製作 : 東映
作年 : 1966年
出演 : 松方弘樹 / 荒木一郎 / 広瀬義宣 / 天知 茂 / 近藤正臣 / 稲野和子 / 高松英郎
砂利敷きの沿道ににわか作りの出店が押し合いへし合いガラクタ残飯、まがい物、青空天井の下でひとが裸一貫に欲の皮一枚羽織ってそれでも肩を寄せて生きているときの、何でも素手でむしゃぶりついた記憶は忘れられないものです、空きっ腹に食べるもの、しのぎ、友情、恋、喧嘩、まさに闇市の青春です。ないはずのものがあるところにはあって、それを盛大に頂いてきては(まるで花でも咲かせるように)ひとびとの飢えにぶち撒けるんですから、生きざまが刃物のように研ぎ澄まされて(それに戦争で一度は死んだ命と思えば)その刃渡りを駆け抜けていくことに生きることが漲ります。まさに親分なしの子分なし、気の合う仲間が(当節流行りの民主主義に則って)肩を並べて風を切る愚連隊です。しかるにいまや高度成長真っ只中の日本には車にテレビに冷蔵庫、夜に瞬くネオンにも家電にビールに栄養剤の広告が犇めいて巷にモノは溢れ返り... 当然しのぎもせせこましくいまも駅前にタクシー待ちの列を撫で廻すように歩いてはちょぼちょぼと小声で客引きです。ひとり頭50円、車に押し込めるだけ押し込めると見送る間もなく警官に見つけ出され小銭片手に逃げ惑います。逃げ込んだタクシーでもいざ運賃を払う段になると初乗り何十円に万札を取り出して怯む運転手に愛想よくそこの店で崩してくると言うが早いかとんずらです。そのまま商店街の路地を突っ切って小遣銭のたこ焼きひとつ買うのにも注文したひとりの後ろで親父からたこ焼きを受け取ってふけると素知らぬ顔であれは連れじゃない、自分の分のたこ焼きを寄越せと凄む幼稚な荒業。まあそんなこんなになるのもモノがお金以上にものを言ったときならいざ知らず、貨幣で社会が落ち着いてくると表も裏も大きな組織が取り仕切って数に物を言わすそれら相手に愚連隊ではどうにも太刀打ちができないからです。自ずと組が幅を利かせる隙間で生きていくことになりますが(まあそれとて気は持ちよう)仲間と毎日面白おかしく暮らしていけると思えばそれはそれ、何せ<電気冷蔵庫には5年の保証があるけどわてら人間には明日の保証もあらへんのやで>ですから。(同時にやくざとは違うという矜持が悪事にも自分たちなりの綺麗事の一線を引いていたかつての生きざまはどこへやら、卑劣も卑屈も金のためと割り切って... )ところが焼土の日本から何もかも変わったいまになって闇市のいざこざで<三国人>を刺殺して服役していた兄貴が15年という月日を瓦礫を掻き分けるように現れたことで当たり前だった自分たちのいまがゆさりゆさり揺さぶられていきます。
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