こんばんは。

 

ゆきこです。

 

 

 

今日は我を忘れて怒りました!!

 

 

 

中学校の入学式含め3日間行ったのち

 

完全不登校になった三男。

 

 

 

現在、中3。

 

 

 

今日、今の担任の先生と

 

中1の時の担任の先生

 

2人で家庭訪問に来られました。

 

 

 

「今日は、どうしても本人に会いたい」

 

と、どちらかと言えば中1の時の担任の先生が

 

主導権を握ってる感じです。

 

 

 

中3の担任の先生は

 

「三男くんが会ってもいい、って思ってくれた時に会えたら嬉しいです」

 

って常々言ってくれてるようなひと。

 

 

 

2人の先生の雰囲氣から

 

ちゃんと生徒本人に会って

虐待を受けていないかとか

生きているかどうかとか

確認しておかないと

学校として困るんだろうな…

 

というのが伝わってきました。

 

 

 

三男の部屋に行って事情を話しましたが

 

「会いたくない!」

 

「無理!」

 

との返事。

 

 

 

ものすごい荒れてた時期から考えると

 

いたってフツーに家では過ごしてる三男ですが

 

まだ、家から一歩も出ない生活。

 

 

 

これまでは先生の配慮で

 

私との会話の中から三男は元氣で過ごしている、と判断して

 

どういう形でかはわかりませんが

 

上への報告がされていたんだと思います。

 

 

 

私からそうして欲しいというお願いはしていないので、忖度してくださってたのかな。

 

 

 

でも、今回、どうしても会わないとそういう報告ができないのなら、

 

それはそれで仕方ないし、

 

児童相談所などの訪問があるのなら、

 

受けてもかまわないと思ったので

 

先生方に

 

「三男は『会いたくない』と言っています」

 

と、言いました。

 

 

 

すると、中1の時の担任の先生が

 

「写真を撮ってきてもらうとかもできませんか?」

 

と聞いてきました。

 

 

 

その瞬間、

 

私の頭の中で

 

嫌がる三男を写真に撮って、それを先生に見せる私の姿が思い浮かびました。

 

 

 

そんなことは絶対したくない!!!

 

 

 

反射的にそう思いました。

 

 

 

普段から写真を撮られることにすごく敏感で嫌がっているのに

(ひきこもりあるあるじゃないかな?)

 

その三男の氣持ちを無視する行動をとることに

 

ものすごく嫌悪感を感じました。

 

 

 

それと同時に

 

涙がボロボロ出てきました。

 

 

 

中1の時の担任の先生とは1年間

 

中3の担任の先生とはこの半年間

 

いろんな話をして

 

私の思い

 

三男の様子を伝えてきたのに

 

私はこんなにも信頼されてないんだ、という悲しみ

 

 

 

三男の写真を無理矢理撮れば

 

このままこの場をうまくおさめられるんじゃないかと一瞬でも考えた自分への怒り

 

 

 

そして3年前の小6の頃

 

三男が一番つらかったとき

 

「学校に行かなくていいよ」って

 

言ってあげられなかったという後悔

 

 

 

いろんな感情が一氣に私の心をぐるぐるして

 

涙が止まらなくなりました。

 

 

 

「『会いたくない』という三男の氣持ちを私は尊重したいので

 

そう報告してくださって結構です。

 

虐待してると思われてもかまいません。

 

児童相談所の方を呼んでいただいて結構です。

 

私も三男も恥ずかしいことをしている訳でも

 

悪いことをしている訳でもありません。

 

そういう方が来てくださってきちんと話をした方がいいこともあるかもしれません。

 

もう、先生方には今後一切来ていただかなくて結構です。

 

お帰りください。」

 

 

 

そう、タンカを切って、扉を閉めました。

 

 

 

しばらくは興奮していたのですが

 

だんだん冷静になってくると

 

そこまで言わなくてもよかったのに…という思いが出てきました。

(「来ていただかなくて結構です」は余計だったな~とか。。。)

 

 

 

でも、後悔はしていません。

 

 

 

これまで

 

人の機嫌をみて

 

誰も怒らないように

 

誰も悲しまないように

 

何事も穏便にすませることをモットーとしてきたので

 

人に対して怒りの感情をぶつけたりしたことは

 

50年近く生きてきて

 

数えるほどしかありません。

 

 

 

でも今はそこが変わったと思います。

 

 

 

嫌なものは嫌って言っていい

 

怒ってもいい

 

 

 

私の氣持ちを無視してまで

 

人に合わせることはもうやめました。

 

 

 

今、私は

 

三男の氣持ちを尊重したい

 

って思ったんです。

 

 

 

3年前の私も

 

三男の氣持ちを尊重したかった。

 

学校に行くのがしんどそうだったし

 

つらそうだったから

 

「行かなくてもいいよ」って言いたかった。

 

 

 

でも言えなかったのは

 

三男が学校に行かないことが不安だった私がいたから。

 

 

 

ということは

 

三男が学校に行ってくれたら安心できる私がいたから。

 

 

 

結局、私の安心のために学校に行ってほしかっただけだった。

 

 

 

もう、それに氣付いたから

 

もう、三男を私の安心のために動かそうとすることは手放す!って決めたから

 

三男の気持ちを尊重するって決めたから

 

三男のやりたいこと、好きなことを応援するって決めたから

 

 

 

私の中のぐるぐるしていた思いをノートに書き出していると

 

また、とめどなく涙があふれてきました。

 

 

 

学校って

 

先生って

 

なんなんだろう…

 

 

 

誰に向かって仕事しているんだろう

 

 

 

人と接することが怖くて臆病になっている子どもに無理矢理会おうとするとか

 

ひきこもっている子どものことを理解したいって必死になってる保護者を傷つけるとか

 

 

 

それが本当に「教育者」としてやるべきことなんだろうか

 

 

「教育者」っていうものが、そもそも必要なのだろうか

 

 

 

「学校に来て勉強することが当たり前で素晴らしいこと」

 

って信じてないと

 

学校の先生なんてやってられないと思うけど

 

9教科だけで判断するしかない学校というシステム自体を

 

見直すときがきてるんだろうな…。

 

 

 

・・・・・・・・・・

 

 

 

私がすっかり落ち着いてから、三男に

 

「先生に『児童相談所の方に来てもらっても結構です!』って言っちゃったよ~」

 

って言ったら、

 

「え?そんなこと言ったん??」

 

ってめっちゃひかれた 笑

 

 

 

でも、言いたいことを全部言うって

 

ホントにスッキリするんだ~

 

 

 

あーーー、言ってよかった!!

 

 

 

あとのことは

 

また考えよ~っとてへぺろ

 

 

 

最後まで読んでくださって

ありがとうございます!!