どうも、しんじです。
初めにそもそもなんで別荘かという話をしておきたいと思います。
私の実家は決して裕福では無いけど貧乏というほどではないごく普通のサラリーマン家庭だったと思います。
東京区部北西部の住宅街にある一戸建てに住んでいました。
父は一部上場企業勤め、母は専業主婦、兄、自分の4人家族でした。
子供の頃、私の住んでいる区はまぁ田舎で畑等もあり区部では自然が比較的残っている方でした。
しかし、私が小学生に上がる頃から自宅周辺は急速に宅地化が進み、空き地に大型マンション等も立ち始めていました。
昭和40年代後半頃だったと思います。
ドラえもんの土管の空き地にマンションが建ち近所にあった池が埋まり、、そんな時代でした。
兄の頃とは違い、小学生の頃の遊び場といえば路地裏で「カンけり」、「プラバットで野球?」、商店街で「どろけい」等々
自然豊かな場所への憧れ、物心つく頃の田舎っぽさへのノスタルジックな感覚そんなのが第一の理由だと思います。
田舎に住みたい。。50代が近づくとだんだんそう思うようになっていきました。
次回へ続きます
初めにそもそもなんで別荘かという話をしておきたいと思います。
私の実家は決して裕福では無いけど貧乏というほどではないごく普通のサラリーマン家庭だったと思います。
東京区部北西部の住宅街にある一戸建てに住んでいました。
父は一部上場企業勤め、母は専業主婦、兄、自分の4人家族でした。
子供の頃、私の住んでいる区はまぁ田舎で畑等もあり区部では自然が比較的残っている方でした。
しかし、私が小学生に上がる頃から自宅周辺は急速に宅地化が進み、空き地に大型マンション等も立ち始めていました。
昭和40年代後半頃だったと思います。
ドラえもんの土管の空き地にマンションが建ち近所にあった池が埋まり、、そんな時代でした。
兄の頃とは違い、小学生の頃の遊び場といえば路地裏で「カンけり」、「プラバットで野球?」、商店街で「どろけい」等々
自然豊かな場所への憧れ、物心つく頃の田舎っぽさへのノスタルジックな感覚そんなのが第一の理由だと思います。
田舎に住みたい。。50代が近づくとだんだんそう思うようになっていきました。
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