子宮頸がん治療回想録とゆるゆるな玄米菜食と日々の暮らし

2020年12月、念願だった中古住宅を手に入れることが出来ました。アラフィフ、シングルのがんサバイバーです。淡々としぶとく生きていく。そんな自分を楽しみながら暮らしていくブログです。

回想録 その5 食べたいときに食べたいものを

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毎週火曜日が抗がん剤点滴。

朝、研修医の先生が点滴の針を刺しにくる。

看護師さんの方がうまいのに…抗がん剤は癌細胞をたたくけど良い細胞にも影響する。

薬が漏れて肌に触ってももちろん影響あるし、だから一大事みたいな感じで研修医の先生が入れてくれるのかな。

一度、婦人科の主治医でない他の先生が入れてくれたことあったけど同じ日に3回刺された時もあった。

1度目はひと月近く青アザか残り2度目は途中液がもれ、皮膚がぷよぷよして痛みが走った。

その先生は日曜日もジーパンで白衣をはおり、自分の担当入院患者さんに声をかけてく。

他の医師より良心的。

ドクターとしてはいいけど…またこの先生に刺されることがあったら…

トラウマになった💧

火曜日朝、その時間が近くなると今日はあの先生も担当になってるのか看護師さんに聞いたり廊下に出てどの人が来ているかチェックすることもあった。

「今日は一発でうまくいった」

同じ日に抗がん剤を受ける癌友さんと「あの先生とは相性あうんだよね」とか、刺された腕を見せ合った。

シスプラチンは腎臓に負荷がかかるため、薬が落ちる2時間の間に電解質のものポカリ、アクエリアスとか2リットル、飲むように言われた。

もう2回目の抗がん剤からは2時間以内に飲みほせなくなった。

気持ち悪くて、おえってなる。

退院してしばらくたった今だって、ラベルさえ見るのがイヤになった。

「無理して飲まなくて大丈夫です、最悪、点滴しましょう」

(良かった( *´艸))

通常はトイレに頻繁に行くように言われるが私は排尿障害があるため、術後のようにまたバルーンでつながれた。

抗がん剤を受けてる時は、上に点滴、下にオシッコの入った袋をガラガラ下げて、移動する。

放射線の時がそうだった。

放射線の治療は、台の上に寝て大きな白いパネルがゆっくりゆっくり頭の上を動いていく。

照射自体はそれほど時間はかからない。

台の上に寝て、場所にちゃんと当たるようにするための準備に時間がかかり、終わるまで15分ほど。

後々の色素沈着があるため、照射部分にクリームを塗った方が良いとかブログに書いてあったので放射線の担当看護師さんに聞いたところ、クリームはアルミが入ってないものでお願いしますと言われた。

そういう添加物が入ってると肌が焼けてしまうらしい。

それから副作用のひどい下痢におそわれた。

4階に入院してたけど下の3階に、広くて落ちつく(ひどい下痢でこの表現もなんだけど)トイレがあったのでそれぞれその日その時間担当の看護師さんに

「穴場のトイレにこもってきます」

と言付けたりした。

健康な時の下痢と違い、おしりは痛くなるし軟膏クリームを処方してもらった。

抗がん剤点滴後気持ち悪さと倦怠感か続く。

今は薬が発達していて、上からあげるげることはなかったし、他の受けてる患者さんからも聞いたことがなかった。

そういえば、前職製薬会社で働き、抗がん剤の吐き気止めの薬を扱ったことがあったっけ。

その薬ではなく別の薬が処方されたけど、自分が癌になって同じような薬を飲むなんて夢にも思わない。

本当、人生って皮肉。

自分が癌になるなんて思ってなかったし…

シャワーを浴びるのもやっとで体力を消耗した。

もう、病院食は食べたくなくなった。

あの焼き魚の匂いや、他人の柔軟剤の匂いがたまらなく嫌になった。

スマホで食べたい物を画像検索して満足させていた。

下のコンビニ売店で、サンドイッチを主に買っていた。

「食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べてくたさい。」

看護師さんに言われた一言。

なんて素敵な言葉( *´艸)

後々、治療が終わってるのに、その看護師さんの言葉を思いだし、反動もあり退院後見事に肥る。

9月26日の退院までの治療は

 特別、前向きにと言うわけでもなく、ネガティブになることもなく、淡々とこなしていった。

最後の6回目、これで終わりだと思ったら嬉しくて涙がでた。

看護師さんがいつの間にか来てて、背中をさすってくれた。