エルフが故郷を焼かれた話
「私たちは故郷を焼かれたんです!美しい自然ごと私たちの誇りと歴史までもが!」
そう涙ながらに絶叫するのは尖った耳に金髪碧眼の美少女であった。なんとも絵になる姿である。
これが交番の受付でなければ。
「うーん、困りましたねぇ、それ本当なんですか?」
「本当です!!なんで疑うんですか!?今でもありありと思い出します。私の母と父、そして幼い妹までもが炎に飲み込まれていくあの姿を、」
金髪碧眼の美少女はまるでその光景が目の前で起こっているのだとも言わんばかりの目つきで静かに吠えた。
俺はしがない交番の巡査に過ぎない。どうしてこうも面倒な事態になったのやら。もう今日は帰るだけだと思っていたのになあ。しかるべき場所に連絡するべき事態なのだろうが。「病院」の連中は俺たち警察を厄介ごとを持ち込む疫病神かなんかだと思っていやがるので連絡するのも嫌なんだよな。そもそも放っておいても我々人より長い時を生きるエルフたちのための病院って必要なんだろうか。
「まぁ少しお待ちください、いろいろ調べてみますんで」
そういって俺は一旦奥の部屋に引っ込むことにした。
「どうしましたか、嵯峨原巡査」
俺が頭を抱えていると後輩に声をかけられた。後輩といえど年上なので若干戸惑うのだが。
「いやさ、エルフの女の子が来ててさ」
「また痴漢被害とかですか!?」
後輩が一気に怒気を発した。エルフはその美しさから性的な被害に遭うことが多い。彼らに人権が認められた後も被害は後を絶たない。
「いや、違うくて。なんか意味のわからんことを言ってるんだよ」
「先輩、エルフ差別ですか?」
「違う違う!!」
剣吞な目つきになった後輩を前に慌てて修正する。最近はエルフのための権利関係のことが大幅に修正されてうかつなことが言いにくくなっている。彼らの我々と少し違う独特の振る舞いに関して社会は少しナーバスになってるのだ。
まぁ目の前の後輩もエルフなので当事者意識というやつが強いのは致し方ないのだが。
俺より100歳くらい年上なんだよなぁ。
「じゃあなんだというのです」
「それがさ、『故郷を焼かれた』っていうんだよ」
「故郷を?」
後輩が一気に怪訝な顔をする。
「おかしいですね、我々エルフに故郷という概念はあまり当てはまらないのでは?」
「だろ?しかも『父母、幼い妹までも焼かれた』とか言い出すもんだからてっきりこ、心の病かと思ってるんだが」
「ふーむ」
後輩がやや遠い目をしだした。考え事をしているのか、エルフたちが持つ脳内の「大図書館」にアクセスしているのか。
「なぁやっぱりこれって病院に連絡して受診進めるしかねぇよな、面倒だけどしかた」
「そうです!!焼かれたんです!!!私も思い出しました!!!私たちの故郷は焼かれたんです!!!!!」
突然後輩が絶叫し始めた。その目つきはさっきまで話していた少女のものと同じだった。
「どうしたんだ!?落ち着けよ」
「落ち着いてられないです!!私の妹が!!私の妹が!焼かれて!」
後輩は激情の末か俺につかみかかってきた。
「がっ!!」
狭い部屋の壁に押しつけられた俺は呻き声をあげるしかなかった。エルフの怪力に人間の俺がかなうわけはない。このまま死ぬのか?
そう思った次の瞬間、後輩は突如気を失った。
「た、助かった・・・ドグマのおかげか・・」
街の各地でエルフたちがおかしくなったという通報で交番の電話回線がパンクしたのはその直後だった。
エルフ。E.L.F(eternal life friends)-永遠に生きる友-という名前の自律型思考存在が作られたのは今から200年も前のことだ。大厄と呼ばれるとある感染症を契機に人類はそのお互いの距離を開けざるをえない状況に追い込まれた。しかし人類はその隙間を埋められずに入れるほど強くはなかった。人類社会は孤独という毒に侵されゆっくりとした衰退を始めてしまっていた。孤独という恐怖から逃れるために人類が作り出したのがE.L.Fであった。エルフたちは人類にとっての良き隣人、否、友人であった。心の隙間のみならず体の隙間までも彼らは埋めてくれた。人類は適切な距離感を保ちつつも孤独を感じずに過ごすことができた。その結果社会は再び活気を取り戻したのだ。彼らはドグマと呼ばれる人間に害をなさないためのプログラムから派生する制約を除けば、ほぼ我々人類と同じように学び、感じ、考える存在であった。
エルフたちの脳内は直接電脳空間にアクセスできる仕様になっていた。通称、大図書館と呼ばれるシステムである。今回の事態はこの大図書館が原因であるとの考えが専門家の見解だ。最近、大厄以前の電脳空間が特殊な技術によって再現され始めたのだ。ハードが現存していなくともその過去の磁場だかなんだかを再現することで擬似的に当時の情報ネットワークにアクセスできるのだとか。そんな大厄以前のネット空間に「エルフの村を焼く」話がごく短い期間のはやりとしてだが集積していたのだ。もちろんしょうもない旧人類の戯言に目を向ける人間などいなかったのだが、エルフの大図書館機能が無意識にそれを探し出してしまったようであった。300年という長すぎる月日は彼らのうちのいくつかに『バグ』と呼ぶべきものを引き起こしてしまっていたのだろう、そこにつけ込まれて彼らはありもしない故郷の記憶を思い出してしまったのだ。エルフたちはヘイムスクリングラと呼ばれるシステムで緩やかに情報を共有していた。それは人間同士の過度の接触を防ぐためのプログラムであった。それにより故郷というキーワードで望郷の念を共有してしまったのだ。
「結局あいつらも寂しかったのかなぁ」
人間の心の隙間を埋めるためだけに作られたエルフたち。彼らは隙間そのもので空虚そのものだったんじゃないだろうか。そんな時間が数百年続いていたのだ。
どこか帰る場所が欲しかったのか。とはいえそんなものが存在しないことは彼らが一番よく知っていたわけで。
だからこそ故郷を焼かれてしまったという妄想にすがってしまったのか。
「俺たちは彼らの友人として不足だった、って話なのかもな」
そんなことを思いながら、病室でありもしない故郷に思いを馳せる後輩のお見舞いに今日も俺は行く。