うちの母。

今週のお題「母の日」

 

母の日 カーネーション

 

うちの母は、少し変わっている気がする。

 

 

昔から面白いことが好きらしく、お笑い番組も好きだ。

 

もう70なのに…。

 

ねぇねぇ、と洋服の端を私がつかんだりすると、捕まった鳥のようにはばたくふりをする。

 

 

これは恒例の行事となっている。

 

なぜなのか…。

 

 

たまに踊りも披露してくれる。

 

その踊りの動きが異常に面白く感じ、幼少期の私は「もう一回、もう一回」とアンコールをし、そのたびに床をたたいて笑い転げていた。

 

ハトやドジョウすくいにヒントを得た、シュールな踊りなのだ。

 

 

 

そして、不思議な行動も見せる。

 

まず、ミステリー小説は、少し読んだら、最後のオチを読む。

 

母曰く、「犯人が気になって仕方がなくて読んでしまう。」のだそうだ。

 

 

そんなことってあるだろうか…。

最後まで取っておくのが、ミステリーの最大の楽しみではないのだろうか?

 

 

 

昔のことだが、ふろに入った後、全裸で出てきて、ストーブの吹き出し口の前で、土下座のような形で髪の毛を乾かしていたこともたまに思い出す。

 

その際、私がいつも座っていた位置から尻が目の前にくる形になる。

 

 

完全に尻の穴がみえるのだ。

 

 

今でもあの映像が頭にこびりついている。 

決してきれいな映像ではない。

 

「見えてるよ。動いてる。」

と私が言うと

 

含み笑いで体を揺らしながら髪の毛を乾かしていた。 

母の日 カーネーション

  

昔も今も、食品には気を遣い、小さい頃は炭酸やジュースを飲むことも、マクドナルドをたべることもあまり良しとされていなかった。

農薬にも非常に気を遣い、無農薬有機栽培や養殖でない天然の魚などが食卓に並んだ。

 

 

そんなに気を遣う割に、料理がとても下手なのだ。

 

毎朝決まって出るのが、焦げたピーマン炒めだ。

 

それと太めのニンジンの千切り。

 

うちの母の料理の特徴として、何でも素材一点で勝負することがあげられる。

 

 

それがとにかくまずい。

 

 

ピーマンはピーマンのみの炒め物。ニンジンはニンジンのみ。

シイタケはシイタケのみをオーブンで焼き、ジャガイモはふかす、キャベツのみのサラダ。里芋のみの煮っころがし。

 

複合の食材を使用した料理はほぼ覚えがない。

 

 

そして、何でも焼きすぎる。

 

念入りなのだ。

 

 

ピーマン炒めは苦みが増し、シナシナで黒くなっている。

 

ハンバーグも中までしっかり焼くために500円玉二つ分くらいの大きさで、カラカラになるまで焼いてあるため、肉汁などは皆無。

 

ブロッコリーは、口の中でほどけるようになるまでゆで、シイタケももちろん半分の大きさに縮む程度には火を通すのだ。

 

 

何におびえてのことなのだろうか。

 

 

 

そんな母のおかげで、私は現在何を食べても美味しいという、幸せな舌を所持している。

 

 

全部まずかったので、好き嫌いも一つもない。

 

変に美味しい料理を作る方が、好き嫌いが増すのだ。

 

 

 

とても感謝しています。

 

今年の母の日にもプレゼントを贈ります。

 

 

お母さんありがとう。