映画ひとつ(づり)、宇都宮直子『三國連太郎、彷徨う魂へ』
  作者 : 宇都宮直子

  出版 : 文藝春秋
  作年 : 2020.4.

 

 

宇都宮直子 三國連太郎、彷徨う魂へ


晩年の三國連太郎の謦咳をまさに比喩ではなく彼の別荘の静まった部屋で差し向かいにそんな心を許した距離で聞き取りをした書き手による三國の一生といまが語られます。三國によれば中学を半ばにして家出をするや密航で(しかも海上で発見されるも無賃乗船で突き出されることもなく)青島に渡ると場末の職を転々としつつ上海から果ては朝鮮半島の隅々を渡り歩いたと大陸浪人ばりの若き日をとくとくと語って(こんな掴みどころのない回想を裏づけすることなく語るままを書き起こしている書き手に最初面喰らいますが)やがて大東亜戦争に応召されても戦争の愚を生きることを拒否して戦場でも一発の銃弾も撃つことをしなかったと声を高めて(いやあ情け容赦のない敵を前に横並びに戦友とともに銃を構えて(まさか指揮官もあるのに銃を持ちもせず空拳に空を見ていたわけもありますまいから)自分はただ引き金に指を掛けていただけなんて、だいたい銃弾も支給でしょうに一発も減らないことをどう言い逃れるのか他の兵士の目もありながら... )何にしても三國の回想には体験の実感がなく(それからすると同じく応召された丹波哲郎などプロ野球のスター選手でありながら軍役につくとすっかりその道のお先棒担ぎになりきって日がな鉄拳制裁に明け暮れた川上哲治への唾棄を隠さず腹の底に焼き据えられた不条理がはっきりと形になってこちらに伝わってそれからしても)ふわふわと浮いて煙に巻かれるというよりも浮かんでくるのは端的に作り話ということでして... ただ読み進めていくうちに書き手もまたこの虚実の濁流に揉みくちゃにされ(そりゃあそうですよね、私たちよりもはるかに生々しい近さで語るたびにころころと変わる思い出話に横殴りにされるんですから)ことは兵役逃れで遁走したことから戦後の暮らし、父親の生業に母への思いまで鵺のように口を開くたびにぬらぬらと手のなかを逃げていきます。延いては自らの出生までも義太夫節に掻き口説いて鎮守府のあった軍港で良家の女中であった母は突然の暇を出されそのときには当主の胤を身籠っていてそのことを知りつつ結婚したのが父でありだからこそ父たちとは自分は生まれが違いそれが父の自分への憎しみとなり自分の母への嫌悪となったなどと(何ひとつそれを証すものもないまま)語り聞かせます。勿論書き手も自分が聞かされている話がひと筋縄で本当とはいかないものであることは充分承知しています。それでも三國のスポークスマンに甘んじているのはそもそも三國の妻の知遇を得て彼女の親密さから三國の胸襟に飛び込めたという経緯がありスターの私生活の内側に入ったからこそ知り得たことはその親しさ故に真偽を糺し得ないこととなって何とも苦しいところです。とは申せ言葉とは聡明なもので自分が<どうであったか>を語ることに自分を<どう見せたいか>という三國の思惑を浮かべてしまってどこに本当のことがあるのか語れば語るほど形を失う彼の(本名<佐藤政雄>の)実人生の方が俳優<三國連太郎>という虚像の後を追いかけているそんな印象です。

 

 

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三国連太郎 Rentaro_Mikuni

 

 

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