グローカル雑記帳

異文化理解や国際交流、中国のこと、日本の地方創生などについて。
また、日々の思ったことなど。自戒も込めた記録です。

カルロス・ゴーン氏保釈 ~事件の推移から思うこと~

2019年03月09日 | 雑記
 カルロス・ゴーン氏が保釈となりました。これまで、ゴーン氏側の主張はほとんど報道されませんでした。さらに、既に有罪確定であり、ゴーン氏は罪人であるかのような風潮も作られていると感じます。違和感はぬぐえません。この風潮に対し、「推定無罪の原則」を指摘する意見も出ています。会見も開くようですので、ゴーン氏が何を語るのか、待ちたいと思います。

 真相は分かりませんが、日産からルノーやゴーン氏の影響力を排除したいという思惑からなのでしょうか。もし、日産にこの様な思惑があるのだとすれば、少し矛盾があると思えます。なぜルノーが日産と関係する様になり、ゴーン氏がルノーからやって来たのか。それは、日産が倒産の危機に瀕していたからではなかったでしょうか。経営が盤石なら、ルノーやゴーン氏も日産と関わることはなかったはずです。ゴーン氏以前の日産を知る方々、特にゴーン氏以前の経営陣は、何を思っているのでしょうか。

 さて、ゴーン氏を悪人とするような日本の報道と、それに影響された日本の雰囲気。これを見て、日本にいる在住外国人の方々、また、海外から冷静な目で本件を見ている方々は、何を感じているのでしょう。
 会社の会長や社長となれば、公私の区別は曖昧で、会社の金を私的に使うことくらい、額の差はあれ、誰でもやっているかもしれません。結局、外国人だから狙われたと、在住外国人の目に映っても、不思議はないはずです。
 また、日本は外国人労働者の受け入れを拡大しようとしていますが、ゴーン氏は排除されようとしている。結局、日本の本音は外国人を必要としているのか。本心から、外国人を受け入れる気はあるのか。ゴーン氏の様な経営層、または管理層はいらないが、安い労働力となる外国人なら欲しいということか。日本で働いても、外国人はガラスの天井にぶつかるだけなのか。
 在住外国人の心の中には、様々な思いが渦巻いていると、拝察します。

 ここまで書き、「民族資本」という言葉を思い出しました。もうほとんど使わない言葉でしょうが、人々の心の奥底には、この気持ちが眠っていると思います。ただ、「民族資本」の気持ちには、冷静に向き合う必要があるでしょう。
 例えば、伝統と品質を守り続けている老舗が、外国資本に買われようとしている。買われたら、品質は二の次となり、伝統も無視し、低品質多売となる恐れがある。または、ある旅館が外国資本に買われようとしている。買われたら、周囲が乱開発され、自然破壊の恐れがある。
 これらの場合、外国資本の拒否には、理があると思います。ですが、単なる排他的な感情から拒否や排除というのであれば、考え直す必要があるはずです。

 今回のゴーン氏に関しては、長い勾留期間に対し、人権の観点からも批判が出ているようです。いくつか派生的な問題も、日本に投げかけている気がします。私は、以上の通り、日本の閉鎖性や開放性、そして、ゴーン氏が日産に導入したダイバーシティ経営(違いを活かした経営)の難しさについて、考えました。
 皆さまは、いかがでしょうか。

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