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桜と絵本と豆乳と

そこが決断した場所だ

2020年01月22日 | 読書

 【あなたがいる場所】(沢木耕太郎  新潮文庫)


 既読とわかっていても手にしてしまうには何か理由がある。書名が惹きつけるということも一つあるかな。この文庫の「あなた」とは、読み手を指している気がする。そして九つの短編のどこかに「あなた」が居ると提示しているようにも思う。七年前に読んでいたが、自分のいる場所が少し違ってきた印象を受けた。

 自分をつくる選択の連続(2013/12/20)


 当時残した感想は、やはり学校の現場人ならではという書きぶりだ。もちろん半分は今もそんな感じである。しかし今回新たに(残していないだけかもしれないが)、興味が惹きつけられた箇所がいくつかある。一つは、『虹の髪』で中年の官僚が自分を振り返り、「淫したことがないかもしれない」とした表現である。


 「淫する」は「みだらな」という意味の前に「度を越して熱中する」ことを指す。こうした渇望を抱える者は結構多いはず。「淫」とは高揚感を与えるが、同時に人生を損ね、逸れさせる危険性を孕む。自分がその経験を持つか持たないか、あるいは乗り越えたかを、ある程度の齢になると振り返る時があるのだろう。


 最後の『クリスマスプレゼント』には、心打たれた。一人暮らしの老年男性が、離れた息子に送る荷物詰めの場面から始まる。絵本の事や幼い頃に過ごした感覚の叙述など、現在の自分に近いものを感じたのだろうか。大事なことはたいてい後から気づかされるのは、「物語」の常道的な筋と言えるがいつも頷いてしまう。


 角田光代のあとがきは、今回も素晴らしいと思いつつ読んだ。今回も「人生は選択の連続」という意識を強く持たせられるが、その場その場における決断、決意ということも齢を重ねるに従って、意味が違ってくると教えられた。少し長いが、以下の文章を引用する。さらっと語っているが、少し叱られた気分になった。

 大人の決意はもう少し、自覚的である。そして、彼らが為すのは、その後を決める類の決断ではなくて、彼らが彼らとして生きてきた、その時点での決断である。だからそれは、どんな人になるか決めるのではなくて、どんな人になったかを示している決断にも思える。


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