時期もありました。

けどものごころついてから一度だけ考えに振り回されない時期がありました。
1か月くらいの短期のバイトだったのですが
ものすごくハードな仕事で1日15時間以上めちゃめちゃツライ肉体労働で
家に帰ったら寝るだけみたいな生活。
休みは1か月なし。
この時期は考えがなくなりました。
というか、肉体的に大変過ぎて考えにまわすエネルギーがなかったんだと思います。

このバイト中は肉体的にはものすごくツラかったですが、
何というか生きてる実感はものすごくありました。
今考えると昔の人はこんなふうに生きていたのかもしれませんね。
考える暇もなく生きてくためにもくもくと畑を耕したり、とか。
Posted by きむ at 2019年04月20日 16:48
えー!

おいもいもこ

じゃない。なんだっけ?

おもい こみよの出番ないじゃないですか~(笑)


たまには休みます(^_-)-☆
Posted by ようこ at 2019年04月20日 16:54
魔法のメソッド…^_^;

以前記事で取り上げて頂いたものです。

今日無事になむびゃくだぎょう〜びんでんうんそわか〜を3日以内に10000回やり遂げました(笑)

信じるものは救われる?

今後が楽しみです^ ^

また機会があったらお金のお話もお願いします。
Posted by やっしー at 2019年04月20日 18:46
今日の記事の文章で、心にひっかかったところ

>その時初めてマインドを優秀な道具として使うことが出来る

でした。

目の前のこと、「今ここ」に同化してる状態なら、マインドは消えてる。

= つまり、マインドはなくても、今ここ、はある

その状態でマインドが道具になる、としたら、何の道具になる?!

自分が同化してる「今ここ」に、

「今ここ」でない様々な修飾を施してるのがマインドだから、

そのマインドの働きをつかって、自分が望む修飾を施せる(望むこの世の人生となる)それができるのがマインド、 ってことかな〜っと。
Posted by Kiki at 2019年04月20日 18:50
たぶん、関連してる気がするのですが・・・・・

最近、『物質』としても『分離』はしていないらしいことに、感覚的に気付いた気がしています。

例えばこうして、キーボード入力している時、キーを触った感じが起こっている訳ですが、
これ、なんとなく、「触覚があるから」と、

「『元から』人間にそういう能力があるから」

と、思い込んでたんです。

でも、たぶん、初めてキーを触っても、『キーを触った感じ』はするんです。
目を隠して、何を触っているかわからなくても、『それ』を触っている感覚はするんです。
そして、これから、初めて触るものを触っても、きっと、『それ』の感触がするんです。
その『感触全て』を感じる能力が、本当に『元から』人間に備わっているのか?
と思ってしまったんですね・・・・・

むしろ、こうしてキー入力して、キーを触っているとき、

『指先』が『キーボードのキー』に『なっている』から
『キーの感触』を感じている

と思う方が自然かな・・・・・と、そんな風に思った訳でした。

今こう書いて、ふと思いついて、両手を合わせてみました。
『右手』が『左手』を感じていて、『左手』が『右手』を感じています。
この時、『右手』が『左手』に『なっていて』、『左手』が『右手』に『なっている』・・・・・
『右手』は『左手』、『左手』は『右手』・・・・・
『境界』を感じている時、『分離』しているんじゃなくて、
『境界』をはさんだ『お互い』を『感じている』し、『お互い』に『なっている』んじゃないか?

仕事等で意見の一致を確認し合えたとお互いに伝わった時と同じように、
そんな風に『物質』としても、『同じ感』てあるんだろうな・・・・・
と思ったのでした。

・・・・・と、ここ↑まで書いて、なんとなくコメントせずにあっためといて、
先程コメント読み直したら、なんかシンクロしてそうなコメントがあったので、
便乗してコメントさせて頂きます(笑)←てコメントコメントうるさいw
Posted by ただの「自分」 at 2019年04月20日 19:02
『マインドを持ち込まずに見る能力』
まさに私の目指すところ。。。

ずっとマインドは自分のものだと思い 苦しんで来ましたが〜〜(≧∀≦)
非二元を知り 『マインドは何も無いところから湧いて 何も無いところに消えていく〜』というのが腑に落ちてからは 随分 気分が楽になりました。
モヤモヤ雲が出てきても 解釈を挟まずに放っておくと自然に無くなります。

又 最近よくやっているのは
目の前の人や物事と一体化すること〜。
ひとつになっている時 マインドは消えています。
そこには愛おしい気持ちだけがあり 物事がスムーズに流れて行きます。
心も穏やかで楽ちんです^ ^
Posted by Atsumi at 2019年04月21日 00:26
わからない。
お手上げです。
Posted by しろ at 2019年04月21日 02:04
そろそろ阿部さんの不幸ストーリーをきかないと
元気がでません。
特別なのお願いします(*`艸´)
Posted by つきよ at 2019年04月21日 06:53
最近、スピリチュアル系の本を読まなくなって久しく、

・・・なぜかさみしい気分になり、何か読みたいなと思って、

新聞に紹介されていた、

「カモメのジョナサン」を書いたリチャード・バックの

「イリュージョン」という本を読みました。

その本は、

『世界のどこかに自分を高めてくれる魔法のメソッドがあるなんて思わないこと。』

まさにこの事を言っていました。

40年以上前に書かれた本ですが、

読んでいると夢を見ているような、瞑想しているような気分になりました。
Posted by hiro-k at 2019年04月21日 09:14
ブログを読んで浮かんだ感想を敢えて文字にするなら「し~~~~~ん」。
Posted by tack-air-lue at 2019年04月22日 03:16
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