頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

2010年3月バンコク&ナイロビ

2019-03-26 22:12:34 | 旅行

このミッションは、GEO-5(国連の地球版環境白書)の執筆方針策定会合だった。
しかし、、、
当時必要な作業は遂行したものの、このレポートは最終的に小生の知らないところで急に出現した。ハシゴを外されたような感覚がある。その辺のうらみつらみを書くことはないだろうけれど。1997年以降、このミッションが今日まで持続可能で来ている事実への貢献を忘れてもらっては困る。

27日
 いつものタイ航空で午後4時にバンコク到着。空港鉄道の完成まであと一カ月。次回からはタクシーを使わなくてすむ。空港に荷物を預けてから、高架鉄道の終端駅までタクシーに乗り、チャオプラヤ河の反対まで移動する。図ったように予定したとおりの時間で動けている。予定の会合・食事を済ませてから、王宮付近で買い物。あたりはすっかり暗くなっていたが、タイ全土から真っ赤なTシャツの人々が広場に集結し、タクシン支持を叫んでいる。警察も厳重な警備を敷いている。後で新聞を見たら、この日は市内で爆発によるけが人が出たようだ。あな恐ろし。ファランボーン駅の周りに、むしろを敷いてソムタム(辛いパパイヤサラダ)の材料を籠に入れた若い女性たちが大勢座っている。なんでソムタムを作らないのか、と聞いたら、これは見せかけで、本業は立ちんぼ(座りんぼ?)だという。交渉成立でむしろをたたみ、ホテルへ移動するらしい。あな恐ろし。

28日
 深夜1時発のケニア航空。香港始発だ。CAはケニア人とタイ人。タイ人CAは流ちょうな中国語の機内アナウンスをしていたが、非常に癖があった。一つ一つの音を引きずり気味に伸ばして発音している感じだ。これでもかというほど機内持ち込みしているアフリカ人(フランス語圏)のせいで、収納もほぼ一杯。非常に不快な9時間半の夜間飛行だ。朝目覚めると、機内に何とも言えない悪臭が充満していた。体臭というよりは生物学的腐敗臭に近い。周りに座っていたのは、よく日に焼けた中国人のグループ。「Fish or Chicken」という英語の質問を理解できないところから、文化水平はかなり低い連中のようだ。機内での行動言動からもそのように思われる。行き先を聞いたら、聞いたこともないような内陸の小さな国。中国政府はアフリカに投資しているが、地元の黒人を雇わずに、本国(農村)から鉱山開発などに単純労働力を派遣し、ひどい給料で酷使していると聞いたことがある。彼らがまさにその鉱山労働者なのであろうか。彼らの一部はテロの脅威にさらされているとも聞く。残念ながらヒアリングする時間もなかった。彼らに何の仕事で来たのか聞かれたので、連合国環境計画署の任務だ、それはナイロビにある、と答えてやったが、連合国という国はどこにあるのか、と馬鹿な質問を返してきた。国連環境計画がタクシー会社に渡していたリストに名前が漏れていて、フェイクだったら怖いので、しつこく確認を要求したが、早朝7時なので国連と連絡がつかない。変な話だ。料金は国連の言っていた価格と同じだったので、やむなくOKし、乗せてもらった。空港は自然保護区の隣にあり、走り始めたタクシーからいきなりキリンが見えてびっくり。前回2005年に市内の5つ星ホテルでクレジットカードのスキミングにあったので、警戒してドルのT/Cをもってきたが、現在ナイロビ市内ではほとんど使えない状況のようだ。結局カードでホテル代を払うことに。怖い。ホテルは厳重に塀で囲まれた低層の城郭スタイル。コロニアル形式だ。赤道直下故太陽が頭上にある。標高は1600mで、昆明みたいな涼しさだ。部屋でぐったりしていると、昼過ぎに関西の某私学准教授M氏がドーハ経由で到着。正装して国連へ向かう。日本大使館の国連担当一等書記官T氏も来ていた。T氏はなんと小生の学部の後輩(自然地理)であった。以后、毎日会場からホテルへの戻りに、同氏の車両(自分で運転とは恐ろしい)に便乗させていただいた。



29日
 会議初日、国連の内部は2005年と変わっていなかった。今回の主役は各国の政府代表であり、ほぼすべての加盟国が1名の代表を送っていた。日本代表は後輩のT氏であった。我々は国連に関係する各NGOの代表という位置づけで、後ろに座った。中国代表は知人の同僚であった。今回のミッションには1997年から参加している。今回がシリーズ5になるが、今までと違って参加者に手とり足とり細かく説明している。わかりやすい。シリーズ4までは段取りが悪く、半年かける作業を2週間でやらされたりと、勝手がわからぬままずいぶん振り回された。地球版の環境白書を作る作業であるが、IPCCのレポートのやり方をきちんと踏襲しようということらしい。いいことだ。国連もやっと勉強したか。アメリカ政府の代表が一人で3割以上発言時間をとっている。それもつまらない所に突っ込んでいる。自分たちの首を絞めたくない彼らは、この問題にはとても敏感だ。



