囲碁漂流の記

週末にリアル対局を愉しむアマ有段者が、さまざまな話題を提供します。初二段・上級向け即効上達法あり、懐古趣味の諸事雑観あり

私心を捨てるという難行

2020年12月04日 | 雑観の森/芸術・スポーツ

 

ダメダメのメンタル偏差値 の巻】

 

 

かたはらより言ふことは、いとよくあたるものなり

               松平定信「花月草子」

 


「岡目八目」という言葉は囲碁由来である。

傍らで観戦している者は、手や形勢が良く見えるという意味。

物事は、渦中にある者は夢中になってしまい

真実の在りかがよく分からなくなるもの。

冷静に眺められるなら的確な評価も可能なのだが。

定信は、その結論として

「私心を捨てれば第三者と同様の観察ができる」

と述べている。

 


では、私心を捨てるには、どうすればよいものか。

勝ち碁を勝ち切ること、負け碁を辛抱してひっくり返すこと。

どちらも難しいことで、できる時、できない時の波が大きい。

「指の運」「時の運」に頼るだけのわたしには

メンタル偏差値を高める手掛かりが一向につかめない。

だから、やっぱり、やめられない。

 

 

 

私心を捨て去る 自分の利益になるような邪な考えを振り払うこと

 

 

松平定信 江戸中期の大名、老中。8代将軍・徳川吉宗の孫。1787~93年の寛政の改革を行った。財政緊縮策が一定の成果を収めるが、将軍との確執や市井の不満が募り、失脚した。

 

 

白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき 大田南畝

 

 


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