それから
 帰国までの間、市内のクラブやショッピングモールに出かける機会があった。クラブまでの足はタクシー。夜外を歩くのは自殺行為。2005年の前回会議で来訪のおり、オフの日に日中市内を一人散策したら、日本大使館員に怒られた。運転手に1000シリング(約1000円)渡し、1時間待機させる。店内はローカルの黒社会が仕切っているのだろうか。治安はいい。しかし客層は最低。ろれつのまわらないマサイ族の女性(セリフから街娼の可能性あり)。マサイの生活について少しインタビューできた。ショッピングモールはこの数年後に何度か無差別テロの舞台となった。阿弥陀佛。(自称)ゴルゴ稼業も楽ではない。

車を降りてふらふらしてみたいところですが、とても危険らしい。確かにいろんな人が「友達になろう」と寄ってきてスリル満点ではあった。


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2 コメント

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Unknown (本人)
2019-06-03 16:12:32
"G" in a mission from UN.
「用件を聞こうか。」
現在より5kgほど無駄に太っていたはずです。
Unknown (本人)
2020-06-06 16:46:36
つづきを発見
---
3月29日
夜、地元住民の通う焼き肉レストランで食事。そのあと、地元で最も有名なディスコ「ニュー・フロリダ」へ。噂に聞いた通り、マラヤさんとよばれる娼婦が集まっている。部族の村からナイロビに出てきたというB嬢にビールをおごって話を聞かせてもらった。昼は計算機の専門学校に通っているというが、メールアドレスはもっていない。変だ。寄ってきた女性の数名は明らかにヤク中という感じで、言っていることがはっきりしなかった。あな恐ろし。ナイロビの平均月収は5000円。ここの入場料金は350円、ビールは100円。入口の安全検査は厳しく、店内は安全らしい。店外は閑散としていて、襲われたら誰も助けてくれないようだ。10ドルで運転手を待たせておいて正解。

3月30日
会議2日目、大使館のT氏にニュー・フロリダ見学を話したら大変ビビっておられた。ナイロビ最悪の場所らしい。我々(同行の関西私学・M先生も)は命知らずなのか。会議場では終日、合意文書の一言一句を確認・修正する作業が続いている。日本および我々に直接利害が及ぶ個所はなさそうである。南洋の島国などは、海面上昇の記述を少しでも増やすよう必死になっている。夜は5年前に行ったインド料理の店へT氏をご招待。

3月31日
最終日もこんな調子で会議は進む。帰ってからが勝負だろう。会議終了後、有名なマーケットで民芸品などを大量に購入。M先生はノーベル平和賞のワンガリ・マータイ女史(ナイロビ大学)のスタッフと交流がある。マータイさんは「もったいない」という概念を世界に広めた方である。M先生は明日以降も残り、ナイロビ大学で講義するという。スタッフのK先生(学部長)が助手(ケニア美人)を伴ってホテルに来てくれたので、小生も即席でレクチャーさせていただいた。建物から熱が漏れている熱画像を持ってきていたので、これこそが「モッタイナイ」と表現したら、これなら学生たちもよくわかる、とご満悦であった。学生用に英文のスライドを若干提供。小生のアイデアがついにアフリカ上陸を果たした。
M先生と夕食後、小生は空港に出発。空港まであと数キロのところで突然エンスト。小生も下車して、押しがけをさせられる。検問の警官に止められたところで再びエンスト。どうやら冷却水不足によるオーバーヒートらしい。ドライバーが水を汲みに暗闇へ消えてしまった。フライトまではあと2時間半。このまま動かなかったらどうなるのか。ヒッチハイクか。今回最大のピンチだ。ドライバーが戻ってきて水を入れる。蒸気が吹きあがり、ドライバーが悶絶。やけどか。見てられんわ、こりゃ。
一時は、非常に危険(スリが多く運転も強引)な乗合バスに乗り換える覚悟を固めたが、数分後にスタート。こんな目には会いたくないものだ。空港の入り口の荷物検査が混んでいる。割り込みしてきたほうが通され、並んでいたほうが並べと保安要員に罵倒される。これには小生も抗議した。チェックインカウンターで、タイのビザがないと言われる。日本人が不要だって知らないようだ。搭乗ゲート直前のスキャナーに、ゲート脇で購入した石の装飾品が引っかかる。「そこで売ってたもんだろうが」と主張する。いつもこんな調子らしい。再び憂鬱な9時間のフライトが始まった。今度のタイ人CAは完全に棒読み(中国語)だ。

4月1日
再びバンコクに到着。黄熱病予防接種カードを用意。これがないと入国できないのだ。着替えてから荷物を預け、身軽になってバンコク市内へ。タクシーに乗るたびにタクシン氏の評判をドライバーに聞いてみた。彼らは軒並みタクシンを評価している。アピシット首相はマフィアに支持されているとのコメントも聞かされた。

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